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3月14日(月)のつぶやき

2016年03月15日 02時43分56秒 | diary

山谷えり子参議院議員の質問より

今話題になっているのは幼児保育。

幼児教育の話ではないのは明らか。
その幼児保育の中でも、幼児教育についても文化・倫理観の再生産を勘案すれば、幼児教育のトピックも入ってくる。

そういった基本的な認識さへ欠けているようだ。

幼保一元化以前に


民主党時代の話から考えてみると、
<仕分ける能力>に難点がようだ。


文部大臣が答弁していることから何かおかしいか明白。
質問内容と<今話題になっている>との表現が合っていない作文。

そこに気付いたとしても、幼児教育の話は重要。

あのネットで話題となった<無記名>の書き込み<内容>からそれを強く感じざる負えない。


因みに保育は厚労省が担当。
現状は<縦割りを排し>などとの次元にない人も多くいるのだろう。


奨学金に対する質問についても、学生に対しても事前の説明は成されているはすだが、

例えば介護保険事業所が利用者に対しサービス内容の情報を提供するにあたって、事業所サイドの収益を中心に据えた感覚で<営業>しているところも多々あることを思い浮かべれば、


奨学金提供サイドが同様の感覚で<営業>している可能性も高く、その場合悪徳学生ローンと消費者庁の関係のごときものとなってしまうのだろう。


ある意味<18歳では>悪徳学生ローンと社会保障(教育扶助)の大きな違いさへ、判別がつかないのではないだろうかとのことが伺える。

高等教育修了の結果係る様件当事者が取りざたしているのであれば、高等教育の基本ベースに多大な危惧を覚える。


二大政党制を意識した場合、
シングル・イッシュー的な党名は、
その方向性から外れる。

非常に狭量なものと聞こえてしまうのは、
実際には立憲主義、民主主義の次元は、福祉・公共性の枠内に位置する概念。

そんな所感を民主党CI(corporation identity)報道から


言うなれば、護憲の名の下に、と牛歩にまで至たったそのいきさつが、実際には権力との軋轢ではなかった。
それはその後段(自社さ)に明白であり、前段70年安保騒動(争議ではなく単なる騒乱=新宿など)を参照してみても、強く感じる。


広島・中3自殺:「推薦基準厳格化」学校側は生徒に伝えず - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20160…

この事件の主問題は、推薦基準がどうのこうのとの話ではなく、進路<指導>が自殺に至っている点。


例えば本事件において自殺してしまった生徒の過去の触法行為が事実だったとしても、進路指導において自殺に至っては指導以前の問題があったのだろうとの認識に至るのが当然。

情報記録・共有・保管の問題ではない。


逆に記録の瑕疵を示唆することにより、何を糊塗しようとしているかをみるほうがリアリティーがある。隠ぺいのためには手段を選ばない体質がそこにある。でなければ明らさまに視点をずらすようなことはしないだろう。


推薦基準の共有化をこの件で持ち出してきているところが、生徒の自殺後3カ月間練っていた証拠隠滅とねつ造の部分とみた方が実際と合ってくるはず。専門家からみても第三者機関への調査を求めなかったことが指摘されている通り同じように感じる。聖域化と口裏合わせは根深いのだろう。


NHK 女性たちの戦争 被害者に向き合う医師

戦争によりアノミー状態となると女性へのレイプなど横行。

社会学博士号次元での学問的知見によれば、日本などでは被差別内における女性差別(性差別)の方が一般的なそれに比して顕著だとのこと。


それが前近代的な因習を温存していると理解するより、一般的には個々に対する経済的支援、地域混住など施策により解決を試みる方向は以前からであるが、いざアノミー状況に直面すれば、係る近代的思想・施策を凌駕し、基本的な共同体の倫理観が剥き出しとなることがこのようなレポートから伺える。


実際には個々の内省によってもそれは充分可能であり、こういったアノミー状況での惨状をもって悪貨の蔓延とは言い難いものがあることも近代的自我モデルでは既に認識されているとは言え、このhumanisticな状況を反知性と他言がごときと考察することは無知そのもののような気がする。


レポートでは、戦争は性暴力の蔓延を戦略に組み込んでいるとまで言っている。

内縁に対する性暴力は係る内縁すべてを虚無へと陥れることがこの戦略とやらの骨子なのだろう。


亀田選手がテレビに出ている。

<調子に乗ったため>にわたしは嫌われた

との主題でお話をされているが、
おそらくその認識はお門違い。

調子に乗ったことがその主因でないことくらい話に盛り込めないければいけない。

頭脳明晰な人のノリノリダンシングは、嫌われないもんだ。


その主因は、おそらく、どのようにやってもその高効率的な収益性が正当性を帯びてくるくらいの認識の下チームプレーを展開していたからだろう。

わたしのようなものでも、剣道・柔道をやっていた自らの経験から、ファイティングの正当性が公正さを必須とすることくらいは知っている。


<調子に乗っている>なる言いは、ガキが因縁を吹っ掛ける代表例のようなものでもある。加えてリスペ世代において<嫌われた>は自らの権利と正当性を主張するときによく見受けられる言い方。

彼らチームは特に悪気なくプロレスのごとき<ヒールの世界>としてあるのだろう。


多少展開すれば、嫌われたなる受動的主観はリスペクトを基本とする倫理観において能動的に嫌った側を否定的に捉え、ディスを受けた側が相対的に正当性を帯びる。モラル・ハラスメントによく見受けられる方法論。それを戦略的に取り入れると<嫌われたわたし>となり、相対的に正当性を帯びる。


<義理を欠きやがって>が<バカにしやがって>となるのが因縁をつける常套手段だということも併せて思い浮かぶはず。



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