銀塩時代からのカメラユーザであるのだが、当時からラチチュードの重要性は肌で感じてきた。っていうよりネガのラチチュードの広さに助けられたといった方が無難だろうか?
カメラが好きだけど若い時から極貧だった私は現像代やプリント代が惜しく、当時努めていた広告代理店から焼き付け機材一式を借り受け(のちに退職金がわりにもらったのだが)現像から焼き付けまですべて行ってきた。モノクロならたいした設備もいらないし現像液や定着液も安価ですむ。
今は機材も駄目になってしまったけど、当時の経験はとても貴重なものでした。
で、昨今のデジカメ事情ではRAW現像というものがある。銀塩ネガほどラチチュードの幅は広くないが、とても便利といえば便利である。だけどその反面弊害があるように感じる事がある。一言で言うと「いじり過ぎている」感が強い。
まあ銀塩感覚で言えば現像→焼き付けを経てようやく作品になるんだけど、なまじ安易にいじれるもんだから彩度やコントラストの強過ぎる作品が目に付く。デジタルらしいちゃあ~らしいんだけど(^_^;) まあこのへんは作者の好みだからどうこう言うこともできないけど。。。。
デジタル機器を使って撮影しているのにもかかわらずガンとしてマニュアル撮影にこだわる人間としては、疑問に感じる事がある。精度のたかい測光機器を搭載している現代のカメラの存在意義はどこにあるんだろう?と。。。RAW現像ソフトの精度のアップによってラチチュードの幅が広がってくると1段くらいはカバーできそう。。。そうなると精度の高いボディ測光はあまり意味がない。
また、私は単焦点レンズ使用時にはボディの測光は使っていない(使えないんだけど(^_^;))それでもオートブラケットを使わなくてもキチンと適性露出でハマる事が出来る。現にJPEGで撮影し後加工は一切していない。
一度ぜひ、カメラの原点に返りフルマニュアル(露出は体感。ピントはMF、WBも天候により変える)で撮影する事をおすすめする。そうするとまた違った撮影の楽しみが出来るとおもいます。
余談だけど近い被写体はマニュアルフォーカスでピントの来る位置を変える事が画をつくるうえでとても重要なのでAF機といってもMFがかかせない。精度の高いAFは必要なんだけど、撮影者の意図を反映するのはやっぱりMFが不可欠な要素だ。なのでファインダの作りは重要だと思う。
カメラメーカーさん是非マニュアル設定のキチンとし、ファインダの作りのしっかりした安価なデジカメボディを作ってほしい。これは切なる願いです。
カメラが好きだけど若い時から極貧だった私は現像代やプリント代が惜しく、当時努めていた広告代理店から焼き付け機材一式を借り受け(のちに退職金がわりにもらったのだが)現像から焼き付けまですべて行ってきた。モノクロならたいした設備もいらないし現像液や定着液も安価ですむ。
今は機材も駄目になってしまったけど、当時の経験はとても貴重なものでした。
で、昨今のデジカメ事情ではRAW現像というものがある。銀塩ネガほどラチチュードの幅は広くないが、とても便利といえば便利である。だけどその反面弊害があるように感じる事がある。一言で言うと「いじり過ぎている」感が強い。
まあ銀塩感覚で言えば現像→焼き付けを経てようやく作品になるんだけど、なまじ安易にいじれるもんだから彩度やコントラストの強過ぎる作品が目に付く。デジタルらしいちゃあ~らしいんだけど(^_^;) まあこのへんは作者の好みだからどうこう言うこともできないけど。。。。
デジタル機器を使って撮影しているのにもかかわらずガンとしてマニュアル撮影にこだわる人間としては、疑問に感じる事がある。精度のたかい測光機器を搭載している現代のカメラの存在意義はどこにあるんだろう?と。。。RAW現像ソフトの精度のアップによってラチチュードの幅が広がってくると1段くらいはカバーできそう。。。そうなると精度の高いボディ測光はあまり意味がない。
また、私は単焦点レンズ使用時にはボディの測光は使っていない(使えないんだけど(^_^;))それでもオートブラケットを使わなくてもキチンと適性露出でハマる事が出来る。現にJPEGで撮影し後加工は一切していない。
一度ぜひ、カメラの原点に返りフルマニュアル(露出は体感。ピントはMF、WBも天候により変える)で撮影する事をおすすめする。そうするとまた違った撮影の楽しみが出来るとおもいます。
余談だけど近い被写体はマニュアルフォーカスでピントの来る位置を変える事が画をつくるうえでとても重要なのでAF機といってもMFがかかせない。精度の高いAFは必要なんだけど、撮影者の意図を反映するのはやっぱりMFが不可欠な要素だ。なのでファインダの作りは重要だと思う。
カメラメーカーさん是非マニュアル設定のキチンとし、ファインダの作りのしっかりした安価なデジカメボディを作ってほしい。これは切なる願いです。
この時記録される電気信号はA/Dコンバータを通るんですが、現状の12bit変換の場合、約4096階調あり、これが銀塩カメラで言うラチチュード(デジタル用語ではダイナミックレンジと言う)になるわけです。
ラチチュードの幅を広げるためには、A/Dコンバータのbit数を単純に増やすことにより成し遂げられるんですが、撮像素子の感度が向上したことにより、ダイナミックレンジが広くなりつつあります。黒潰れや白飛びの部分にもちゃんと階調城宝が隠れていて、ただそれが画像処理エンジンで解析・画像化できていないんです。
現在発売されている全てのデジタル一眼レフの中で、このA/Dコンバータが高いのはKodakのカメラ(外見はNikonだけど)で24bit A/Dコンバータ(約1600万画素)を搭載しています。PENTAX K10Dも22bit(約420万階調)のA/Dコンバータを搭載している訳ですが、アナログ信号をデジタル信号に変換する際のロス&画像処理エンジンでの演算能力と速度、再現性能が追いつかないのが現状です。
アナログ信号を撮り出す場合は、sign曲線を描きますが、デジタル信号の場合、sign曲線を等分し、その曲線との接点の近似値を含む数点が「点」として選択されます。なので、等分するマス目が多い(bit数が高い)方がsign曲線に近付くことができる訳ですね。
もともとデジタル信号は「All or Nothing Raw」の法則でしか認識されないので、上の等間隔のマス目のX-Y軸の軸索上にONかOFFの電気信号(bit)として認識され、このbirとbitの距離感覚が短くなるのが理想なんです。
その原理から言えば、A/Dコンバータと画像処理エンジンの性能向上が、ダイナミックレンジ拡大の最大のポイントとなります。
まぁ、最近のデジタル一眼レフでは、埋もれたダイナミックレンジをデジタル的に拡大する機能も備わり、何とかソフト的に対処して効果を上げているようなので、今後の進歩を楽しみに待とうではありませんか。
です。書いたっきりで確認もせんでゴメン!
です。重ね重ねごめんなさい。
birとbitの距離感覚=bitとbitの距離間隔
もう…ないかな?
ちなみに、デジタルカメラではローキーに撮影した方が階調が比較的残っている。迷ったらアンダーで撮った方が結果よいようだね。
フィルムネガだとハイキーに撮るのが鉄則。焼込む事が出来る。アンダーだとフィルム膜面の階調が再現できないので黒くつぶれただけになる。
といっても最近モノクロネガで撮る人も少ないけど。。。。
銀塩とデジタルを同じ土俵で語ってはイケないと思うんだけど。
銀塩の写りが好きなんだったら、デジタルの写りには納得できない面が必然的に生じるでしょうし、最初からデジタルに入った人にとってはそれが普通なので、大きな問題点・不満足な結果にはならないと思うんだけどなぁ。
デジタル一眼レフに対しての苦言を呈するのって、元銀塩使いの人が多いのは、銀塩との比較をしているからで、元々デジタルだけの場合は比較対照がないからそれで終始するんでしょうね。
俺の場合は、デジタルの画質で十分満足しているので、使ってて楽しいですよ。
粗を探すんじゃなくて(目に付いちゃうんだろうけど)、デジタルの良さを認めるのも必要なんじゃあるまいか?
>デジタルらしいちゃあ~らしいんだけど(^_^;) まあこのへんは作者の好みだからどうこう言うこともできないけど。。。。
ってことさ。デジタルを否定してないよ。デジタルだからって事じゃなくてデジタルの良さが悪くでることがあるのが目に付くって感じ?
作例として、こんなに彩度をきつくしなければもう少し全体の印象を対象物に持ってこれるのに・・・とか。コントラストの上げすぎで、表現したい事の隙間っていうのかな?余裕がなくなっていてこの辺をもう少しナチュラルにすれば印象が良いのにってって思う感想ですよ。
要は、映像は撮影者の気持ちで撮るものなので(その後の露出補正とかも含めて)、アート的な撮り方を前提にする方が少数派なような気がする。
求められた個人レベルでの感想はそれでいいんだろうけど、評論家のレベルってどれほどのものなのか疑問。だって、結局、評論家も別の評論家によって評論されちゃうんだもん。
個人的に思うことは、美的・アート感覚は型にハマったものじゃなくって、その人個人の感性でイイんじゃないかと思うけどなぁ。
まぁ、評価を求められたら意見は言うのが正当な流れなんだろうけど。
写真をアートとして考える人の立場と、子供とか家族の成長の瞬間を切り取った記録の様なものとして捕らえる人と様々な形があっていいと思うけど。
オレ個人が撮影したデータは、決して写真アートとして評価されるために撮影したものじゃなくて(技術なんか全くないし素人なので)、単なる趣味として写真を撮るのが楽しいので、大量に撮影したデータの中で数枚キレイに撮れたなって感覚で満足しているよ。
櫛形フィルタに関しては0と1のみじゃなくて、0から1へ、1から0への途中の情報も記録されてるんだよ。
0から1へ垂直にデータの直線が立ち上がるのは、sign曲線の中間を通って最短距離を計算し、その最短距離を平均化するために最高値へ垂直に進み、最高値をsign曲線の頂点よりも勾配のデータ量だけ維持し(平行値を示す内容に前後のデータの推移値が記録される)て垂直に落とすので、0と1の中間情報が破棄されている訳じゃないんだよね(補正値)。
いいんです。感想なんてものは主観なんですから。だから否定してないでしょ。楽しみ方もそれぞれ、それでいいのさ。「私はそう思う」それだけよ。客観論ではなく主観を主張してるのさ。それを正論ととるのなら、正論足らしめているモノがそこにあるのだろうか?私には私の主張にそこまでのモノがあるとは思えないけど(^_^;)
まあ、それに写真を公開してるんだからいろんな評論されてもしかたないんじゃねぇ。
>個人的に思うことは、美的・アート感覚は型にハマったものじゃなくって、その人個人の感性でイイんじゃないかと思うけどなぁ。
だからさ~否定してないでしょ。「こうじゃなきゃいけない」なんてぇものはないんだよ。アートじゃなきゃいけないんじゃないのよ。カメラなんてぇものは、特に。
写真はこう撮るもんだ~なんて言うことを言っているわけじゃないのよ。
まあ自分が楽しくて撮っているものを他人にどうこう言われたかないわな。そのことについては陳謝。。。。
ちなみに写真をアートとして見ると仮定した場合でも、絶対的な「美」なんてものは私の中では存在しないな。自己主張には自己主張を展開でするしかないよ。当然批評する側も批評される。当然ですね。客観的な「美」って解らないな。
ただ、今書いていて思ったんだけど、写真てものすごく幅がひろいね。そこに魅力があるんだろうか?
家族の想い出、時間の切り取り、風景画としての側面もあり、事実を事実として記録する媒体。やはりそういった奥行きに色々な楽しみや道具としての汎用性がこれだけ広く写真というものが認知されている原因なのだろうか?
やっぱり面白い。。。写真て。。。
>櫛形フィルタに関しては0と1のみじゃなくて、0から1へ、1から0への途中の情報も記録されてるんだよ。
なるほど勉強になりました(^o^)
仕事上重要な御意見ですね。