先週のやりすぎコージーの「やりすぎ未公開都市伝説」
伊集院光が語る
「ウソから出来た放送業界のルール」
ドラマの最後に出る“この物語は実在のものとは関係ありません”という言葉の裏側。
というやつ。
これは「超人バロム1」という特撮ヒーローものがルーツで、当時に日本在住していたドルゲという名のドイツ人医師が自分の子供が悪役である魔神ドルゲのせいで学校でいじめられてると抗議したことがきっかけであの「このドラマはフィクションで…」テロップが表示されるようになったというネタ。
これで終わってくれたらよかったんだけど、その後テレビのスタッフがドルゲ一家を捜したらそんな人はいなかった、そもそもドイツ人にドルゲという名前はあまりないというのがオチだった。
おいおい、待ってくれ、おいらは確かにその一件が新聞記事になったのを覚えているぞ。親が「こんなのが話題になってるがおまへこの番組しっとるけ」と見せてくれたんだ。
それこそスタッフ使って、資料室にある新聞縮刷版でも調べさせたら出てきたはずだ。
なんだかおいらの少年時代の思い出をウソと片づけられたみたいでがっかりな気分になった。
きっと誰かがテレ東にツッコミいれてくれるだろうとか思ったけど、ネット見ても『ウィキペディア(Wikipedia)』くらいしかこれに触れてるソースないんだよね。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいに写真の中の自分がだんだん薄くなっていく気分がした。
伊集院光が語る
「ウソから出来た放送業界のルール」
ドラマの最後に出る“この物語は実在のものとは関係ありません”という言葉の裏側。
というやつ。
これは「超人バロム1」という特撮ヒーローものがルーツで、当時に日本在住していたドルゲという名のドイツ人医師が自分の子供が悪役である魔神ドルゲのせいで学校でいじめられてると抗議したことがきっかけであの「このドラマはフィクションで…」テロップが表示されるようになったというネタ。
これで終わってくれたらよかったんだけど、その後テレビのスタッフがドルゲ一家を捜したらそんな人はいなかった、そもそもドイツ人にドルゲという名前はあまりないというのがオチだった。
おいおい、待ってくれ、おいらは確かにその一件が新聞記事になったのを覚えているぞ。親が「こんなのが話題になってるがおまへこの番組しっとるけ」と見せてくれたんだ。
それこそスタッフ使って、資料室にある新聞縮刷版でも調べさせたら出てきたはずだ。
なんだかおいらの少年時代の思い出をウソと片づけられたみたいでがっかりな気分になった。
きっと誰かがテレ東にツッコミいれてくれるだろうとか思ったけど、ネット見ても『ウィキペディア(Wikipedia)』くらいしかこれに触れてるソースないんだよね。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいに写真の中の自分がだんだん薄くなっていく気分がした。
急速に広まることもあるようですよ。
口裂け女とか、オルレアンのうわさとか…。
新聞記者にしても、センセーショナルな話題があれば
特に検証せず掲載してみることもあるんではないでしょうか。
それが事実でなかったとしても、政治・経済関係とか、冤罪事件のように、実態的な被害を被る人が明確に存在するような記事ではなく、「こう言う投稿があったんですよ」という程度の事実を記事にするのですから、情報の検証よりも早めに記事にすることを重視するのではないでしょうか。
いやまあ伊集院氏の話がすべて正しいとは限らないわけですが、
「新聞記事が存在するから、その都市伝説は嘘である」
という命題は成立しないとするのが妥当だと思います。
断っておきますがここでいう“新聞”にはスポーツ紙やタブロイド紙は含みません。
記事も“こういうことが話題にのぼっている”とか“当時そうしたことが裏にあった”いう類のものではなく、リアルタイムで「現在放送中の…」という種類のものです。
大手新聞が現在進行中の人気番組に対するそんな記事で誤報をしていたとしたら別のトラブルに発展してそれこそ特撮ファンの間で語り継がれていたことでしょう。
それになにより「ウソから出た…」と断定的に銘打っているところが気になったのです。
今回は通常の“信じるか信じないかは貴方次第”ではなく、逆に事実として認知されていたことが実は実体のない都市伝説にすぎなかった…というスタンスなわけですから、それなりの材料を積み重ねなければならないはずです。
番組の意図としては伊集院光という蘊蓄キャラを使って演出上アクセントをつけたにすぎないのかもしれないし、単なる深夜のバラエティなので真剣に見るなというかもしれませんが、「あるあ大辞典」とて単なる情報バラエティでした。
“知”がバラエティ化されている昨今、真実とウソに対するスタンスは慎重を期するべきだと思います。
まぁ、この投稿自体はもともとは個人的感情をたれながしただけのものだったのですが、こういうレスをいただいたのであえてここまで書かせていただきました。
なるほど。全国紙だったらきちんと裏を取るだろうということですね。
私は、「この番組はフィクションです」テロップが登場した当時は、ドイツ人の医者の投稿をきっかけとしてこのテロップができた、ということが自明のものとして受け入れられており、
ドイツ人医師不在はあくまでその後(何ヵ月後、あるいは何年後かはわかりませんが)のテレビ取材によって明らかにされた事実である。というような話の内容だったので、当時に「本当はドイツ人医師がいない」と言うことを知るのは困難だったのではないかと思ったのです。
それから捏造をして健康に関する間違った情報を視聴者に植え付け、視聴者を害することとなった「あるある」と「都市伝説」バラエティー「やりすぎ」相互の情報の質を、並列に論じられるだろうか。というどうでもいい疑問がわいたのですが、それはさておき、
伊集院の情報のソースは、明らかにドイツ人医師の検証をしたというテレビ番組だけですよね。その点は実際にはどうなのか自分で調べてみる努力は必要だったかもしれませんね。
まあ、そんな風にして真偽が明らかでない情報が独り歩きしていく様が都市伝説そのもの、と言えなくもないかなと思いました。
なるほど。全国紙だったらきちんと裏を取るだろうということですね。
私は、「この番組はフィクションです」テロップが登場した当時は、ドイツ人の医者の投稿をきっかけとしてこのテロップができた、ということが自明のものとして受け入れられており、
ドイツ人医師不在はあくまでその後(何ヵ月後、あるいは何年後かはわかりませんが)のテレビ取材によって明らかにされた事実である。というような話の内容だったので、当時に「本当はドイツ人医師がいない」と言うことを知るのは困難だったのではないかと思ったのです。
それから捏造をして健康に関する間違った情報を視聴者に植え付け、視聴者を害することとなった「あるある」と「都市伝説」バラエティー「やりすぎ」相互の情報の質を、並列に論じられるだろうか。というどうでもいい疑問がわいたのですが、それはさておき、
伊集院の情報のソースは、明らかにドイツ人医師の検証をしたというテレビ番組だけですよね。その点は実際にはどうなのか自分で調べてみる努力は必要だったかもしれませんね。
まあ、そんな風にして真偽が明らかでない情報が独り歩きしていく様が都市伝説そのもの、と言えなくもないかなと思いました。
推測にすぎませんが、今回のネタは放送作家発信のような気がします。けっこう若い世代の視点から出た発想にみえなくもない。だから「伊集院光という蘊蓄キャラを使って演出上アクセントをつけた」と思ったのです。結果として伊集院光がしゃべったことによりネタに真実味が出てしまいました。
それと「あるある」と「都市伝説」バラエティー「やりすぎ」を並列に論じられないのではないか?
という意見は当然あると思います。
バラエティ、情報バラエティ、情報番組、疑似科学番組、ドキュメンタリーと境界を曖昧にすることによって視聴者の判断を混乱させているのではないかと個人的に思うのです。
たとえば政治家とか文化人を呼んだ討論風番組がいつにまにかおちゃらけたトーク番組風の演出になっていることがある。これは議題に対して“結論”を出さないでおいて、抗議や批判をかわすということもあるのでしょうが。
バラエティと断ってまずは枠の外に逃げておきながら実は役に立つ情報も含まれているよとといことが演出の肝になっていることも多々ある。
たとえバラエティ番組の中であってもあるジャンルの専門家が出て何かを発言したら真実味が出てしまう。
「こういう説がある」というニュアンスの発言も、純粋な科学番組の中で聞くと「1つの説にすぎないんだ」と思えても、バラエティの中で聞くと、司会者のわざとらしいあいづちとバラエティという不似合いに場で専門家が放つ権威という名の後光の効果で「そういうことだったんだ」というニュアンスに勝手にかわってしまうことがある。
「オーラの泉」などは「科学的に実証されたものではない」という注意を喚起するテロップが出されますが、科学の範疇ではないけど江原さんは決してインチキではないんですよという意図は明白です。というかそもそも霊視ありきというスタンスでなければ番組は成立しませんから。
以前、霊視による犯罪捜査番組で犯人が潜伏しているとした地域の学校から抗議がきて謝罪したというハナシがありましたが、霊視を正しい(100%的中しないまでもある程度の効果が期待できる)とするなら逆に地域に注意を喚起するのは必要なことではないかと思ったりしたのですが、いったいどういうスタンスだったのでしょうか?
ただのバラエティだと開き直るのであればそれは犯罪被害者に対する冒涜にもなります。
通販番組でも「これは個人の感想であって効能・効果ではありません」などとテロップが出ますが、「でも大半の人は同じ効果が得られるはず」と思ってもらわなければ通販番組も成立しません。
だからバラエティと情報番組は違うんだというスタンスが発信側の免罪符として使われる一方で、視聴者の思いこみを誘発することによって生まれる真実味がある種の訴求力になっている。
そして情報番組とバラエティの境界が実際には崩れているので現場もバラエティ感覚(軽さ)で作ってしまっているから「あるある」みたいなボロが出てしまうんではないでしょうか。
個人的には政治家とか大学教授が登場する類のバラエティは大好きで、その境界崩しの演出を楽しんでしまっているしがないテレビっ子だったりもするんですが、最近は、ウラとってないのに言い切ってるよ、しかも影響力もありそうだみたいな場面が多い気がして危ういなぁ…と思ったりするのです。
時には司会者の発言も専門家の意見以上に視聴者に訴えかけるものです。
あと、本来は充分な背景説明が必要な大きな議題になのにとりあえ視聴者の感情論だけに訴えるような編集をした疑似勧善懲悪討論とかもみかけます
「あるある」と「都市伝説」とでは明らかに次元が違うかもしれませんが多数の「もどき」が視聴者のあたまの中でキレイ間を埋めて境界をなくしているんじゃないかと思うのです。
「信じるか信じないかは貴方次第、でも火のないところに煙はたちません」
というあのキメゼリフはそのまま現代のテレビ業界の皮肉ったパロディだなんて思ったりします。
まぁ、視聴者が勝手に勘違いするのは自己責任だというスタンスもあるかもしれませんが、通販番組や健康番組の疑似科学の演出に協力してしまうような大学の先生がいたりするというのはテレビ業界から出た「お手軽感覚」が世の中に蔓延しちゃってるってことなんじゃないでしょうか?
あと福岡県警で血液型ハラスメントなんてのもありましたね。警察が疑似科学を信じきっているんですから一般人が勘違いしても仕方がないような気もします。
警察だから間抜けなんだという考えもあるかもしれませんが…。
なんだか雑然と書きつづってしまいました。すみません。
でも興味深い内容ですね。
私は単に、都市伝説の話だったので、「うわさの信憑性」みたいな視点で考えていたのですが、
この「やりすぎ」のエピソードから放送業界全体に目を転じれば、これはまさに放送倫理の問題として捉えることができるわけですね。
放送倫理の問題として考えれば、私も管理人さんの意見に賛成です。
疑似科学をあたかも完全に検証された事実かの様に放送してしまう「情報番組」や、一方的視点のみで「悪」を糾弾しようとする番組は確かに多く、放送業界には自浄作用を期待したいものです。
放送倫理に関しては、業界が視聴率を至上原理としている以上、
私達視聴者の側から適正な放送を求めていくしかなさそうですね。
なんかちょっとした疑問のつもりだったんですが、ものすごく真面目に考えていただいてありがとうございました。
勢い余って暴走気味だったかなとちょっと反省しています。
「一方的視点のみで「悪」を糾弾しようとする番組は確かに多く…」
と感じている方がちゃんといて、しかも自分のブログをみてくれたと知っただけでも気分が少しラクになりました。
バラエティどころか報道番組もそんな調子なのでマスコミの価値観に洗脳された私たちが裁判員を引き受けなければならないことに一抹の不安を覚えます。…とまたハナシをひろげそうになってしまいました(苦笑)
今回はおつきあいくださいましてありがとうございました。
私は、やりすぎコージーとあるある大辞典内の情報の重要性を同列には考えられないと思います。小難しいことは置いといて、"感覚的に"です。
確かに情報の影響性の高さについては、TV曲側の責任はあると思いますが、それ以上に受け取る側が自分で考えるということが必要だと思います。
たぶんこういったTVなどの情報をそのまま鵜呑みにする人というのは、ごく僅かだと思いますが、とにかく受け取る側には情報について自分で考え、調べるということを重視して欲しいですね。
とりあえず、お二人の議論から感じたことは
”又聞きの話なんぞ信用出来ない”ということでした。
面白い話を、ありがとうございます。
ポーギさんコメントありがとうございます
古い投稿なので改めて記事から読み返してしまいましたがコメントについてはなんか自分のものとは思えないような感じがしてしまいました(笑)
とはいえ基本的なスタンスは変わってません。
情報の信頼度はもちろん番組というガワでくくって判断できる場合もあるでしょうが、個々の情報で判断すべきものもあるのだと思います。たとえば120%おちゃらけた番組でも「お詫びと訂正」のような情報それ自体についてはウソがあってはならない性格のものなので信じていいのだと思います。
都市伝説を都市伝説として紹介するような「真に受けないでね」というスタンスの番組であっても、事実と信じられているネタに関して、「あれって実は都市伝説だったんだぜ」言い切ってしまうのはあきらかにレギュラーな内容とは意味合いがかわってくると思います。いってみればファンタジーな演出が繰り広げられている常設のリングを飛び出してひとんちにいって道場破りをしているようなものです。そこで適用されるのはファンタジーな世界のルールではなく外界のルール…なんだと思います。
http://www.zetubou.com/nikki/2010/11/16/199.htm
http://beatarai.blog90.fc2.com/blog-entry-246.html
両方を見ていただければわかると思いますが、ドルゲ君事件はあった。しかし、テロップの始まりではなかった。伊集院さんがなぜあのようなことを言ったのかは不明です。