宗玄カズヒロ ブログ  ~好きに生きよう~ 懲りずに 媚びずに 

2014/5月にアメブロに移転しました。これからも宜しくお願いします!http://ameblo.jp/kazakko/

自分と世の中への距離

2014-05-26 21:21:09 | 孤独だなと感じた時
幸福とは

内にすでにあり、普通に存在しているあまり気づきにくいもの

外にある幸福めいたものは、それを手に入れているうちは有効だが
命の継続は難しく、依存したらみるみるうちに掌からこぼれていくもの

人はどうして外にばかり目をやるのであろうか・・・

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誰かに誇示したい、評価を受けたい、生きている証にしたい

これらの共通していることは

どれも基準が他人であること

もしひとりきりで出世したらどうだろう?

誰も賞賛しない誇り


誰の評価も得られなくても満たされるもの
それこそが逃げない幸福ではないか



そう思いながらもまた外に求める
植えつけられた外への憧れはとどまることを知らない

成功して地位ができて名誉も受ける
それ自体は素晴らしいことだ

問題はそれに固執し、それらを手に入れられなかった場合、後に残った喪失感だ

他人でなく自分の評価では何故だめなのだろうか?

自分の評価自体が成功からしか得られない場合、どうすればぬぐい切れるのだろう?
何故今のままでは納得できないのか?

私の場合、大切な人がいて、仕事があって、歌が歌えて、最低限の収入がある
その中を掘り下げれば、誰も持ちえない財産を与えられているではないか

それでももっともっとと外に手を差し伸べる要因は・・・

甘えの構造からすると、幼い頃から受け入れてもらえない寂しさがあった
特にひどい経験はないはずだが、周りは自分より勉強できる友人が多くスポーツもそうだった
それにまつわるエピソードはここでは省くが、かなりコンプレックスがあった
そこで唯一音楽だけが誉められたものだ
だからそこを磨き続けないと取り残される恐怖心は今も昔も変わらない


そんな思いを反発しないで受け入れるとはどういうことか


そう思おう そう思えなければいけない
という脅迫概念すら 許す
どうしても成功に固執してしまう自分を 許す
そんな自分がここに居ることを 許す


すべてを許すことなのだ

拒否しても逃げない 
これではダメ 

ではない


丸ごと受け取ること


誰かが出なく、自分自身が見捨てません
そう自分に言ってあげることなのだと思う




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今日の1曲 Last Love
written 宗玄和広

CDアルバムの紹介
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