昨日の「Livedoor let die」で反省。反論にビクつくなんてとんだ愚だった。この姿勢こそがクライトンの懸念するところの多様性の減少の元凶。
せっかくのネット社会ではむしろ同類同士で徒党を組むことこそナンセンス。
異種と交配してこそネットの真のメリットがある。必要とあらば自分の主張をも淘汰する覚悟が必要ってもんだ
で前回の「Livedoor let die」に対するツッコミどころはどこだろうと自ら考えてみる
ありそうなのが
「今回の問題でIT全体を否定してたら進歩もクソもねーだろう」っていうツッコミ。
IT全体を否定してるのかといえば、やっぱり75%くらいイエスかなと思う。
そこらじゅうで大して必要のないものが、人間を乗せないまま見切り発車的されている感がある。それがたとえ必要なものやサービスであってもそのデメリットいかんによっては多少足踏みしてるほうがマシなんじゃないのか?
ビル・ジョイ曰く
「悪いことが起きる可能性が2ケタあるのなら、ボクらは何をすべきか考えなければならないんだ」。
クローン電話しかり
原発事故しかり…
原発なんかは2ケタより下でも考えるべきだ
「リスクをゼロにすることなんていできやしないけど、だからといってリスクを減らす努力をしなくっていいことにはならないんだ」
↑電磁波の問題なんかいまだに論議されてるけど、全体としては「便利が優先、ま、いっか」って感じでしょ?それでいいのかなー
浅間山荘事件で有名な佐々淳行氏が
「リスクマネージメントというのは人命がかかわっているときは時には、石橋を叩いて渡らない勇気も必要」
というようなことを言っていた。
例えば「祝賀パレードで通る橋に爆弾仕掛けたぞ」と脅迫されたら、その場所は厳重に警備してたはずだから大丈夫…ではなく、爆弾あるという可能性が完全につぶされない限りは、たとえ祝典が台無しなろうとコース変更も辞さない…ってこと。
もちろんプロだから祝典も安全も両立させるよう全力を尽くすわだけど、人命をなによりも最優先するってわけだ。
この話をきいたとき数年前の「買ってはいけない」論争を思い出した。カップ麺の容器から有害物質が溶け出すのではないかという指摘にたいして食品会社の人は
「研究中でよくわかってないんだから有害ときめつけるのは乱暴」
という答えている記事があった。
これをさっきの例に例えると爆弾は捜索中だけど、まだみつかってないのだから橋は渡ってくださいということだ。
一応、こっちだって“人命”にかかわってるかもしれないのに(苦笑)
「買ってはいけない」が出版されたときに、文春はトンデモ本だと猛攻撃したけど
論争が一段落したころに「週刊文春」(99/12/02付号)にのった「成分表示ですぐわかる“本当に買ってはいけない”…」という記事の中で、“危険”と指摘されていた添加物群は「買ってはいけない」にのっていたものとあまりかわりばえはしなかった。
つまりは「『買ってはいけない』は細かいデータが間違っていたのと、具体的に商品名をあげて攻撃したのがけしからん」ということだったらしい。
まさに木を見て森を見ず…だ。
枯れ木を守って、森が全滅…なんてね。
食品やたばこは爆弾のように“即死”するわけではないので煙にまきやすい。たばこだけにね…。かくして経済性や政治性が優先されて野放し状態なのだろう。
IT関連技術のデメリットというのはさらにわかりにくい。
“放送局”というメディアをマネーゲームの材料にするなというけど、ITというインフラこそマネーゲームのネタにしちゃいけないと思う。インフラって人間の生活そのものだから。
でもいまや“株”といったらITだし、“買収”といったらITだ。
ITのまわりには金と政治の匂いがプンプンする。こっちも経済性が優先されていくので、ほおっておけばどんどん売り手主導の環境になっていくかもしれない。
パソコンがいつまでたっても簡単にならない。その理由もそんなところにあるかもね。
「コンピュータが難しい難しいっててうけど、みんな知らないうちに使っているんですよ~・」
そこがますますコワイところだ。クローン電話とかスキミングはユビキタス時代にはどんなカタチに変貌して襲いかかってくるんだろう?
★江川紹子ジャーナル ~ 社会のこといろいろ~
「新聞・テレビを殺します」 ~ライブドアのメディア戦略
↑ホリエモンがもたらしてくれるのはA、B、C...という多彩な選択肢ではなく
「うちは『C』というやり方だけを残すことにした
だってほかのは古くさいんだもーん
でも安心してくれ、その『C』の中に盛りだくさん詰め込むからさぁ
あとはみんなが決めるのさ、好きなのを買ってくれたらいい
売れない物はどんどん切って、その分売れるものを供給してくぜ
どうだ?素晴らしいだろ?」
…ってことか
CDや書籍の再販価格維持制度がなんであるのかというと
理由の1つには売れそうな軽薄・安価なものだけで市場が埋め尽くされると文化レベルが低下するからってことらしいが
ホリエモンの理想はモザイクのようだった社会がキレイに塗りつぶされていくことか
(インターネット黎明期に「モザイク」なんて名前のブラウザがあったっけ…なんという皮肉)
でも、それはみんなのニーズが選んだ結果だから!
おれの色じゃなくってみんなの好きな色なんだよ!
別に強制したわけじゃない!
みんなの欲望が作り上げたんだよ!
まさにマイケル・クライトンが恐れていた“楽園”の完成だ。
▼参考(or 引用)リンク
●Bill Joy Hopes Reason Prevails
●Why the future doesn't need us
●Michael Crichton Interview
異種と交配してこそネットの真のメリットがある。必要とあらば自分の主張をも淘汰する覚悟が必要ってもんだ~
アクセス爆で最近、色々迷ってましたが「な~んとなく」考えがまとまりした。
「ブログのアク爆」前に読んだときには気がつきませんでしたが再読して気がつきました(笑
なんとなくでも私の文がヒントになれたのでしょうか。だとすれば嬉しい限りです。
ただ私はといえば、未だにアクセスというものをどう捉えて、今後、どう取り組んで努力していけばいいのか答えが出ていません。差し支えなければ、そのまとまった考えをブログのテーマにして書いていただけないでしょうか?
アクセスの内容が解らないですしわからない事だらけですんで(笑
例えば…
増える事が正しいのか?
減るのが悪い事なのか?
何故、数字が増えるのか?
書かなくても数字が変らないのは何故?
取り上げる御題が狭くても、それなりのアクセスが有るのは何故?
他にも山の様に疑問が有り、解らない事だらけです。
只、当面はアクセス数を可能な限り意識から抜く事にしました。
今の私には「それ位」の事しかできません。
多分、一ヶ月位経てばアクセスに対する理解が進むかもしれませんが、私の場合は、まだブログ開設して10日位なんで、経験が足らないです(笑
書けるときが来れば書いて見ますが、時間がかかるはずです。
月300円程度だったら惜しくもないと「アドバンス」にしようかと何度か思いました。
リンク元もわかるので、なんとなく傾向がわかるのではとも思ったのですが、逆に中途半端に迎合してしまうんじゃないか…という不安もありいまだ踏み切れていません
アクセス数ですが一回、底まで落ちてからまたジワジワと上昇しており、今度は割と平均的に推移しているのでホンモノか?なんていいように捉えてますが…