文化祭にはあの、小さな頃から素晴らしい、素晴らしいと大人たちがたたえ続けてきた「池田先生」が参加されます。
池田先生は「教祖」ではないと創価学会は表向きは言いますが、
その存在をたたえるとき、まさに「教祖」だったと思います。日蓮さんがかすんでしまうほどに。
どうしてそこまで幹部の一人である「池田先生」をたたえるのか。
その理由は幼い頃から何度も説明を受けてきましたが、いくら説明されても私にはよく分かりませんでした。
聖教新聞で連載されている「人間革命」は池田先生が自ら執筆されているものとされていますが(実際はゴーストライターのようです)、
自分を自分で褒めまくるという行為は、何だかちょっとおかしくないのか?と先輩に聞いたことがあります。
その時の先輩の言葉は、もうよく覚えていません。
つまり、納得できなかったのです。でも、納得はできないけど、納得しなくてはならない、そういう雰囲気でした。
いくら指導を受けても分からないので、「そういうものなのだ」と覚え込みました。
要するに、疑問を抱かないようにしたのです。
疑問の部分に目をつむっているので、私の中では「池田先生は神様にも等しい人」です。
そう思い込んでいれば、幹部の指導も周囲との会話にも不自由しなくなるので楽でした。
悪いところなんてひとつもない、完璧な人格者……それが創価学会会員にとっての池田先生なのです。
池田先生にお会いしたことがある、というだけで、創価学会ではひとつのステイタスになります。
初めて池田先生にお会いしたときのその感動を、これまでも女子部の先輩や婦人部の方たちに聞いてきました。
「体が震えて涙があふれ出して止まらなかった」「電流が走ったようだった」などという感想を聞いていたので、
自分が池田先生とお会いしたときにいったいどうなるのか。正直とても楽しみでした。
私の体は震えるんだろうか、涙はあふれ出して止まらなくなるんだろうか。電流は走るんだろうか。
スタンドの出場メンバーたちは、涙を拭くため用のハンカチを用意していました。私ももちろん用意しました。
文化祭が始まりました。
私たちはスタンドの窮屈な席に色のついた板やらさまざまな道具と共に押し込められました。
トイレに行くのですら、大変です。昔はおむつをして練習していたという話も、婦人部の方から聞いたことがあります。
コンサートで使うとき以上に人が入っているのですから、トイレに行きたくても我慢しなければならないときもありました。
汚い話で申し訳ないのですが、練習の時に一度、女子トイレの床にう●こが落ちてこびりついていたことがありました。
私はカルチャーショックを受けました。
練習に参加しているのは創価学会員だけですから、このう●こは女子部員がしたものに違いありません。
練習前にはちゃんと掃除をしているのを知っていますから、間違いなくこれは掃除の後のものでしょう。
それに、このホールにはコンサートなどで何度か行ったことがありますが、その時はトイレはいつも綺麗でした。
どうして掃除しないんだろう?後の人のことを考えなかったんだろうか?どうしてそのまま放置していけるんだろう?
いろんな事を考えました。
ひょっとすると、練習中にもよおして、時間がなくて片付けずに席に戻ったのかもしれません。
それでも、後に使う人のことを考えれば、拾って流すなり、自分にできることはすると思うのですが。
それすらできない人がこの会場の女子部員の中にいると思うと、何だか悲しくなりました。
より良い人間になるためにとか、いろんな崇高な指導を受けながら練習に励んできたのに、
文化祭の出場者はみんな選ばれた人間だと思っていたのに。
何だか自分まで本当はたいした人間じゃないんじゃないかと思ったりもしました。
一緒にトイレに行って戻ってきた友達も同じものを見たと思うんですが、何も言いませんでした。
私と同じようにショックを受けていたのかもしれません。
すみません、話を戻します。
ともあれ、池田先生のご入場です。
その瞬間、どんな感動が訪れるんだろう……そう思ったんですが、残念ながら何もありませんでした。
私たちのスタンド席からはあまりにも池田先生の席が遠く、豆粒のようで、それが本当にご本人様なのかすら分からない状態でした。
でも、池田先生が席に着かれたというアナウンスがあったとき、両隣の子は涙を流していました。
私も慌てて頑張って涙を流しました。これまでの辛い練習を思い起こしたりしながら、頑張って泣きました。
せっかく用意したハンカチを使わずに終わるわけにはいきません。
「感動で震えて涙が溢れて止まらない」という状況にはほど遠かったです。電流も走りませんでした。
そして、池田先生にお会いした後は人生がまるで変わるというような都市伝説もいくつかあったのですが、
私の人生はそれであまり変わったということはありませんでした。
「池田先生にお会いもしたのに、おかしいな?」と思ったことを覚えています。
それでも、マインドコントロール下にあるからでしょうか。
池田先生を見て涙を流すことができなかったのは「私の信心がまだまだだったからだ」と反省したりもしました。
あの時スタンドで涙を流していた青年部のうち、いったい何人が本物の涙を流していたのでしょうか。
少なくとも私のは嘘泣きでした。
池田先生は「教祖」ではないと創価学会は表向きは言いますが、
その存在をたたえるとき、まさに「教祖」だったと思います。日蓮さんがかすんでしまうほどに。
どうしてそこまで幹部の一人である「池田先生」をたたえるのか。
その理由は幼い頃から何度も説明を受けてきましたが、いくら説明されても私にはよく分かりませんでした。
聖教新聞で連載されている「人間革命」は池田先生が自ら執筆されているものとされていますが(実際はゴーストライターのようです)、
自分を自分で褒めまくるという行為は、何だかちょっとおかしくないのか?と先輩に聞いたことがあります。
その時の先輩の言葉は、もうよく覚えていません。
つまり、納得できなかったのです。でも、納得はできないけど、納得しなくてはならない、そういう雰囲気でした。
いくら指導を受けても分からないので、「そういうものなのだ」と覚え込みました。
要するに、疑問を抱かないようにしたのです。
疑問の部分に目をつむっているので、私の中では「池田先生は神様にも等しい人」です。
そう思い込んでいれば、幹部の指導も周囲との会話にも不自由しなくなるので楽でした。
悪いところなんてひとつもない、完璧な人格者……それが創価学会会員にとっての池田先生なのです。
池田先生にお会いしたことがある、というだけで、創価学会ではひとつのステイタスになります。
初めて池田先生にお会いしたときのその感動を、これまでも女子部の先輩や婦人部の方たちに聞いてきました。
「体が震えて涙があふれ出して止まらなかった」「電流が走ったようだった」などという感想を聞いていたので、
自分が池田先生とお会いしたときにいったいどうなるのか。正直とても楽しみでした。
私の体は震えるんだろうか、涙はあふれ出して止まらなくなるんだろうか。電流は走るんだろうか。
スタンドの出場メンバーたちは、涙を拭くため用のハンカチを用意していました。私ももちろん用意しました。
文化祭が始まりました。
私たちはスタンドの窮屈な席に色のついた板やらさまざまな道具と共に押し込められました。
トイレに行くのですら、大変です。昔はおむつをして練習していたという話も、婦人部の方から聞いたことがあります。
コンサートで使うとき以上に人が入っているのですから、トイレに行きたくても我慢しなければならないときもありました。
汚い話で申し訳ないのですが、練習の時に一度、女子トイレの床にう●こが落ちてこびりついていたことがありました。
私はカルチャーショックを受けました。
練習に参加しているのは創価学会員だけですから、このう●こは女子部員がしたものに違いありません。
練習前にはちゃんと掃除をしているのを知っていますから、間違いなくこれは掃除の後のものでしょう。
それに、このホールにはコンサートなどで何度か行ったことがありますが、その時はトイレはいつも綺麗でした。
どうして掃除しないんだろう?後の人のことを考えなかったんだろうか?どうしてそのまま放置していけるんだろう?
いろんな事を考えました。
ひょっとすると、練習中にもよおして、時間がなくて片付けずに席に戻ったのかもしれません。
それでも、後に使う人のことを考えれば、拾って流すなり、自分にできることはすると思うのですが。
それすらできない人がこの会場の女子部員の中にいると思うと、何だか悲しくなりました。
より良い人間になるためにとか、いろんな崇高な指導を受けながら練習に励んできたのに、
文化祭の出場者はみんな選ばれた人間だと思っていたのに。
何だか自分まで本当はたいした人間じゃないんじゃないかと思ったりもしました。
一緒にトイレに行って戻ってきた友達も同じものを見たと思うんですが、何も言いませんでした。
私と同じようにショックを受けていたのかもしれません。
すみません、話を戻します。
ともあれ、池田先生のご入場です。
その瞬間、どんな感動が訪れるんだろう……そう思ったんですが、残念ながら何もありませんでした。
私たちのスタンド席からはあまりにも池田先生の席が遠く、豆粒のようで、それが本当にご本人様なのかすら分からない状態でした。
でも、池田先生が席に着かれたというアナウンスがあったとき、両隣の子は涙を流していました。
私も慌てて頑張って涙を流しました。これまでの辛い練習を思い起こしたりしながら、頑張って泣きました。
せっかく用意したハンカチを使わずに終わるわけにはいきません。
「感動で震えて涙が溢れて止まらない」という状況にはほど遠かったです。電流も走りませんでした。
そして、池田先生にお会いした後は人生がまるで変わるというような都市伝説もいくつかあったのですが、
私の人生はそれであまり変わったということはありませんでした。
「池田先生にお会いもしたのに、おかしいな?」と思ったことを覚えています。
それでも、マインドコントロール下にあるからでしょうか。
池田先生を見て涙を流すことができなかったのは「私の信心がまだまだだったからだ」と反省したりもしました。
あの時スタンドで涙を流していた青年部のうち、いったい何人が本物の涙を流していたのでしょうか。
少なくとも私のは嘘泣きでした。