心のどこかではいつももやもやとして形になっていたのに、無理やり押し込めていたため時には忘れたり、気にしないでいようという自制心が大きく働いたりして小さくなってたのが、とある出来事からそれが膿みのように突出して治まらなくなる。
そんな状態が2月ごろから、もしかしたらもう少し前から続いています。ピークは3月ごろ。そこから抜け出せなくて今に至っています。幸いなことはその環境以外の部分で自分が好きになれているので均衡をうまく保っていられること。
真剣に考えているようでいないようで。もうこのままでもいい、いや、逆にこの状態のままでいた方が気が楽でいいかも・・・とか。
抽象的で分かりにくいですね^^;
膿みの部分は家にいる自分でそれ以外の環境は職場での自分です。
普通は逆?でも普通は・・・っていうその価値観がもやもやの形。常識とか普通って何が基準なんだろうって。押し付けられる普通も価値観も私はいらない。
家ではあまり話しません。娘とは話します。でも夫と義母とは必要最小限しか。話したくないというより何を話せばいいのかわからなくて口をつぐむしかない。余計なことを言わなければそのことで波風が立たない。その選択が話せなくなった要因になったのかもしれません。
義母はともかく夫はたぶん悩んでいると思います。それを感じる私も考えれば考えるほど辛くなるけど、考えても本を読んでみても答えが出なくて。気持ちなんてそう簡単に割り切れるものではないです。
歯車が狂うとかボタンのかけ違いという表現で気持ちのずれを比喩しますね。修復するには何が必要なんでしょう。
夫は腫れ物の私を普通に接してくれています。もし逆の立場だったらとっくにキレていますよ、私だったら。
それがありがたくもあるけれど、だからといってどうしようもないのは変わらない。堂々巡りの私の思いはどこかでいつか終わりを告げるのだろうか。
長くなるので、ではなぜ職場での自分が好きになれるのかを次回書きたいと思います。
・・・このような理由でブログのお休みを検討していた次第です。
今日はJUJUのライブ。これはこれで楽しんできますよ♪
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