映画「カイジ」の話題の続き。映画版「カイジ」に肯定的な意見1つには、とりあえず原作のファンで映画化されたこと自体を祝ってるタイプ。マンガオタクというのは一般的にはどれだけ再現できてるかにそーとーうるさいもんだけど「カイジ」ファンの場合は福本伸行ファンということもあり麻雀劇画愛読家層というサブサブカル系とも相当ダブっているので自分の愛するものが日の目を見たこと自体に拍手しているというそもそもの許容ハードルが低い。
プロットは熟知しているから描写がわかりづらいとかは気にしない。香川照之の利根川は見て見ぬふりをする、もしくは普段はあまり邦画を見ない人種なので他に選択肢も思いつかず怒るには至らない。そして松尾スズキの微笑みだけですべてをチャラにしてくれるという「いいところしか見ない」これが人生そのものなら理想的ともいえる選択をする優しい人々だ。
肯定的なヒトたちの残りのタイプは藤原竜也を見てるだけでいいという人々。なるほど、日テレの土曜9時枠のドラマみたいなニーズか。確かに監督の佐藤東弥の代表作は「ごくせん」「マイ★ボス マイ★ヒーロー」…か。やれやれ。
ぐだぐだだった鉄骨渡りのシーンも13インチのテレビだったら見るに耐えるかもしれない。
まぁ住み分けが出来ているんだったらそういうアイドルオタクのおもちゃみたいなのがあってもいいと思うんだけどスポンサー主導のキャスティングありきの日本のドラマは程度の差こそあれだいたい誰かのおもちゃだったりする。
でもやっぱり同じお金かけるんだったらもっと映像というものに真摯に取り組んで欲しいものだが。
最近『マジックアワー』プロモーション時の三谷幸喜に迫る勢いで系列関係なしにテレビ出まくってる藤原竜也を見ていて思ったけど人格破綻者という点で萩原聖人とはで共通してるな…と(笑)。
例えばイタズラ好きなエピソードと称してスタイリストに「明日スタイリスト変えたから」とウソをつくなどと笑いながら語っていたがそれはただのパワハラすだ。「ハケン切り」が流行語に化しているこのご時世、シャレにならない。
ロンドンに短期ステイした際にカバンを盗まれたエピソードでは、英語を教わっていた先生が犯人だと今でも思っていると暴言。証拠もないのに世話になった相手に対して酷いオトコだ。百歩譲って思ったとしてもテレビで話すなよ。
英語は舞台「按針 ANJIN イングリッシュ・サムライ」のセリフのためだということらしいが、「客は日本人だからちょっとくらいテキトーでもいいと思ってる」なんてことを言っていた。
こやつ俳優としてもどうなんだろう?…と。
そういえば「ムサシ」の出演者で禅寺に修行に行ったら藤原竜也と小栗旬だけ坊さんに怒られてたなんてハナシもしてたけど小栗旬も同類だったりしてな。
まぁ個人的にいちばんイヤだったのは「グータン」に出たときに唐沢寿明と上川隆也という大先輩を相手に一人だけタバコを吸っていたこと。そもそもいまどきカメラの前でタバコ吸うヤツってさんまとおめーぐらいだぞ。
そーいえば玉木宏も悪戯好きエピソードで鹿のウンコをマネージャーに投げつけたなんて得意気にはなしてたけどこいつも壊れてるなぁ。…っていうかセンスのかけらもねーよ。
まぁ俳優は極めればある種イタコみたいなもんだから浮世離れした狂気のヒトであってもかまわないと思うんだけど、だったら俳優業に専念してくれ…と。つまりCMとかバラエティとか子供らに影響を及ぼすところで金儲けしたいっていうんだったら表向きだけでもいいからちゃんとしていてくれ。
でも最近はそのバラエティが壊れてるからなぁ。「とんねるずのみなさまのおかげでした」見てたら泉谷しげるが貴明にバリカンで突然もみあげ刈られてた。
ギターを天麩羅の油切りに使ってる場面なんてギター弾きとして心が痛んだなぁ。泉谷がキレなかったのも真麻の生まれ年のワインを開栓された高橋英樹が笑っていたのもオトナの計算の結果なんだろうけど、ああすることがユーモアを解することだってはき違えられたら困るぜ。
「クレヨンしんちゃん」なんて毎年のように子供に見せたくない番組にランクインしてたけど臼井儀人が死んだら世界中で読まれていたってことしか言わなくなった。おぼっちゃまくんの小林よしのりなんてパチンコまで作って子供にも大人にも毒マクチラしたくせにオピニオンリーダーヅラしちゃって…。PTAに叩かれたマンガ家の元祖ともいうべき赤塚不二夫なんていまやレジェンドと化してるもんな。
あるテレビ関係者が過去に低俗で教育上悪いと叩かれコンテンツについて、それを見ていた世代がみんなちゃんとした大人になったことが無害の何よりの証拠だと擁護したけど、ちゃんとした大人はアコギのサウンドホールでてんぷらの油を切ったりしないしスタイリストをいじめたりしない。
おっと売れっ子スタイリストならヘタな俳優より稼いでるなんてバカなツッコミはくれるなよ。
…っつーか、また休止前みたいなノリになっちゃった。テレビ界同様、おいらも反省がない…か。
プロットは熟知しているから描写がわかりづらいとかは気にしない。香川照之の利根川は見て見ぬふりをする、もしくは普段はあまり邦画を見ない人種なので他に選択肢も思いつかず怒るには至らない。そして松尾スズキの微笑みだけですべてをチャラにしてくれるという「いいところしか見ない」これが人生そのものなら理想的ともいえる選択をする優しい人々だ。
肯定的なヒトたちの残りのタイプは藤原竜也を見てるだけでいいという人々。なるほど、日テレの土曜9時枠のドラマみたいなニーズか。確かに監督の佐藤東弥の代表作は「ごくせん」「マイ★ボス マイ★ヒーロー」…か。やれやれ。
ぐだぐだだった鉄骨渡りのシーンも13インチのテレビだったら見るに耐えるかもしれない。
まぁ住み分けが出来ているんだったらそういうアイドルオタクのおもちゃみたいなのがあってもいいと思うんだけどスポンサー主導のキャスティングありきの日本のドラマは程度の差こそあれだいたい誰かのおもちゃだったりする。
でもやっぱり同じお金かけるんだったらもっと映像というものに真摯に取り組んで欲しいものだが。
最近『マジックアワー』プロモーション時の三谷幸喜に迫る勢いで系列関係なしにテレビ出まくってる藤原竜也を見ていて思ったけど人格破綻者という点で萩原聖人とはで共通してるな…と(笑)。
例えばイタズラ好きなエピソードと称してスタイリストに「明日スタイリスト変えたから」とウソをつくなどと笑いながら語っていたがそれはただのパワハラすだ。「ハケン切り」が流行語に化しているこのご時世、シャレにならない。
ロンドンに短期ステイした際にカバンを盗まれたエピソードでは、英語を教わっていた先生が犯人だと今でも思っていると暴言。証拠もないのに世話になった相手に対して酷いオトコだ。百歩譲って思ったとしてもテレビで話すなよ。
英語は舞台「按針 ANJIN イングリッシュ・サムライ」のセリフのためだということらしいが、「客は日本人だからちょっとくらいテキトーでもいいと思ってる」なんてことを言っていた。
こやつ俳優としてもどうなんだろう?…と。
そういえば「ムサシ」の出演者で禅寺に修行に行ったら藤原竜也と小栗旬だけ坊さんに怒られてたなんてハナシもしてたけど小栗旬も同類だったりしてな。
まぁ個人的にいちばんイヤだったのは「グータン」に出たときに唐沢寿明と上川隆也という大先輩を相手に一人だけタバコを吸っていたこと。そもそもいまどきカメラの前でタバコ吸うヤツってさんまとおめーぐらいだぞ。
そーいえば玉木宏も悪戯好きエピソードで鹿のウンコをマネージャーに投げつけたなんて得意気にはなしてたけどこいつも壊れてるなぁ。…っていうかセンスのかけらもねーよ。
まぁ俳優は極めればある種イタコみたいなもんだから浮世離れした狂気のヒトであってもかまわないと思うんだけど、だったら俳優業に専念してくれ…と。つまりCMとかバラエティとか子供らに影響を及ぼすところで金儲けしたいっていうんだったら表向きだけでもいいからちゃんとしていてくれ。
でも最近はそのバラエティが壊れてるからなぁ。「とんねるずのみなさまのおかげでした」見てたら泉谷しげるが貴明にバリカンで突然もみあげ刈られてた。
ギターを天麩羅の油切りに使ってる場面なんてギター弾きとして心が痛んだなぁ。泉谷がキレなかったのも真麻の生まれ年のワインを開栓された高橋英樹が笑っていたのもオトナの計算の結果なんだろうけど、ああすることがユーモアを解することだってはき違えられたら困るぜ。
「クレヨンしんちゃん」なんて毎年のように子供に見せたくない番組にランクインしてたけど臼井儀人が死んだら世界中で読まれていたってことしか言わなくなった。おぼっちゃまくんの小林よしのりなんてパチンコまで作って子供にも大人にも毒マクチラしたくせにオピニオンリーダーヅラしちゃって…。PTAに叩かれたマンガ家の元祖ともいうべき赤塚不二夫なんていまやレジェンドと化してるもんな。
あるテレビ関係者が過去に低俗で教育上悪いと叩かれコンテンツについて、それを見ていた世代がみんなちゃんとした大人になったことが無害の何よりの証拠だと擁護したけど、ちゃんとした大人はアコギのサウンドホールでてんぷらの油を切ったりしないしスタイリストをいじめたりしない。
おっと売れっ子スタイリストならヘタな俳優より稼いでるなんてバカなツッコミはくれるなよ。
…っつーか、また休止前みたいなノリになっちゃった。テレビ界同様、おいらも反省がない…か。
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