雨上がりの朝、空や大気は雨に清められて澄んでいた。
予報に反してちょうどいいくらいの陽ざしも。
家中の窓を全開にして、
不安定な気持ちのリセットに外に出ようと思う。
本屋さんに行きたい!とか
ツリーハウス用のお洒落な布を探しに行きたいなーとか
髪を切りに行きたい~とか思うけれど、我慢。
本棚から小説を選んで、
億劫がらずにケメックスのコーヒーメーカーで
香りを楽しみながらコーヒーを淹れて、
いざツリーハウスへ。
気持ちのいい風、心地よい木洩れ日に、鳥たちの歌。
風に揺れる葉っぱのささやき。
どこかで草刈りをしたばかりのようで、草の匂いがした。
ちょっと西瓜に似ている、いい匂い。
そして、
『もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる。
なぜならパリは移動祝祭日だからだ。』
―― アーネスト・ヘミングウェイ
選んでいった本はヘミングウェイの『移動祝祭日』
けっこうな頻度で読み返している わたしのお気に入りの一冊です。
60歳になったヘミングウェイが、
パリで過ごした無名の20代を回想して書いた自伝的短編、『移動祝祭日』。
輝かしい思い出のパリ。
情熱を共有した友人たち、最初の妻ハドリー。
彼の代表的な、有名な作品とはかなり異なるタッチで、
貧しかったが幸せだった若き日々がみずみずしく描かれている。
ヘミングウェイはパリでの日々を
忘れ得ぬ愛する記憶、どこまでもついてくる祝祭として、
自身の人生のなかの「移動祝祭日」に たとえているのですが、
パリがヘミングウェイにとってそうだったように、
おそらく誰もが、自分にとっての「移動祝祭日」を持っているように思うのです。
いまこんなふうに苦しいとき、気持ちが沈んでいるときに、
帰りたいと思える記憶が結びついている対象すべてを「移動祝祭日」と呼ぶのではと。
パリに限らず、
その人にとっての特別な場所、あるいは、ある一定の特別な時期。
…うまく表現できませんが。
それは毎年訪れた旅先かもしれないし、生まれ育った場所かもしれない。
学校かもしれないし、職場かもしれない。
仮にいまも暮らす同じ町の同じ家だったとしても、
かつて子育てに奮闘した何年間といったある特定の期間かもしれない。
なにかに熱中した期間かもしれない。
いずれせよそれは
忘れがたい、いまも心の深奥が疼くようななつかしい場所。
大切な人と共に笑って怒って哀しんで楽しんで、何事にも必死だった場所。
帰りたいと思える場所。
そうした「移動祝祭日」を、皆さんもお持ちではないでしょうか。
冒頭の写真はアナポリス。
アメリカ東海岸に位置するメリーランド州の州都です。
パリではなくてアナポリスが、
あの古く美しい街での一途な数年がわたしの、移動祝祭日。
"If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man,
then wherever you go for the rest of your life,
it stays with you, for all of Paris is a moveable feast."
--- Ernest Hemingway
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