鈍く重い金色の光が
雲を押し退けてゆく朝
眺めながらコーヒーを飲んでいたら
谷川俊太郎の『朝のリレー』のフレーズが
ふっと過ぎりました。
『この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている』と。
いつもどこかで朝がはじまっている』と。
『 朝のリレー 』
谷川俊太郎
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
カムチャッカの若者とメキシコの娘
ニューヨークの少女とローマの少年
それから
詩を読んでいる日本のわたし
みんな
朝でつながっている
朝をつないでいく
世界は広く
果てしないけれど
丸くてちゃんとつながっていて
生きとし生けるものが
こうして朝を、
時間をリレーしながら、
この美しい星を共有しているんだ。
と、
この詩をはじめて読んだときに
そんなふうに思った。
中学の頃だったと思う。
ウブというか単純というか…
もうほんと、つくづく少女だったわたし。
ネスカフェのこのCMを
はじめて見たのは映画館の大画面だった。
美しい朝の空の映像。
静かなピアノ。
鳥のさえずり。
朗読の穏やかな声。
映画がなんだったか忘れてしまったけれど
このCMは覚えている。
空に吸い込まれそうに感じて
背もたれから背中が、離れていた。
朝のリレー
東で生まれた朝は
西へリレーされつづけて
朝は、
この丸い地球のどこかに
常に訪れつづける。
子どもの頃、
世界は美しいと信じていた。
その美しい星を
みんなで共有し共存しているんだと。
世界は難しい問題だらけで
理不尽や不正義や欺瞞や
悲しみや愚かさ
いろいろ知っている大人になったけれど
まだ信じたい。
そんなことをつらつらと思った朝でした。
花数を増やしてきた皇帝ダリア。
後ろのこんもりしている緑は
ツリーハウスのヤマモモの木です。
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