時のうてなに立ちて風を感ず。

To the happy few (Henri Beyle)

『今だけ 金だけ 自分だけ』ということの本質

2021年05月13日 | 考察メモ

お小遣いをもらった子供が、『今だけ金だけ自分だけ』のようにしてコンビニで小遣いを使い果たして菓子を買い、一緒に遊んでいる子たちに分け与えず一人で食べてしまってもさほど問題は生じない。せいぜい友達からの評価が落ちるくらいだろう。

では、政治家や企業の経営者の場合はどうだろう。 何らかの社会的なちからを持つている者がその力を行使すれば、その影響は力の及ぶ範囲にもたらされる。市長なら市民に、県知事なら県民に、そして、総理大臣ならば国民全体に影響が及ぶ。
その政策などを決定する判断基準が『今だけ金だけ自分だけ』で、市民や県民そして、国民のことは二の次なのだとしたらその民にとって良い事など無いことは明らかでしょう。

つまり、社会的な力を持つ人はその力の及ぶ範囲の人々の思いを掬い上げる事が出来て、始めてその役割を全うすることが出来るのではないでしょうか。
社会的な力の大きさと、そこに生きる人々の思いを掬い上げる範囲の広さとの間に乖離が生ずるとき、様々な問題やコンフリクトが発生するのだと思う。

『今だけ金だけ自分だけ』という価値判断基準の本質はこの乖離にある。
この乖離という視点で現今の政治家や官僚、企業の経営者などを見ると暗澹とした思いがこみ上げるのは私だけだろうか。


日本の凋落

2021年04月22日 | 考察メモ
 それは、今からおよそ30年前になる。
ソ連の体制が崩壊したとき、その混乱に乗じて国民の共同資産を不正にかすめ取った者たちがいた。オリガルヒと呼ばれるその者たちは、生活に苦しむ一般の人々を後目に巨額の富を手にした。
 さて、日本では国が崩壊するような政治的混乱は無かった。でも、少し前になるかも知れないけれど、ソ連の崩壊とほぼ同じ時期にバブル経済の崩壊という出来事があった。それ以降『失われた十年』…20年、30年…、日本の経済は凋落するばかりだ。
 旧ソ連がロシアになって、エリちん政権の時ロシア経済は西側の巨大資本やオリガルヒたちに食い荒らされたけれど、プーチン政権になり再独立とも言われるような経済の立て直しが成された。
 日本ではバブル経済の崩壊以降、派遣法のなし崩し的改定による派遣業種の拡大や郵政民営化などによって国民の資産をハゲタカにさし出すなどで、経済的な格差の拡大が進んでいる。
 ロシアのエリちん時代の混乱のような状態が日本では30年の間ずっと続いているようなものだ。もちろん日本の場合混乱といってもエリちん時代のようなひどいものではない。一般の人々は変化の意味に気づかないかもしれない。しかし、結果として日本経済が凋落しているのは事実だ。


今の世の中をどう認識しているのか。(2)

2021年04月11日 | 考察メモ
 私たちが日々暮らし生きる中で、直接的に知ることのできる世の中の動きや変化は本当にわずかしかありません。ほとんどと言っても良いほどの事が、新聞やテレビやネットなどを通じて知識を得ているのではないでしょうか。
 以前から何となく不信感をいだいていたものの、2011年の3.11以降福一原発大事故関連の報道に接して、政府、地方自治体や多くの専門家と呼ばれる人たちに対する信頼を失くした人が多かったように感じました。
 

今の世の中をどう認識しているのか。

2021年03月24日 | 考察メモ
 ほとんど隠遁しているといっても過言ではない日々を暮らしている。それでも、危機感がつのっていく。暮らしの先行き、社会の先行き、共に不安が増している。
 そこで、今の世の中をどう認識しているのか少しずつでも記録しておこうと思う。
 先ずは大雑把な流れとして、近代国家(Nation State)の力が弱まってきており、様々な私的権力が国家の枠を超えて力を付けてきている。フランクリン・ルーズベルトの云うところの『私的権力が国家を壟断することはファシズムである』という状態は国家ファシズムと言えるだろう。しかし、2021年の現在私的権力は国家の枠を超えており、その力を及ぼすのも複数の国家に渡っている。
‐続く‐

戦後という言葉が実感をもっていた日々。

2016年08月05日 | 考察メモ
物心のついたばかりの幼かった頃に、地方都市の繁華街で白い装束に身を包み
アコーディオンで物悲しく軍歌を奏でながら物乞いをしている傷痍軍人の姿を
しばしば見かけた。
国の中央で戦争を推進していた人たちは、一部の人達を除き、『一億総懺悔』の
言葉でその責任をうやむやにして復活していった。
戦場で命のやり取りをした兵隊たちは、命を失い、傷つき、命を奪い、傷つけた。
今回の内閣改造で防衛相になったひとは、おそらく、上記の様な傷痍軍人の姿など
知らないだろうな。

言論の自由について

2014年10月19日 | 考察メモ

社会というシステムに於いて言論の自由が意味するもの。
民主主義という社会システムをまわして行く為の基本条件となるものである。

言論の自由な社会は次の3つの関係が円滑に機能している。
1、発言(表現)する人。
2、媒介する手段。
3、発言を受け取る人。

1、発言する人の自由とは何か。
2、媒介手段の自由とは何か。
3、発言を受け取る人の自由とは何か。

2022/07/27 追記

1、発言する人の自由

発言する人の自由とは、物理的、精神的、社会的、禁止や制限、妨害などが無い事は言うまでもないことです。

その上で、言語能力及び主張したい事柄について十分に理解していること。

言語能力とも重なりますが、対話能力も重要な要素になるでしょう。こちらの発言を受け止める人が、発言内容を正しく理解したかどうかを判断できなければ、言いっぱなしになってしまいます。対話や議論を積み重ねて、互いの知見をぶつけ合って、その中から新たな視点や枠組みの地平を見出すことはとても重要です。対話や議論や思考を重ね、新たな視点や枠組みを取り込む思考の自由な柔軟性は、言論の自由の項目の中でも最も内なる内面の自由とでもいうべきものです。


2022/11/26 追記

自由一般についてのメモ
拘束されていない状態や制約のない状態といった、辞書に載っているような事は考察の対象外です。

いくつかのテーゼ
自由とは知る事である。
自由とは選択肢である。

ヘーゲルにせよフロムにせよ、彼らが考察対象としたのは個の確立した人であるように思う。だがしかし、もつと根源的な自由についての考察の可能性を求めてみようと思う。

生まれたばかりの赤子の自由とは、いったいどの様な事なのか考えてみよう。

― 不定期ですが、少しづつ追記したいと思っています ―