1/3迄で4日から始動である。
今年は、後半から怒涛の日々の連続だった。
此れ程迄に、福祉サービスについて奔走したのは初めてである。
享受出来る福祉サービスの凡ての手続きをした。
祖母が倒れると云う事が無ければ、此れ程迄の福祉サービスが在る事に気が付かなかった。
此れを知らず真面に福祉、医療機関に掛かっていたらとんでもない額になっていた。
ソーシャルワーカーが駐在しているので、色んなアドバイスをくれるので助かった。
或る家庭では、急性期の治療後、次の入所先を考えず、自宅で介護をすると頑なに拘る例も在る。
感傷的になって、倒れた身内が愛おしくなって自宅介護すると云って、全く耳を貸さない人もいる。
大体、斯様な例は患者と介護する側が共倒れとなるケースが殆どである。
そうは云っても、其々の事情でそうせねばならぬ場合も在るので一概には云えぬ。
ソーシャルワーカーは、色んな相談を受けているので、其々の家庭の事情を熟知している。
ソーシャルワーカーは初めに、自宅で介護サービスを受けて介護するか、施設等の入所をするかを聞く。
施設等の入所は、当事者本人の意志がどうか問題になる。
体(四肢)が不自由になったが、頭はハッキリして意思表示は元気な時と全く変わらないと云うのが結構厄介である。
本人が施設入所に前向き、又は希望していれば、物事はスムーズに運ぶ。
頑なに拒否している場合は、家族に相当な負担が来る。
実は、吾の祖母が倒れた同時期に、職場の先輩の父親が急に倒れ寝た切り状態となったのである。
身体は儘ならぬが、頭がハッキリしている様で、當に上記の例の通りである。
と云うか、其の事を先輩本人から聞いていたので、其の事を書いた次第である。
こう云う例が家族にとって負担が来て、煩わしい話かと云うと、其れは家族等の受け止め方と認識である。
正解、不正解の話ではない。
家での介護が出来るポテンシャルが在れば其れは其れで結構な事では在る。
吾の場合は、祖母との二人暮らしであった為、吾が日中は仕事で留守をするので、其の間に祖母を放っては置けない。
自宅へヘルパーさんをお願いしても、常時付きっ切りと云う事も出来ぬ。
其れこそ、住み込みの家政婦でも雇えれば話は別だが、そんな事は夢物語上の話である。
一時期、吾も感傷的になり、介護サービスをフル活用して自宅介護でやれる余地は無いかと探ってみた事が在った。
出た答えは、
「今の吾の収入レベルではカネは払えぬし、共倒れとなる」
と出た。
とは云え、祖母の介護度に合致する福祉サービスをフル活用し、控除等を使っても、月に8万円は掛かる。
介護度が軽ければ介護の点数も低いので多少は違うだろうが。
月に8万円は、現在の吾の経済力の上限である。
否、上限を超えていると云った方が正解である。
足らない処を、其れ形にしていた貯金を切り崩し乍らやっている。
でも、こうやって行くしかない。
貯金が底を突いたらどうしようかと不安に襲われる事が在るが、其れで傷心している暇は無い。
一時期、馬鹿上司に翻弄されて心労が半端無いと書いた事も在ったが、今ではそんな下らん事は気にも留めなくなった。
此の半年間の奔走で、脳裏から消え去っていた。
馬鹿上司に拠る、幼稚な圧力等は此の半年間の奔走と比べたら、爪の垢.....否、恥垢の欠片程でも無い。
今入院している、介護医療院を何れは出て、介護施設へ入所をせねばならぬが、何とか道筋はついているので、ジタバタする事も無い。
とまぁ、ドタバタの半年だった、2021年の後半。
吾も祖母の件で疲労が蓄積して体調を崩していたが、今では体調が戻り、祖母も介護医療院で容体も安定し穏やかに過ごしている。
今年2021年を総括して出た答えは、
今年一年は良い年だった!
終わり良ければ凡て良し(善し)である。