待機児童、月内に緊急策…自治体の相談機能強化 : 読売新聞
yomiuri.co.jp/politics/20160…
地価高騰による物価上昇に伴うエンゲル係数の上昇などと、核家族化によるダブル・ケア問題は似たようなプロセスの中にある。
高齢者介護でも要介護状況になった段階で同居するかどうか離郷している介護者と要介護者の調整の中要介護者が入所を含め住居移転など負担を強いられることがほとんど。
当然当事者として事前にわかっていそうなものを自己実現の美名の下、両者ともに過剰な自己実現の追求により至っているのが明白になっているのが今の段階。その自覚があるかどうかにより大きくその困難さ・問題点を主張する様がちがってきているようだ。
因みに、近所の汚職警官・政治家が西田ひかる関係のバカな農家のガキを使い転居を強いるような風説流布を汚職警官・政治家の自作自演と理解できる程度の理解能力があればw、
このダブル・ケア問題と言われているものに対するスタンスも自ずと定まってくるのだろう。
家族計画・ライフ・ステージにおいては、自己実現なる明るきものばかりにより<プランニング>できるものではいなことをガキは知らなすぎるのだろう。
端的に言えば核家族化、都市部への人口集中化が始まりとうに50年を過ぎた今、生活の中に生老病死が見え難くなっていたとの指摘は以前からあり、同時にテレビなどに散見されるお宅探訪的な間取りや都市部の様に顕著な無機質感がそれを強く物語っているようだ。
特に看取りを<事前>の契約関係の中で律していこうとする感覚に強く違和感を感じるのはダブル・ケア問題として取り上げられているトピックなどとは比にならない歪みを感じるが<親の死に目も二度まで>と嘘ぶいてみせているのと同じ趣向が<子供が小さい内だけ>と待機児童問題の中でもあるのだろう。
保育の有資格者が今の労働条件下では保育の仕事をやりたがらないのは、そんなことのためなんだうろ。
親族間においても不確かとなっている感覚をもって社会的<絆>と言ってみせたところで、どうかとは思う。
鏡の前でお洋服のチェックのみに余念なく気遣う他者不在社会の顕れなんだろう。
好例
40パーセントらしいですな。
年金未納問題
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4…
財政出動=国内公共投資を目的とする増税も、実際には不可欠なインフラ・公共財に投じられるのであれば、反対も生じにくくなるだろうが、ダブル・ケア問題などと併せ公共財が自らの生活とどのように関係しているかも理解できないガキが40パーセントにも及んでいるところを勘案すれば、
類から発話される想いの政治が聞いてあきれるのは以前からにしても、
係る再生産の極みに見られる彼らの内々なる<互恵感>はひど過ぎDeath Show
参考
ジャン・ピアジェ
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8…
前操作段階(2~7歳)
延滞模倣とか直観的思考段階などとの概説を見た感じからしても、幼児からすれば母子一体化(自己中心性)から1対1の関係性(他者認識)が生じ始めるに過ぎない時期で、
母子父子分化を始められる段階は精々当段階の後段くらいからが望ましいように読める。その段階に至るまでは育児者・幼児間の関係からしても今のような1対多による保育的サービス利用よりも、まずは育児者・幼児間における1対1の育児機会を確保することを優先的に考えた方がよいのだろう。
働くわたくしの自己実現をここに持ち込むことは絶対弱者としての幼児からすれば、堕胎に等しいのかもしれない。
因みにテレビに出てくるデスクの横へ子供を座らせ仕事をしている母子画は1対1の育児機会を確保できているとは言えない。あれでは1対多とあまり変わらないだろう。
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