列車に遅れないよう早めに到着した三次駅は、朝霧に包まれていた。
通勤ラッシュに備えた長編成の広島行きが、大音量のエンジン音と大量の排気ガスを残して、先に出発。
残るは、備後落合行きのディーゼルカーがポツンと1両だけ。
車内は、私の他 学生2〜3人が静かに本を読んだりウトウトしている。
「このまま出発するの?」
少々不安になったが、発車時刻ギリギリにやっと通学生が集まりだし、結局サラッと満員の状態で三次駅を発車した
1両のディーゼルカーは、霧の中を東に進んで行く。
JR福塩線との分岐駅、「塩町」でさらに乗車。
一部徐行区間も挟みながら、中国山地の少ない平坦地を縫うように走って来たディーゼルカーが
「備後庄原」に到着すると、乗っていたほとんどの通学生が下車。
一部残っていた学生も「備後西城」で下車すると、車内は私を含め3人だけになった。
三次駅を6:55に発車した列車は、8:16「備後落合」に到着。
駅の周辺は、本当に何もない。
少し歩くと食堂があるらしいが、営業しているか電話で確認してくれとのこと。
さっきの列車の運転士さんが
「木次線が来るまで止まってるから、中で休憩してください」
と、残り二人のご婦人方に声をかけたらしく、私に
「こっちで休憩して下さいって」と
わざわざ声をかけに来てくれたので、私も車内に戻る。
お二人は、三次から木次まで小旅行に行かれるとのこと。
そろそろ木次線の列車が来る頃なので、一足早く列車を下り、朽ちた転車台を見ながら
列車の到着を待っていると、鳥のさえずりに混じって遠くからエンジンの音が聞こえてきた。
木次線のオリジナルカラーを期待していたが、やって来たのは広島色のキハ120。
乗り換える客もないまま、絶妙の接続で
三次行きのキハ120が折り返し、発車して行くと
今度は木次線のキハ120が、山間のだだっ広いジャンクションに、ポツンと1両。
かつては蒸気機関車を運行する重要拠点として、約200名の国鉄マンがここで働いていたらしいが(ウィキペディア調べ)
今や、それが信じられないほどの寂れよう。
それでもまだ1日数本、列車が来るだけマシ。
鉄道もろとも消滅してしまっても、おかしくないのが今の厳しい情勢だ。
9:20 木次行きが備後落合駅を発車。
中国山地を超え、かつては陰陽連絡急行「ちどり」も走った鉄路をしばらく行くと
いよいよ「出雲坂根」のスイッチバック区間に入る。
さらに奥へと続く引き上げ線が、かつての栄華を物語る。
運転士が後ろに行き、列車は逆走を開始。
出雲坂根駅に到着した。
ここから再び向きを変え、木次方面に出発。
10:39 「亀嵩」到着。
JR木次線の亀嵩駅と言えば、有名なのが
「出雲そば」の店があることと、松本清張原作の映画「砂の器」のロケ地となったこと。
文学・芸術より、まずは「食い気」を満たす。
私の中で蕎麦屋と言えば「はっぴ白衣」に「丸帽」のイメージだが、私に気づいて中から出てきた主人は
カッターシャツにスラックス、まるで床屋のマスターのような感じ。
「検温と手の消毒、県の指導で何かあった時の連絡先を書いてください」
とのことで、指示通りにして店内へ。
名物の達磨ストーブに
有名人の色紙。「砂の器」で亀嵩の駐在警官役をしていた緒形拳の色紙もある。
温かい蕎麦も食べたかったが、ここはやはり名物の「割子そば」を注文。
私は蕎麦通ではないが、「喉ごしが良い」と言う表現が、まさにピッタリくる感じ。
今まで私が食べた中では、間違いなく上位にくる蕎麦と思う。
温かい蕎麦湯が、味が濃くてまた腹にじんわりとしみる。
ゆっくり蕎麦湯を味わっていると、店の女将さんが
「おろち号が来ますので、ホームへ営業に出ます」
「しまった❗️」
まもなくやって来る「奥出雲おろち号」を亀嵩駅で撮るつもりだったのに、駅に下りたとたん蕎麦しか頭になくて、
すっかり忘れていた。
慌てて外に出ようとして
「お客さーん、お勘定」
危うく食い逃げ、無銭飲食するところだった・・・
旅の恥はかき捨て・・・で済んで良かった。
出雲そば 扇屋
本当は、これに乗りたかったのだが、指定席が取れなかった。
いろいろ後で調べだが、もともと座席数が少ないので、この指定券を買うのは至難の業らしい。
加えて車両の老朽化も著しく、引退が確実視されているので、もはやプラチナだろう。
「砂の器」の事は、次の記事で
(アップの順番が前後してます。ご了承ください)
つづく