今あちこちで限界ニュータウン・限界団地が問題になってますね。特にひどいのが千葉県だと言われています。一体にしてあのような土地に居を構えざるを得ない時代とはいかなる時代であったのか。それは大変に古い考えを持った人、例えば石の上にも三年継続は力なり、とか注文と会計は先陣を切る、酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい、とかさらには「結婚して家の一軒くらい買えなければ男じゃない」とか。そんな人々が本当に家を買いはじめた時代。
この人たちは水利や地質もわからずバスなんかこれっぽちも来ないのを承知でともかくなんでもいいからと郊外の土地を移住目的で買いました、そしてやって来た後になってバスを通せと言い始めました。現代には全然通用しないロジックですが当時の経済状況は今日と全く異なりバス会社は増車増便増路線を繰り返し消費は美徳とかなんとか言ってたトンデモナイ時代で多少の無理を言っても誰にも咎められない時代だったのです。そんな古い人々が若い日本の労働力であったという途方もない昔。
そして路線バスもまた若かった、そういう人の声にこたえるためにワンマンバスという代物が出てきたのですがこいつをツーマンバスと比べれば客積み後に車掌さんが案内やら運賃清算やら面倒事を始末してくれるツーマンの方がさっさとバスを動かせるのではるかに時刻の遅れが少ないわけです。それを交通戦争とかなんとか言ってるような時代ワンマンなんぞにしてしまえばたちまちダイヤが守れなくなるのは頭の悪いわたくしでもすぐ判る話なのですが、わかってても何もしないという時代だったのでしょう。
ところで私製のこの怪しい年表はバックにチョコレートオレンジ、文字にミディアムブルーを配色したのですが、これは昭和の昔に東武バスに乗ったことがある人ならだれでも見たことがあるバス停の時刻表盤と同じような色使いにしてみたものです。東武バスがこの色味のバス停が広く使わうようになったのがちょうど下記の年表の時代、東京オリンピックの前後だったと言われています。大変見えづらいと思います。
この見えづらさを当然のように受け入れていたという時代、誰もマスクをせずワクチン接種の副反応に苦しめられることなくオリンピック観戦ができたという時代、そんな時代のことがらがズラズラ書いてありますのでよろしければ見てやってください。
最前に申したように★とあるのはウラが取れないので「東武バス年表」からのパクリ引き写しです。その他参照書籍類はこちら
・・年・・ | ・・月・日・・ | で き ご と |
---|---|---|
1964年昭和39 |
4月 |
柏市役所、柏駅前拡幅のためにバスターミナルを駅前から旧水戸街道沿い「天王様」(現柏神社)に移動計画案 同月柏駅前日本屋ビルに丸井百貨店(売場面積1800㎡)開店 |
〃 | 4月20日 | 日本住宅公団豊四季団地が第1期入居開始。同日東武バス、千葉陸運局に豊四季団地内を循環する路線免許を申請 |
〃 | 5月 |
流山電鉄、鉄道業績悪化のため流山駅東側に造成工事中の幸和団地・西平井団地を起点として松戸・江戸川台間に循環路線バスを計画、県道には停留所を設けず京成・東武との競合を避ける、同年10月までの運行開始を目指し松戸線には4両、江戸川台線に3両配置を予定とのこと |
〃 |
5月5日 |
柏市民新聞、豊四季団地新住人たちに柏市に対する印象を尋ね「空気が素晴らしいが駅からが大変だ、バス停からでもずいぶんある、早くバスが団地向きに走ってほしい」 |
〃 | 5月9日 | 柏営業所、米軍トムリンソン基地三軍統合記念祭にあわせ柏駅西口・基地間無料送迎バス運行 |
〃 |
5月15日 |
東武鉄道、来たる日比谷線全通時には車両相互乗入を行い密接な関係となる東京急行電鉄から五島昇社長を取締役に迎える。同様に5月29日東武鉄道根津嘉一郎社長、東急電鉄取締役に就任す |
〃 | 5月25日 | 柏営業所、循環運行開始前の豊四季団地バス対策として柏駅西口循環線の一部柏駅西口-向原住宅間を折返す便を設定(45回/日、所要時分3分 団地始発6:30 駅終発21:14)。 ラッシュ時にはバス1両定員の約2倍120~130名が乗車、柏営業所では続行バスを設け1便2両運行を思案中だがせっかく台数が揃っていても車掌不足で手配がつかず困難。 同団地東地区の住人は向原住宅ではなく旭町か住宅入口停留所を利用しているが東武バスはこれら各線の増発は考えていない(旭町通過時刻:草加/流山広小路発柏駅西口ゆき8:03 9:23 9:58他 大広戸発柏駅東口ゆき10:53、15:53の2本のみ) |
〃 | 7月11~13日 | 興風会館小講堂での作品展開催のため山下清氏が野田市来訪しサイン会中暑さのためランニングシャツ1枚で逃亡する |
〃 | 8月5日 |
野田営業所、下妻駅-愛宕駅-東京駅八重洲口間(78.3km)に急行バスを開通。 |
8月26日 |
午後6時すぎ、柏駅前ハギワラ時計店にバス待ち客の列がはみ出して人混みが出来、オパール・トパーズ、ホワイトジルコン指輪等盗難さる | |
〃 |
9月 |
豊四季団地での乗客激増のため柏市高田・篠籠田県営住宅・向原住宅の小学校低学年生25名が東武バスに乗車拒否される事案発生、高田の「スミダ紙工」好意により従業員専用バスの利用を学童に無料開放す。 同月デパート「緑屋」(売場面積1400㎡)が屋上に遊園地を備え旧柏出張所車両修理工場隣に開店(昭和52年閉店) 同月16日自動車局、加須営業所幸手出張所を新設、管轄路線は幸手駅-加須駅間(4回/日)同-鷲宮駅間(3回/日)同-久喜駅間(4回/日)同-清久間(1回/日)同-菖蒲車庫間(3回/日)同-五霞間(6回/日)同-大福田間(1回/日)同-大宮駅間(4回/日)、うち幸手駅-五霞線が最も営業成績が良い |
〃 |
10月1日 | 柏営業所、団地内幹線道路工事終了次第(10月末)としていた豊四季団地循環線運行開始の予定を早めこの日開通(運転回数84回/日)、午後4時から豊四季団地内にて開通式を挙行、西口循環線向原住宅折返し便廃止。 同日境営業所が境町船町1598番地より同町長井戸へ移転し営業開始。境橋停留所廃止。境営業所の乗合車両66台、貸切10台。ダイヤ数境営業所33、古河出張所18、下妻出張所・岩井出張所各々13。好成績路線は境-杉戸線、境-古河線、岩井-野田線。 |
10月7日 | ヤザワ運動具店の長男で習志野高校野球部3番打者の谷沢健一君が聖火リレーで市内7kmほど走る | |
〃 |
11月5~11日 |
柏営業所で運転適性検査「安全運転指導器ポート・クリニック・テスト」実施 |
〃 |
12月22日 |
野田橋架替工事完成し開通式 |
1965年昭和40 | 2月12日 | 流山町・埼玉県北葛飾郡三郷町間に新流山橋が開通 |
〃 |
2月27日 |
NHK「歌のメリーゴーランド」に豊四季くるみ幼稚園児と家族50人が出演 |
〃 | 3月 | 越谷市開発公社、越谷市新方地区弥十郎新田の田圃十万坪余に工業団地の造成工事を開始。後年進出企業なく完工前に暗礁に乗り上げ小田急不動産購入のうえ弥栄住宅団地と称す |
〃 | 3月1日 |
昭和35年の分譲開始以来バスがなく最寄の新京成電鉄五香駅まで3キロ近くもある柏市小新山・新栄町・松ノ井町(計400世帯)の「ひどめ婦人会」が、住人私有のマイクロバス1台で五香駅間に『防犯自衛住民バス』の運行開始し大好評(22往復/日)。市立土小学校への子供の通学はやはり何キロも離れた1時間に1本程度しかないどろんこ道の東武バス停を利用している。 |
〃 |
4月 |
豊四季駅構内と境営業所敷地内に女子寮が完成し柏・境両営業所の女子車掌採用計画の促進が期待される |
〃 |
5月30日 |
自動車局、豊四季団地集会所で東武バス回数券発売開始 |
〃 | 6月1日 | 常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併し茨城県土浦市真鍋に新会社「関東鉄道株式会社」が設立される |
〃 | 8月1日 |
野田営業所ダイヤ改正し野田市駅~諏訪橋間・柏駅前~花野井香取神社間を増発、野田・下妻・境-東京間急行バスを減回(42→24回/日)し、従来川口駅線と越谷駅線しかなかった北越谷駅での折返便を新設(野田市駅間19回/日 野田ゴルフ場間0.5回/日 紫ゴルフ場間2回/日 瀬戸間0.5回/日 関宿経由境5回/日 岩井経由境1回/日 )。同日、茨城急行自動車が下妻岩井線を北越谷駅まで延伸(8回/日)、下妻-岩井間各停岩井北越谷間急行、バス停柱は東武と共用、下妻-北越谷間所要120分180円 |
〃 | 9月2日 | 豊四季団地の利用増によりバス通学不能に陥った柏市篠籠田八ツ原在住の市立第一小児童のために同市高田原の大和工業が社員送迎バスへの児童無料乗車を許可 |
〃 | 9月14日 | 千葉県乗合自動車協会、「五百円札を出したらつっけんどんを食らわせれた」「サンダルばきで首にタオルを巻き態度が悪い」「客を放り出してダンプカーの運転手と喧嘩した」など苦情や報告が毎日寄せられていることから、車掌に社会的使命感を植付け県下13社相互に車掌を勤務評定などして質の向上を図る「車掌社会地位向上運動」を開始、各社車両ポスター掲出 |
9月29日 | 「木島則夫モーニングショー」等TV番組に3度取り上げられたこともある柏市小新山地区婦人会の『防犯自衛バス』が8月から片道30円の回数券販売をしていたことがわかり白バス行為として柏警察署の警告を受け運転中止。 陸運局を仲介に新京成電鉄から「劣悪な道路状況の改良なれば運行検討してもよい」との回答 |
|
〃 | 9月30日 | 県道松戸野田線のうち松戸市古ヶ崎・流山町番場間4.5km(幅員6.5m)の舗装工事終わり松戸-野田間定期バスの所要時間が約20分短縮される |
〃 | 10月 | 運輸省が自動車運送等運輸規程ワンマン運転認可基準から多区間運賃路線における後乗り禁止の項を削除 |
〃 | 12月 | 東武鉄道、TV・ラジオ放送用コマーシャルソング(作詞作曲 来宮洋一)発表。同月名古屋鉄道が愛知県岩倉町で後乗り多区間制ワンマンバスの運行を開始 |
〃 | 12月5日 | 秋の労働協約改定闘争中に東武鉄道、突如ワンマンカー実施の協定をおこなうと組合に提案し委員会混乱、午後5時すぎ採決にこぎつけワンマン導入拒否に決す。正午までの時限ストライキ自然突入 |
〃 | 12月14日 | 夜半、東武労組、採決の結果ワンマンカー労働時間を7時間25分とする(うち休憩1時間)他「ワンマンカー手当1時間当り40円・料金箱運賃箱を清算担当者にひきわたし清算はおこなわない・車輛清掃はおこなわない・少数グループによる輪番制とす」の条件でワンマンカー案を受諾と決定し翌15日午前零時30分スト中止を指令、労使間で覚書手交。組合員に「車掌不足に名を借りた人員削減」と指摘の声 |
〃 | 12月中旬 | 浜嶋柏市長が東武鉄道本社自動車局を訪ね道路狭隘な長全寺通りを通過する市内循環線経路を国道16号廻りに変更するよう陳情、これに対し呼塚踏切経由の旧水戸街道の行路を市役所前経由へ経路変更すると自動車局通告 |
1966年昭和41 | 1月11日 | 東武鉄道旅客課職員が豊四季団地に赴いてワンマンバス経路の現地確認をなす |
〃 | 1月29日 | 柏営業所、毎月末土・日・月の3曜日に限り豊四季団地集会所にて翌月定期券の発売を開始 |
〃 | 2月6日 | 杉戸駅~関宿~境線のバス(境営業所)にトラック衝突、乗客2名怪我 |
〃 | 3月16日 | 自動車事業局、柏営業所豊四季団地循環線(3.6km)に東武鉄道最初のワンマンバス運行(前乗り中降り型均一運賃先払い制ダイヤ数12)を開始。運転回数84回→151回/日へ増回、駅発終車時刻を21:56から22:09に改正、運賃大人15円子供10円均一。ワンマン導入にあたり東武鉄道、松原団地向けとあわせ前中扉ワンツーマン兼用車両11両を発注、日野自動車製RB120型など6台を豊四季団地に投入。運転席上部に「つぎとまります」の表示灯あり、運賃箱は電動なるも両替は運転士によるレバー操作を要す、テープ再生機はなく運転士が首掛け式小型マイクで案内する。要領を飲み込めない乗客多く乗車時の遅延がツーマンより増えたため案内役の補助職員を添乗させる |
〃 | 3月20日 | 野田営業所、野田市駅~金町駅間(27.5km、運転回数1回/日、運賃100円、所要時分75分)および野田市駅~吉川車庫間(14.6km、運転回数2回/日、運賃50円、所要時分40分)の新路線運行開始 |
〃 | 3月25日 | 丸井百貨店柏店2周年記念イベントで長沢純らのサイン会開催されファン800人の行列がバス広場に溢れる |
〃 | 3月29日 | 阪東自動車、賃率1キロ3円90銭から5円へ運賃改訂、国鉄佐倉駅-木下駅120円、国鉄佐倉駅-湖畔荘40円、木下駅-田中90円 |
〃 | 4月 | 日本史上最長のいざなぎ景気おとずれ千葉県下路線・観光バス各社新路線申請数急増して営業キロ急伸、大型車両の発注も伸びる |
〃 | 5月中旬 | 柏営業所、豊四季団地9号棟住人の「どこで降りたらよいのかわからない」の投書を受け、ワンマンバス車内広告枠に号棟・停留所を書き込んだ団地の地図を掲出 |
〃 | 6月19日 | 野田市議会、臨時議会においてバス待避所新設事業費590万円を可決 |
1967年昭和42 | 1月1日 | 東葛飾郡流山町市制施行し流山市となり、柏市が目論む4ヶ町村合併計画瓦解 |
〃 | 3月20日 | 東京-野田(10回/日)・下妻(3.5回/日)・境(2回/日)急行バス廃止。北越谷-東京間の交通渋滞で遅延拡大し利用者が鉄道に転移したため。廃止により余剰になった車両は野田市駅-北越谷駅間、野田市駅-柏駅前間2路線の増強に充当さる |
〃 | 4月 | 東武鉄道、新塗装のメトロ型引窓つき日野RC100P型貸切車11輌を購入し自動車局野田営業所他に配車、柏には配車なし |
〃 | 6月15日 | 柏市小新山・新栄町・松ノ井町に小新山~五香駅間の新京成バス路線開通(25回/日)。柏市が幾度も新京成電鉄と交渉した成果が実る。電電公社、東電も協力して電柱移設し道路拡張、地主による折返場スペース無償提供と苦労に苦労を重ねての開通に「6年越しの夢叶う」と主婦ら感泣。幾本もの町会旗を沿道に打ち立て電柱には色鮮やかな飾りを施し開通を盛大に祝った |
〃 | 6月30日 | 柏営業所、南柏駅~光ヶ丘団地線(2.3km)と柏駅東口~緑ヶ丘循環線(5.8km)2路線を大幅増発しワンマンカー11両でワンマン営業を開始。 いずれも前乗り型運賃15円均一、光ヶ丘団地線は平日112回/日、休日99回/日、駅始発6:05、駅終発22:22、所要時分10~12分。緑ヶ丘循環は平日左回り47回/日、右回り36回/日、休日左回り35回/日、右回り36回/日、駅始発6:28、駅終発22:10、所要時分21~23分。 ここまでで東武鉄道のワンマンバス車両台数計44輌 |
次回に続きます |
7kmはすごいですね。
2008年頃東京五輪誘致(落選)のころ東京新聞に
『ドラゴンズOBの谷沢健一さんは習志野高校野球部のとき7キロメートル聖火リレーした』と
書いてあったのを明瞭に記憶しております。
わたくしもへえ?と思いましたが長すぎますね。
7キロではなく一区間だけ走ったことが週刊ベースボールにも書かれておりますので
やはり誤記でありましょう。
拙の家系はお醤油の原料麦を精製して貨車に積み東武の根津さんに預け
柏駅を経由して茂木様や日清製粉へお渡しするという業をなした者に繋がるのですが
それで柏駅の倉庫を使わせてもらっていました。
そうした絡みで本家では柏市民新聞という小新聞を郵便で配達してもらっていました。
そこに「谷澤さんのご子息が柏を聖火で走る」との一文があります。
しかしwikipediaでは谷津遊園まで走ったことになっているので誤記ですね。
これは私の調べの足りなさが招いたもので申し訳ございません。
しかし谷澤家のご家系は寺島さんや浜島さんと並んで
柏商工会で重きをなされてますから柏市を走ってもおかしくございませんで
柏を走ったものと錯誤したものと思われます。
紙現物はすっかり縁遠くなった本家にあるので
いささか私一人で原文再確認するなど困難なのですが
実は過日亡くなった祖母の葬儀で明後日野田に行くことと
相成りましたから万一本家の者が出てきたら故郷の遠い記憶を呼び覚ます
何かが得られるやも知れません。
また喪主は東武バス元社員であった拙親族が務めますのでこちらもまた
何か得るものがあるかも知れません。
祖母は東武鉄道小山渡船のバスに幾度も乗ったことがあり
それを明瞭に記憶する者の一人でした。
今日では失われた渡船バスの話、女学校から他の乗客と混じって
総武鉄道の車掌のいるバスに揺られて利根運河のトマトソースの工場に
行った話、
私は子供の頃祖母に抱かれまるで遠い国のおとぎ話のように聞きました。
町外の皆さまが東武鉄道の社史の程しか知らない故郷のバスの姿を
お伝え申し上げることは祖母や遠い父祖たちへのよい供養となろうと
軽々に私断し久しく皆さまのお目ざわりを綴ってまいりましたこと
今改めて深謝申し上げる次第です。
7キロとはすごい。今年の聖火リレーは約200mらしいので大違いですね。
さらに谷沢氏は習志野でも走っています。ニュースポストセブンで同氏が3キロ走ったと談話をしています。