一度目の人生が最期迄順調だった時、二度目も同様に順風満帆に行く筈も無い。
一度目の人生が初めから終わり迄が艱難辛苦だったが、二度目も艱難辛苦の人生かも知れない。
不思議なもので、幾ら言動に最新の注意を払って行動しても、渦に吸い寄せられる様に自分自身の置かれている立場が悪くなる事も在る。
そして負の現象が頻発する。
自身に原因が在るのか、自分以外に原因が在るのか。
又、其の逆も在る。
我々は、自身に起因するものも在るが、他に絡め取られる事も在る。
善き事に、善き人に絡め取られるのは大いに結構な事ではあるが、大概は悪しき事や人に絡め取られる事の方が圧倒的に多い。
引き寄せの法則等といった言葉を使う人も居るが、引き寄せるばかりではなく、自ら引き寄せられる場合も在る。
発心して事を始める際に、「よし、此れでやってみよう」とスッキリした気持ちになり、自身では最良の判断をした積りが、最悪の結果となる事も在る。
旅行に出掛ける当日の朝は目覚めも良く、黙念しても特に心に引っ掛かる予感も無い。
楽しい旅行になると意気揚々と出掛けたはいいが、夜には冷たくなった体を家族に引き取られる事も在る。
幾ら気を付けても、其の渦から離脱する事が出来ない事の方が多い。
だが中には、数ヶ月前から予定を組んで準備万端で当日を迎えるのみ。
其の当日、体調が優れず出掛ける準備に持たついてしまい、乗るべき時間の飛行機に乗れず、次の便に変更した。
其の日、飛行機が墜落し乗客の殆どが死亡した…。
そう日航ジャンボ機墜落事故である。
定刻通り搭乗していたら犠牲者となっていたが免れたと云うエピソードを、テレビの特番でやっていた。
特番名は相当昔だったので忘れたが、エピソードだけは印象的だったのでハッキリ憶えている。
態々、災難の渦に自ら飛び込む人も居れば、油が水に弾く如く災難から弾き出される人も居る。
此れは何によるものだろうか。
新興宗教に入信している信者(宗教オタク)等に云わせると…
「災難に遭うのは自身の心が整っておらず、信心とお布施が足りないからだ」
「災難に遭わなかったのは、我が教団の素晴らしい教えを実践し、お布施も十分にしていて活動している功徳である」
と答えが返って来る。
災難に遭う、遭わないタイミングとは何だろうか…。
玄関を1秒の差で出る事で先の出来事が決まってしまうのではないかと思う。
否、起床した時の何時何分何秒かも知れない。
胸騒ぎ、虫の知らせと云う言葉が在る。
朝一、付図、何かモヤモヤしたら何か在ると思って注意を払方が良いのか…。
モヤモヤして行動を制限して、其の日が無事に過ごせれば、行動を制限した事は決して無駄ではない。
「直感を信じたら間違いない」
と吾に云った者が居るが、閃く直感は正しい事のみとは限らない。
普段から心掛ける事は何か…。
余り怒らず、人を憎まず、心を穏やかにする。
吾は此れが出来ない。
何時も取越苦労をし、何か起これば一喜一憂してあたふたと右往左往し、冷静さを欠いて先走り、策が在るのを見落としたりして一人相撲を取っている…。
平常心と云うが、此れ程難しい心の状態は無い。