私が高校を卒業し、専門学校の頃、近くに住んでいた祖父が亡くなりました。
お葬式は学会の友人葬でした。
祖父は創価学会員だったので、それは本人の望む形だと思うのでまあ構わないのですが。
躁鬱病(創価学会系精神病院で鬱病と誤診)の母は完全に躁状態になり、
はりきって聞いている方が小っ恥ずかしくなるような挨拶文などを読み上げていました。
祖母は「お母さんは人前であんな立派なことを言っているけど、そんな立派な人間じゃない」と
複雑そうな顔をしていました。
自分の娘だけに、外見と本性の二面性が心配になったのかもしれません。
二面性というと、創価学会にいる間、私もずっと自分の中にそれを感じていましたし、
創価学会員にはいわゆる「数のノルマ」に関係ない約束は平気で破る人が多いです。
「選挙」や「折伏」に関わる場合は驚くほど「良い人」な創価学会員が、
それらに関係のない事柄に関してはびっくりするほどいい加減になってしまうのです。
妹の職場にとてもよく話を聞いてくれる人柄の良い創価学会の人がいたそうです。
妹の友人はいつもその人に相談をしたり、話を聞いてもらったりしていたそうです。
ある日、「折伏(創価学会への勧誘)」をされ、断ったそうです。
それ以来、まったく話を聞いてもらえなくなったそうです。
そんな話は創価学会あるあるで、山のようにあります。
私自身も典型的なそんな人間の一人で、もちろん身に覚えは山のようにあります。
妹の話を聞いたとき、まるで自分のことを言われているようで、とても恥ずかしくなりました。
きっと創価学会で教育という名のマインドコントロールを受け続けると、
そういう人間ができあがってしまうのでしょう。
話を戻します。
祖父のお葬式は母の自己満足を満たして無事に終わりました。
幹部の人から母は創価学会員の祖父がなくなったので、ご本尊を返却するように迫られたそうです。
「ふえ?」
その時はおかしいと思わなかったのですが、この記事を書いているときに疑問を感じました。
「なぜ返さないといけないのか?」
ご本尊をいただくときには何千円かのお金を払っています。
神社でお守りや神様のお札をもらうときもお金を払います。
だけど、それは必ず返せなどとは言われません。
通常お札は一年で取り替えるものなので、おたきあげに出したりはしますが、個々の判断に任せるもので強制はされません。
何年も同じお札を貼り続けているお店も見たことあります。
だけど、そのお札を買った人が死んだからといって、返却させるでしょうか?
そして、幹部は続けてこう言いました。
「本当は本人の了承が必要だけど、本人の了承があったことにして新たなご本尊を祖母に授けることはできる」と。
創価学会の組織を知っている方はここで「ああ……」と察知されたかも知れません。
要はノルマの問題だったのです。
祖父のご本尊をそのまま仏壇に置いておくことも本来はできるはずです。
だけど、それをさせなかったのはノルマのためです。
創価学会員には毎月、新聞啓蒙(聖教新聞の購読者を増やす)、折伏などに厳しいノルマが課せられています。
組織の中ではノルマと言わず目標と言っているようですが、実際にはノルマです。
つまり、祖母に対して新たにご本尊を授けるという行為をすることによって「折伏1」という成果を出すのが目的だったのです。
こういうことは創価学会ではよく行われます。
たとえば、子どもが独立して家を出るときに子どものためとご本尊を持たせる。それで「折伏1」です。
子どもが後でそのご本尊をどう扱おうがどうでも良いのです。とりあえず折伏一が達成できれば。
外部の人を創価学会員に勧誘するのは大変なことです。
それよりは近親者にご本尊を配布して「折伏1」を達成する方がよほど簡単で楽ちんです。そういうことだったのです。
祖母はずっとこの創価学会の信心を否定し続けてきました。何かおかしいと。
だから、ご本尊が新しくなるといっても、自分が入会させられるのなら絶対に拒んだはずです。
母は私にだけそのことを告げ、祖母にも妹たちにも告げませんでした。
当然、知られればものすごい反発が来ることが分かっていたからです。
そして、その秘密がばれたのは、祖母の葬式の時でした。
祖母は表向きは創価学会に入会していないはずなのに、友人葬でした。
そして、その席で司会者が「00さんは生前、創価学会員として信仰に励み……」と言ってしまったのです。
妹たちは激怒しました。
いったいなんでそんなことになっていたのか。
でも、今更抗議しても祖母は死んでしまったし、祖母はそんなことはないと否定することもできません。
きっとあの世でびっくりしたことでしょう。
こんなことで折伏1をゲットしたところで、本当に功徳はあるんでしょうか?
でも、それでも功徳があると本気で思ってしまうのが、創価学会員のマインドなのです……。
私もずっと「おばあちゃん、形だけでも入会できて本当に良かった」と想い続けていました。
幹部たちはきっと「これで折伏1分の功徳ゲット」と思っていたのは間違いないと思います。
お葬式は学会の友人葬でした。
祖父は創価学会員だったので、それは本人の望む形だと思うのでまあ構わないのですが。
躁鬱病(創価学会系精神病院で鬱病と誤診)の母は完全に躁状態になり、
はりきって聞いている方が小っ恥ずかしくなるような挨拶文などを読み上げていました。
祖母は「お母さんは人前であんな立派なことを言っているけど、そんな立派な人間じゃない」と
複雑そうな顔をしていました。
自分の娘だけに、外見と本性の二面性が心配になったのかもしれません。
二面性というと、創価学会にいる間、私もずっと自分の中にそれを感じていましたし、
創価学会員にはいわゆる「数のノルマ」に関係ない約束は平気で破る人が多いです。
「選挙」や「折伏」に関わる場合は驚くほど「良い人」な創価学会員が、
それらに関係のない事柄に関してはびっくりするほどいい加減になってしまうのです。
妹の職場にとてもよく話を聞いてくれる人柄の良い創価学会の人がいたそうです。
妹の友人はいつもその人に相談をしたり、話を聞いてもらったりしていたそうです。
ある日、「折伏(創価学会への勧誘)」をされ、断ったそうです。
それ以来、まったく話を聞いてもらえなくなったそうです。
そんな話は創価学会あるあるで、山のようにあります。
私自身も典型的なそんな人間の一人で、もちろん身に覚えは山のようにあります。
妹の話を聞いたとき、まるで自分のことを言われているようで、とても恥ずかしくなりました。
きっと創価学会で教育という名のマインドコントロールを受け続けると、
そういう人間ができあがってしまうのでしょう。
話を戻します。
祖父のお葬式は母の自己満足を満たして無事に終わりました。
幹部の人から母は創価学会員の祖父がなくなったので、ご本尊を返却するように迫られたそうです。
「ふえ?」
その時はおかしいと思わなかったのですが、この記事を書いているときに疑問を感じました。
「なぜ返さないといけないのか?」
ご本尊をいただくときには何千円かのお金を払っています。
神社でお守りや神様のお札をもらうときもお金を払います。
だけど、それは必ず返せなどとは言われません。
通常お札は一年で取り替えるものなので、おたきあげに出したりはしますが、個々の判断に任せるもので強制はされません。
何年も同じお札を貼り続けているお店も見たことあります。
だけど、そのお札を買った人が死んだからといって、返却させるでしょうか?
そして、幹部は続けてこう言いました。
「本当は本人の了承が必要だけど、本人の了承があったことにして新たなご本尊を祖母に授けることはできる」と。
創価学会の組織を知っている方はここで「ああ……」と察知されたかも知れません。
要はノルマの問題だったのです。
祖父のご本尊をそのまま仏壇に置いておくことも本来はできるはずです。
だけど、それをさせなかったのはノルマのためです。
創価学会員には毎月、新聞啓蒙(聖教新聞の購読者を増やす)、折伏などに厳しいノルマが課せられています。
組織の中ではノルマと言わず目標と言っているようですが、実際にはノルマです。
つまり、祖母に対して新たにご本尊を授けるという行為をすることによって「折伏1」という成果を出すのが目的だったのです。
こういうことは創価学会ではよく行われます。
たとえば、子どもが独立して家を出るときに子どものためとご本尊を持たせる。それで「折伏1」です。
子どもが後でそのご本尊をどう扱おうがどうでも良いのです。とりあえず折伏一が達成できれば。
外部の人を創価学会員に勧誘するのは大変なことです。
それよりは近親者にご本尊を配布して「折伏1」を達成する方がよほど簡単で楽ちんです。そういうことだったのです。
祖母はずっとこの創価学会の信心を否定し続けてきました。何かおかしいと。
だから、ご本尊が新しくなるといっても、自分が入会させられるのなら絶対に拒んだはずです。
母は私にだけそのことを告げ、祖母にも妹たちにも告げませんでした。
当然、知られればものすごい反発が来ることが分かっていたからです。
そして、その秘密がばれたのは、祖母の葬式の時でした。
祖母は表向きは創価学会に入会していないはずなのに、友人葬でした。
そして、その席で司会者が「00さんは生前、創価学会員として信仰に励み……」と言ってしまったのです。
妹たちは激怒しました。
いったいなんでそんなことになっていたのか。
でも、今更抗議しても祖母は死んでしまったし、祖母はそんなことはないと否定することもできません。
きっとあの世でびっくりしたことでしょう。
こんなことで折伏1をゲットしたところで、本当に功徳はあるんでしょうか?
でも、それでも功徳があると本気で思ってしまうのが、創価学会員のマインドなのです……。
私もずっと「おばあちゃん、形だけでも入会できて本当に良かった」と想い続けていました。
幹部たちはきっと「これで折伏1分の功徳ゲット」と思っていたのは間違いないと思います。
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