絶交した友人に言われた言葉を思い出し、劣等感を感じてしまうことにお悩みの ゆうこ さんからのご相談です。
★ご相談文★
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父親が無関心、母親が過干渉という環境で育った弟がいる長女です。家族と距離を置けるようになり、拒食症の回復期でいろいろと過渡期です。
私には母親代わりの友人がいたのですが、「ゆうこってほんと自信ないよね、私は自己肯定感高いけど」と言われたり、うつの私を心配した後に「私はうつにならないけどね。私って健康で恵まれてる」と言われたりするのが嫌ということに気づいて数年前に絶交しました。
嫌だったことを伝えて謝ってはもらったのですが、最後まで「本当に昔から自信ないと思ってたよ」と言われ、そのときの悔しさや惨めな気持ちが今でも消えません。
嫌だったことを伝えて謝ってはもらったのですが、最後まで「本当に昔から自信ないと思ってたよ」と言われ、そのときの悔しさや惨めな気持ちが今でも消えません。
ここ3年ぐらい療養中で、何もしないで休めていることがありがたい一方で、「あの友人に弱っていることを知られたらまた見下されてしまう」という思いが頭をよぎってしまいます。
また、彼女には子どもがいたのに私にはいないこともコンプレックスです。欲しいと思ってはいるのですが、今は休むしかない状態なので、年齢的なこともあり焦ったり不安になったりしてしまいます。
この劣等感を払拭するにはどうすればいいのでしょうか?
この劣等感を払拭するにはどうすればいいのでしょうか?
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(ご回答)
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こんばんは。
この度は勇気を持ってご相談をお寄せくださり、ありがとうございます。
ご相談文を拝読していて、何よりもまずお伝えしたいことがあります。
それはご自身が
母親代わりとまで思っていた友達と絶交したこと
自分の心が傷つく環境から、自ら離れる選択ができたこと
・・・そうした「ご自分を大切にする気持ち」を実行に移すことができたこと
それが何よりも素晴らしいことだと私は思いました。
ゆうこさんは「家族と距離を置けるようになり、拒食症の回復期」なのですよね?
家族というご自身とって大切な存在から距離を置き
そして、そんな状況にあって、母親代わりであった友達と絶交するには
引き換えにやってくる深い孤独を受け入れる必要があったはずです。
それには、並々ならぬ覚悟と決断が必要だったと推察いたしますが
いかがでしょうか?
ご両親から思うように愛されなかった
その孤独を抱えて今も生きている
そんな時に、母親代わりと思うほど親しい友達に
たとえ心ない言葉を浴びせられたとしても
これ以上孤独になるよりはマシだ
・・・そう思って我慢してしまうのが自然だと思います。
それでも、ゆうこさんは我慢をせず
ご自分を大切にするため、そのご友人と絶交することを選んだのですよね。
そんな決断と行動ができたご自身を、ぜひ誇りに思っていただきたいと私は思います。
「私は自分を大切にするため、絶交を決断した」
「私はこれからも、自分を大切にし続ける」
・・・こう呟いてみた時に、どんな気持ちがしますか?
もし心がじんわりと熱くなったり、力が湧いてくるような気がしたり
そんな風に感じられるのであれば、何も問題ありません。
ぜひ今後とも、その気持ちを忘れずにいらしてください。
そうした心の姿勢を保つことが、自己肯定感の維持と向上につながり
ひいては、自分を見下しマウントを取ってくるような人に対し
評価される必要も、また羨ましがる必要も無いことが
自然と実感できるようになります。
しかし、もしゆうこさんがご友人と絶交したことを後悔していたり
ご友人に対する罪悪感を感じているのであれば
もしかしたらゆうこさんがご友人に劣等感を感じているのは
その罪悪感を埋めるためなのかもしれません。
人は、大切にしたい人を大切にできない時に罪悪感を感じます。
しかし、誰しも「私は大切な人を大切にできていない」と感じるのはイヤですので
それを感じないために
「私は相手から不当に扱われている」
(=私ではなく、相手が私を大切にしていない)
「私は相手より劣っている人間である」
(=私のような劣った人間が相手を大切にしているかしてないかなんて、取るに足らない・無意味なことだ)
・・・そう思い込もうとします。
ゆうこさんは、本当にご友人と絶交したかったのでしょうか?
それとも、本当はご友人を大切にしたかったけれど
ご友人の心ない言葉の数々に傷つくのがイヤで
仕方なく絶交されたのでしょうか?
ぜひ一度、ご自分の心に手を当てて、考えて・感じていただけますと幸いです。
またご友人についてですが
文章を拝読する限り、ご友人の自己肯定感は自称とは異なり
決して高く無いように思われます。
まず自己肯定感が高い人は、相手に対してマウントを取りません。
また自己肯定感が高い人は「私は自己肯定感が高い」と自称しません。
どちらも、自己肯定感が高い人には必要のないことだからです。
ひょっとしたら、劣等感が強い・自信が無いのはゆうこさんではなく
ゆうこさんにマウントを取って自己肯定感の高さを自称するご友人の方かもしれません。
よく「相手は自分の鏡」と言いますが
自分が大切な相手に対して劣等感や葛藤を抱いている時には
往々にして相手も自分に対して同じような感情を抱いています。
家族や友人から意志を持って離れる道を選び
自分を大切にするために、表面的に取り繕うことをせず
療養を選ぶ決断力のあるゆうこさんに対し
劣等感や嫉妬心を抱いているのは、ご友人の方かもしれません。
そう考えてみた時に、ゆうこさんはどんな気持ちがしますか?
自己肯定感が高く、自分を大切にする選択ができる
さらには心優しいゆうこさんは
そんなご友人を哀れに思ったり
「私なんかに対して劣等感を持つ必要無いのに・・・」
・・・と思ったりされるのでは無いでしょうか?
こうした気持ちは、全てご友人への思いやりから来ています。
思いやりは立派な愛情です。
ゆうこさんは、本当はご友人に(広い意味での)愛情を持っていて、愛情を与えたいのでは無いですか?
もし少しでもそう思われるのであれば
ぜひその気持ちも大切にされてください。
私たちは、自分を傷つけた存在をも愛することができます。
それは、今ゆうこさんがされているように、ご自分の劣等感=弱さを見過ごさずに光を当て
その思いをご自分の一部としてじんわりと感じること
そして、相手も自分と同じように弱さを抱えた一人の人間であるとしっかり見据えること
これらを通じてできるようになってゆきます。
どうか焦ることなく、ご自分の心の中に埋まっている感情を掘り下げて
しっかり光を当ててあげてください。
ゆうこさんがご自分自身を、そして大切にしたい相手を大切にし
弱さと強さを抱えつつ、ご自分らしい人生を送られることを
私は心よりお祈りしております。
ご参考になりましたら幸いです。
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(以上です)
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も素敵な1日を。
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アナタに明日への希望をお届けする「情熱の女」カウンセラー
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