今日の記事は書こうかどうしようか悩みましたが自分の記録として残しておこう、決して恥ずかしいことではないのだからと思い書くことにしました。
昨年10月父が亡くなりました。
両親は私が小学4年のころ離婚していてその後何年間かは頻繁に会っていたけれど思春期を過ぎるころから減り、結婚してからはきちんと会ったことはありませんでした。
そんな父が12年ぐらい前に倒れ入院し、退院後は自力での生活が困難なため、市の施設にお世話になっていました。入院時私と姉も付き添いました。病状も安定し心配も軽減され一人暮らしはできなくなってしまったけれど身の回りのことは自分でできるまでに回復しました。その頃私も姉もまだ子供が小さく、電車で数時間かかる施設へはなかなか足を運べずにいました。
その後いろいろあったことはのちに書こうとは思いますが、元気で過ごしていた父が入院しあまり具合がよくないと聞いて私と夫が会いに行ったひと月後亡くなりました。
父は出身が鳥取県です。母も姉も私ももう父の実家とは縁がなく場所さえ知りません。父も東京に出てからはほとんど実家には帰っていなかったよう。
離婚したほどだからあまり父のことをよく思っていないはずの母も火葬には参列し、姉の家族と私の家族で見送りましたが、お骨をどうするかという現実にも直面しました。
この先のことは長くなるのでまた別の機会に書くことにしますが、半年以上かかってしまいましたが今月3日に無事納骨を済ますことができました。
お経をあげてもらい、私と姉で何度もあちこちに足を運びながら一番いいと思えた場所に納骨することができました。この日も母、姉家族、私たち家族で式を終え、たぶん各自思い思いに父のことを思い出したのではないかと思います。
今、なんというかほっとしたのと同時に感慨深いものがあり、離れ離れに暮らしていたけれど血のつながりの良さとか深さを感じています。一度には書ききれない思いや出来事もたくさんあります。もしかしたらひとさまにお話しするようなことではないかもしれないけれど、自分の気持ちとして書いておこうかなと思ってます。
4月末にやっと納骨にこぎつけました。
いろいろとあるとは思いますが、“何とかなるら!”って私は思っています。静岡弁丸出し…(笑)
ゆみさんも辛い思いされたんですね。親はいつまでも元気だと思ってても突然その日ってやってくるんですよね・・・。
夫の地域の実家ではお墓があって当たり前の風潮で、なんとなく肩身の狭い思いをしていたんです。由美さんの言葉を聞いてほっとしました。
他人の軸に合わせることに慣れてしまって自分はどうすることがベストなのかつい後回しになってしまいます。
どんな方法であれ、亡くなった人を思うことが一番なのかもしれませんね。
”何とかなるら”・・・ホントそうです(*^_^*)
~らって静岡も使うんですね~。こっちでも使いますよ!ほとんど方言は使わないけれど『~ら』はうつっちゃいました(^o^)『行くら』とか『いいら』とか^^; ね。