田宮俊作著
子供の頃、プラモデルにラジコンにといろいろと
田宮模型には、お世話になった。
あの頃は、実物に対する忠実度(精巧さ)がやっぱり
他のメーカーとはチョット違うなぁと思っていた。
この本は2代目社長の田宮俊作氏が戦後、先代の小さな
木製模型会社から世界の田宮模型に育てあげるまでの
ドキュメンタリー。
端から見ていると順風満帆に見えた田宮模型も、いろいろ
波乱万丈があったようだ。
木製模型会社の焼失で大きな借金を抱えたり、外国から
プラモデルがどんどん入ってきて、木製模型の需要が
激減、もう後がないところから物語は始まる。
生き残るために試行錯誤を繰り返してして、やっとの
思いでプラモデルに転向。
もともと「大和」などの戦艦の木製模型を作っていた
ため、プラモデル第1号は「戦艦武蔵」だった。
だが、他メーカーに先を越され結果は惨敗、大赤字。
なかなか苦労が報われない日々が続いたのだった。
その後、考えた挙句人気イラストレーターにパッケージ
の絵を描いて貰った戦車「パンサー」のプラモデルが
大当たりし、起死回生を図る。
そしてスロットカー、ジオラマ、ラジコンカー、ミニ4駆
などのブームを次々と巻き起こし、会社も大きくなっていく。
ただ、どの時代でも根底には「取材こそ模型作りの基本」という
信念が流れており、ポルシェなどは実車を購入しバラバラにして
採寸し正確に再現していったという。
この辺が他のメーカーと一線を画すところなのだろう。
子供の頃、プラモデルにラジコンにといろいろと
田宮模型には、お世話になった。
あの頃は、実物に対する忠実度(精巧さ)がやっぱり
他のメーカーとはチョット違うなぁと思っていた。
この本は2代目社長の田宮俊作氏が戦後、先代の小さな
木製模型会社から世界の田宮模型に育てあげるまでの
ドキュメンタリー。
端から見ていると順風満帆に見えた田宮模型も、いろいろ
波乱万丈があったようだ。
木製模型会社の焼失で大きな借金を抱えたり、外国から
プラモデルがどんどん入ってきて、木製模型の需要が
激減、もう後がないところから物語は始まる。
生き残るために試行錯誤を繰り返してして、やっとの
思いでプラモデルに転向。
もともと「大和」などの戦艦の木製模型を作っていた
ため、プラモデル第1号は「戦艦武蔵」だった。
だが、他メーカーに先を越され結果は惨敗、大赤字。
なかなか苦労が報われない日々が続いたのだった。
その後、考えた挙句人気イラストレーターにパッケージ
の絵を描いて貰った戦車「パンサー」のプラモデルが
大当たりし、起死回生を図る。
そしてスロットカー、ジオラマ、ラジコンカー、ミニ4駆
などのブームを次々と巻き起こし、会社も大きくなっていく。
ただ、どの時代でも根底には「取材こそ模型作りの基本」という
信念が流れており、ポルシェなどは実車を購入しバラバラにして
採寸し正確に再現していったという。
この辺が他のメーカーと一線を画すところなのだろう。
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