前回は「おいらたちのような一庶民が騙されないようにするのはたいへんだ。」という言葉でしめくくったけど、“肉”の周辺はあいかわらず怪しさが漂う。
まさかとか思うけど「お上がそんなひどいことをしないだろう」という考え方はすでに過去のものとなってしまった昨今、何があっても不思議はない。
例えば今回、迅速に禁輸措置をとったことで、政府のチェックは厳格ですよ…って姿勢を誇示しておく。さらには人々は「輸入自体が次期尚早だ」という輸入再開前にあった議論の記憶は薄れていく。
これでテキトーに間を置いて、今度はユルユルのチェックの中、輸入再開…なんてことぢゃねーだろーな?…っていう懸念。
そもそも狂牛病で焼き肉屋に閑古鳥が鳴いていたと思ったら、状況は大して変わってなかったにも係わらず、牛丼がなくなるってんで飢餓感をあおられて限定のブランド物に群がるように行列をつくっちゃったような国民性だ。
ライバルの松屋が輸入再開後も使用を見合わせる中、ドキュメンタリー番組の中のインタビューで社長が「添加物は極力使わないようにしている」というような、平均的企業よりもむしろ安全意識の高い吉野家が米国産の牛肉に限っては早急に使おうとするのも解せない。
アメリカに出店してることと関係あったりするのか?なんて勘ぐりもしたくなる。オーストラリア産ではあの味が出せないなんて、言ってたけどそれほどの繊細な味かよ…やっぱアメリカと何か…?
吉野家の豚丼喰ったけど、牛丼より旨かったぞ。まぁ、好みの問題といわれればそれまでだけど、なんか少しばかり牛丼より旨味に品があった。
「豚丼じゃ我慢できない、早く輸入再開して」…って言ってる街頭インタビューをテレビでよく見るけど、ほんとにアレってホントに多数派なのかな?
単に値段の問題だっていうだったらわかるんだけど…。
まぁ、ここらへんは突っ込みようかないけれど、「焼き肉屋の閑古鳥」→「吉野家の行列」という流れを見ていると単に“飢餓感”あおられて、振り回されているだけに見える。
タバコもそうだけど食品汚染とかって即死するわけぢゃないので、無頓着になりがちだ。
でも今現在USビーフなしでも生活できてるっていう現実も考えあわせて、おいらたち消費者はあらめてリスクとメリットを天秤にかけなおしてみたほうがいいんぢゃないかな。
まさかとか思うけど「お上がそんなひどいことをしないだろう」という考え方はすでに過去のものとなってしまった昨今、何があっても不思議はない。
例えば今回、迅速に禁輸措置をとったことで、政府のチェックは厳格ですよ…って姿勢を誇示しておく。さらには人々は「輸入自体が次期尚早だ」という輸入再開前にあった議論の記憶は薄れていく。
これでテキトーに間を置いて、今度はユルユルのチェックの中、輸入再開…なんてことぢゃねーだろーな?…っていう懸念。
そもそも狂牛病で焼き肉屋に閑古鳥が鳴いていたと思ったら、状況は大して変わってなかったにも係わらず、牛丼がなくなるってんで飢餓感をあおられて限定のブランド物に群がるように行列をつくっちゃったような国民性だ。
ライバルの松屋が輸入再開後も使用を見合わせる中、ドキュメンタリー番組の中のインタビューで社長が「添加物は極力使わないようにしている」というような、平均的企業よりもむしろ安全意識の高い吉野家が米国産の牛肉に限っては早急に使おうとするのも解せない。
アメリカに出店してることと関係あったりするのか?なんて勘ぐりもしたくなる。オーストラリア産ではあの味が出せないなんて、言ってたけどそれほどの繊細な味かよ…やっぱアメリカと何か…?
吉野家の豚丼喰ったけど、牛丼より旨かったぞ。まぁ、好みの問題といわれればそれまでだけど、なんか少しばかり牛丼より旨味に品があった。
「豚丼じゃ我慢できない、早く輸入再開して」…って言ってる街頭インタビューをテレビでよく見るけど、ほんとにアレってホントに多数派なのかな?
単に値段の問題だっていうだったらわかるんだけど…。
まぁ、ここらへんは突っ込みようかないけれど、「焼き肉屋の閑古鳥」→「吉野家の行列」という流れを見ていると単に“飢餓感”あおられて、振り回されているだけに見える。
タバコもそうだけど食品汚染とかって即死するわけぢゃないので、無頓着になりがちだ。
でも今現在USビーフなしでも生活できてるっていう現実も考えあわせて、おいらたち消費者はあらめてリスクとメリットを天秤にかけなおしてみたほうがいいんぢゃないかな。
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