自分もすっかり年を取ったと思うのだけれど、お笑いを見ていてみいても「デジタル世代のネタ」だなぁ…と感じてしまうことがある。
デジタルというと誰でも思い浮かべるのはのは陣内智則のネタだろうが、実は最初に感じたのは「インパルス」のブレークしたころのネタだ。
医療問題のようなノリでいちいち先輩の仕事に突っ込む見習い美容師のネタとか、政治犯のように思想を語る単なるキセル犯のネタとか…。一見すると、むかしドリフがやってた「もしも●●な…がいたら」シリーズの平成版と見えなくもないのだが、私はデジタルな匂いを感じてしまったのだ。
そのデジタル世代感が極まったのが「アンジャッシュ」の一連のネタ。まさに“コピペ世代”が生んだデジタルコントだと思ったのだ。
マークシートを一段間違えたら全問が不正解になってしまうようなどんでん返し感、一瞬の検索置換のような緻密さ、はたまた自然発生的変換ミスのような可笑しさ…。
インパルスのネタもドリフのようなアナログな「ごっこ」ではなく、デジタルな「置換」に映ったのだ。
中川家のようなむかしながらの“芸”を守って欲しいという一方で、新世代の笑いに麻薬的にハマっている自分がいると気が付く。
ただ、私のアタマの中で、もうひとつある事件がリンクしてくる。
昨年の紅白でorange rangeの「Locolotion」の作詞・作曲のクレジットが変わっていたとネットや雑誌でちょっとした騒ぎになっていた。盗作はよろしくないけど、んなぁこたぁ昔もよくあったことだと軽く流して傍観していた。
たとえばあまりに古い例でお年が知れるというものだが八神純子の「パープルタウン」も数週にわたってベストテン入りするようなヒットだったが、ある日突然作曲者のクレジットに外人の名前がはいった。この当時は日本の歌謡曲なんてパクリの嵐だったから、またかい…と思っただけだった。実際には訴えられるとこまでいくというケースは少なかったが。
ついでに言うとあの元ビートルズのジョージも盗作で訴えられて負けている。
だが…である。
盗作は時代がかわろうと卑しい行為なのだろうが、orange rangeの周辺からはあきらかに昔とは違う時代の異質な匂いがプンプンしてくるのだ。
どういうことかというとかつての盗作者は悪いとわかってやっている(←それもタチは悪いが)が、いまはその意識さえ希薄なのではないかということ。
以下がタワレコの情報誌のオンライン版に掲載されていたorange rangeのインタビューの抜粋
「聴いてて気持ちいいものは、自分たちがやっても気持ちいい。それを採り入れたらもっと気持ちいい曲ができるから、聴いてる人もきっと気持ちいいだろうと。
~中略~
参考にできるものは全部参考にしようと。オレたちの中の合言葉は〈パクろうぜ!〉です(笑)。まずはカヴァーするんですよ。で、ここをわかんないようにしようとか、ここ使ったらバレるだろ、とか話し合う(笑)」(NAOTO:以下同)。
★引用元
“わかんないようにしよう”と言っているので、一応悪いことと思っているのかな…とみえないこともないのだが、事件のあとのコメントで
「パロディだ」と言い張ってたというのだ。
これには開き直りとはまた違う気持ち悪さを感じたし、ブルースミュージックにあるようなオープンな思想とももちろん違う。
コピペ世代が自分と他人の区別がつかなくなっているような感覚に陥ってるのではないか?…と思ってしまったのだ。ある意味悪気がないというか。「え?なにが悪いの?そういうものでしょ…」みたいな。●●●ちゃんの万引きやダルの喫煙に対する意識も同じようなものか?
そこに巨大企業の身勝手主義による保身が複雑に絡みあって、いびつな文化を形成しつつあるのではないか…と。
今回の経緯を見るとシングル発売時は「Locolotion」は作詞・作曲は彼ら自身になっていたが、その後“原曲”の日本における権利者である東芝EMIとの話し合いがもたれ、アルバム発売時にはクレジットも変更されいまは全額ロイヤリティは東芝へ行っているという。
EMI側が騒いで世間に経緯を好評してももいいようなものだけど、同業界の大企業同士の談合的体質の結果ではないだろうか?
つまり東芝のほうもきっと似たようなことをやっているかもしれないし、これからもやるかもしれないし、とにかく音楽ギョーカイ盛り上がればいいんじゃない?って。
盛り上がればいいんじゃない…っていうと聞こえがいいけど、儲かればいいんじゃない?客は騙し通さないといけないから騒がない、騒がない…ってことでそ。
だいいち、阿倍なつみが出場辞退なんだったら、orange rangeだって紅白出られないはずでしょ。どっちが罪が重いっていったら紅白で披露する“楽曲”そのものにかかわるほうでしょ。
どうせ、タレント本なんてゴーストライターが書いてるんだし(笑)。(一説によるとあの一見は独立を企てた阿倍なつみ潰しだとか…)
orange rangeは一見、若者側のヒーロー的に見えるけど、実質的な立場は完全に大企業側の集金マシンだ。
著作権とかって大企業が必死になってあの手この手で守ろうとしているけど、ほんとに守りたいのは個人の権利ぢゃなくって大企業の利権ですからぁ…、ざんねんっ!
デジタルというと誰でも思い浮かべるのはのは陣内智則のネタだろうが、実は最初に感じたのは「インパルス」のブレークしたころのネタだ。
医療問題のようなノリでいちいち先輩の仕事に突っ込む見習い美容師のネタとか、政治犯のように思想を語る単なるキセル犯のネタとか…。一見すると、むかしドリフがやってた「もしも●●な…がいたら」シリーズの平成版と見えなくもないのだが、私はデジタルな匂いを感じてしまったのだ。
そのデジタル世代感が極まったのが「アンジャッシュ」の一連のネタ。まさに“コピペ世代”が生んだデジタルコントだと思ったのだ。
マークシートを一段間違えたら全問が不正解になってしまうようなどんでん返し感、一瞬の検索置換のような緻密さ、はたまた自然発生的変換ミスのような可笑しさ…。
インパルスのネタもドリフのようなアナログな「ごっこ」ではなく、デジタルな「置換」に映ったのだ。
中川家のようなむかしながらの“芸”を守って欲しいという一方で、新世代の笑いに麻薬的にハマっている自分がいると気が付く。
ただ、私のアタマの中で、もうひとつある事件がリンクしてくる。
昨年の紅白でorange rangeの「Locolotion」の作詞・作曲のクレジットが変わっていたとネットや雑誌でちょっとした騒ぎになっていた。盗作はよろしくないけど、んなぁこたぁ昔もよくあったことだと軽く流して傍観していた。
たとえばあまりに古い例でお年が知れるというものだが八神純子の「パープルタウン」も数週にわたってベストテン入りするようなヒットだったが、ある日突然作曲者のクレジットに外人の名前がはいった。この当時は日本の歌謡曲なんてパクリの嵐だったから、またかい…と思っただけだった。実際には訴えられるとこまでいくというケースは少なかったが。
ついでに言うとあの元ビートルズのジョージも盗作で訴えられて負けている。
だが…である。
盗作は時代がかわろうと卑しい行為なのだろうが、orange rangeの周辺からはあきらかに昔とは違う時代の異質な匂いがプンプンしてくるのだ。
どういうことかというとかつての盗作者は悪いとわかってやっている(←それもタチは悪いが)が、いまはその意識さえ希薄なのではないかということ。
以下がタワレコの情報誌のオンライン版に掲載されていたorange rangeのインタビューの抜粋
「聴いてて気持ちいいものは、自分たちがやっても気持ちいい。それを採り入れたらもっと気持ちいい曲ができるから、聴いてる人もきっと気持ちいいだろうと。
~中略~
参考にできるものは全部参考にしようと。オレたちの中の合言葉は〈パクろうぜ!〉です(笑)。まずはカヴァーするんですよ。で、ここをわかんないようにしようとか、ここ使ったらバレるだろ、とか話し合う(笑)」(NAOTO:以下同)。
★引用元
“わかんないようにしよう”と言っているので、一応悪いことと思っているのかな…とみえないこともないのだが、事件のあとのコメントで
「パロディだ」と言い張ってたというのだ。
これには開き直りとはまた違う気持ち悪さを感じたし、ブルースミュージックにあるようなオープンな思想とももちろん違う。
コピペ世代が自分と他人の区別がつかなくなっているような感覚に陥ってるのではないか?…と思ってしまったのだ。ある意味悪気がないというか。「え?なにが悪いの?そういうものでしょ…」みたいな。●●●ちゃんの万引きやダルの喫煙に対する意識も同じようなものか?
そこに巨大企業の身勝手主義による保身が複雑に絡みあって、いびつな文化を形成しつつあるのではないか…と。
今回の経緯を見るとシングル発売時は「Locolotion」は作詞・作曲は彼ら自身になっていたが、その後“原曲”の日本における権利者である東芝EMIとの話し合いがもたれ、アルバム発売時にはクレジットも変更されいまは全額ロイヤリティは東芝へ行っているという。
EMI側が騒いで世間に経緯を好評してももいいようなものだけど、同業界の大企業同士の談合的体質の結果ではないだろうか?
つまり東芝のほうもきっと似たようなことをやっているかもしれないし、これからもやるかもしれないし、とにかく音楽ギョーカイ盛り上がればいいんじゃない?って。
盛り上がればいいんじゃない…っていうと聞こえがいいけど、儲かればいいんじゃない?客は騙し通さないといけないから騒がない、騒がない…ってことでそ。
だいいち、阿倍なつみが出場辞退なんだったら、orange rangeだって紅白出られないはずでしょ。どっちが罪が重いっていったら紅白で披露する“楽曲”そのものにかかわるほうでしょ。
どうせ、タレント本なんてゴーストライターが書いてるんだし(笑)。(一説によるとあの一見は独立を企てた阿倍なつみ潰しだとか…)
orange rangeは一見、若者側のヒーロー的に見えるけど、実質的な立場は完全に大企業側の集金マシンだ。
著作権とかって大企業が必死になってあの手この手で守ろうとしているけど、ほんとに守りたいのは個人の権利ぢゃなくって大企業の利権ですからぁ…、ざんねんっ!
みたいにする分にはいいと思うけど
こそこそやってるのはいい気分しないですね
わかんないうちに似ちゃうってのもあるだろうけど
絵の世界なんかは
もっとビミョーですよ
好きな作家に絵が似る人は多いしね
そういえば「キル・ビル」もオマージュって宣言しちゃえばなんでもありなのかよ…って苦言を言ってる人もいましたね。個人的には好きなんですけど。
絵といえば漫画だとアシやってた人はボスと同じような絵になりますよね。(ってこれは意味合いがちょっと違うか…。)
昔、中学生のころ藤子プロに見学に行ったことあるんですけどプロ内の同人誌みたいの貰ったんですけど意外と絵柄がみんな違うんだなぁ…とへんなことに感心したの覚えてます(笑)…ってさらにハナシそれちゃいましたか。
hiphopを例にとると、サンプリングとかあるし。
お笑いも、DJみたいなもんなのかな?
しかし、最近の若手(はねる系)は低レベルだ
hiphopを例にとると、サンプリングとかあるし。
お笑いも、DJみたいなもんなのかな?
しかし、最近の若手(はねる系)は低レベルだ
サンプリングはどんなに細切れでも著作権料が生じるという判例がアメリカで出たみたいですね。曲に関しては一般的に4小節以上を曲というらしいですね。
まぁ、はねトびですけどテレビのスピードで消費されるんでネタ的にキツいんぢゃないですかね。
私は以前にコレをYフーで書いたのですが、gooに持って来るにあたって再度、読み直したんですが…
寒~くなりました。理由は先日の通りです。
私は「パクリ」は「いけない事」だと認識しております。
んで、考えてみると私の「パクリ」の定義には、脳内に入ってる「無意識のパクリ」と脳外の情報による「確信犯的パクリ」…の2種類が有る事に気づきました。
個人的なガイドラインですが、今後はこの2種類を考えてブログしよ~って思ってます(笑
作業してた時間的を考え合わせるとタイミング的にひょっとして、お読みになっていたのがそっちといれかわってやしなかったかという…
どっちも「パクリ」を扱ってたもんで以外と辻褄あっちゃうんですけどね
…ってここに書くより、Yoさんとこのほうがいいか、よーし“コピペ”だ
こんな古い記事にコメントしていただけるなんてYoさん効果でしょうか?ありがたいことです。
たしかに芸術は模倣なりという言葉があるとおり全くのオリジナルというのはないのかもしれませんし、ものの発展には適量の“オープン・ソース”も必要であるともいえます。ただ私がいいたかったのは“意識”の変革がおこりつつあるのではないかということ。また、一方で著作権を締め付けている大手が自己の利益のために自分たちの侵害行為にはフタをしているということが問題だと感じたのです。
そのままやっているようじゃ・・・
本当に、怖い。
若ければ、売れていれば、許されるって
思っているのかな・・・。
思い上がり、売れている時に言えるのも
今のうち。
ブームが過ぎ去れば、
きっと、負け犬の遠吠えと思われてしまうんでしょうね・・・。
そんな事を彼ら本人達は予測しているのか、
していないのか・・・。
「知らない、分からない」って
怖い事ですね・・・。
パクリ反対~!!
ちゃんと了解取りましょう~!!
それで作ってね!って感じです。
昔よく有名な曲をパロっていた、
あの、洋楽のバンド・・・アル・ヤンコビックさんは、
ちゃんと了解を得ていたから、ヒット曲になったのかな??
そんな私も何も知らなくてごめんなさい(^_^;)m(__)m。
嘉門達夫とかといっしょで…