船橋駅から出ております、平成26年運行開始してまだ5年しか経ってないという若々しいバス路線「船橋行田線」とやらが廃止される、と聞きつけ船橋の皆々様に弔意を表すべく乗ってまいりました。廃止まで一週間をきった9月24日のことでございました。
以前お話ししたことがありましたが、小学生時代のわたくしが路線バス沼からすっぱり足を洗ったきっかけは、ここ船橋まで野田線で遠出してきても東武百貨店があるくらいだから駅前にたくさんいるだろう、などと思ったところ東武バスがただの1台もおらず、それまで見たことのない塗装の新京成バスだらけなのを見てある種の恐怖を覚えたからでございました。
バスラッピング広告もへったくれもなかった古い時代の田舎の小学生は、自分の乗るべきバスを塗装で判断していました。自分の知る土地の名を方向幕に書いていた茨急に2,3度乗ったのを例外として、地元の東武バスといささかでも塗装が異なって見えるバスはわたくしには怖い大人がいる遠い遠い知らない土地へ自分を連れて行こうとする「人さらい」のように見えました。しかしそれは船橋にわたくしと同じような境遇の子供がいて総武線と雲泥の差の東武野田線に乗っかって野田へ来てバスを見たならば醤油臭さと相まってまた同様の気持ちを抱いたことでもありましょう。
どういういきさつでそうなったのかわたくしにはさっぱりわかりませんがこの路線は京成バスと船橋新京成バスの2社で共同運行されています。わたくしがまず乗ったのは10:46発の京成バスでした。時刻表作成者が船橋新京成バスなので市川の京成バス担当便には「京」の添字があります。途中の行田団地止まりの船82は添字「行」をもって示し船81と船82とが合一された時刻表です。
ラッシュも終えた平日午前ののんびりした時間帯なので乗客はお年寄りばっかりです。
前方のLCDを見ると運賃が100円でスタートしています。なんらかの特定運賃制があるようです。
日本建鉄とか個人的にどうにも土地勘の沸いてこない停留所名が2,3個続いたのち船82の終点でもある「行田団地」へ差し掛かりました。残っていた乗客はまるでここが終点であるかの如くぞろぞろと降りてしまいました。お年寄りなのでキャッシュレス払いができずうつむいて小銭を数えています。しかし馬鹿にするなかれ、昭和の昔のワンマンバスでは老若男女問わずみんなこうして降りていたのです。回数券ピリピリ切って降りてたわたくしは別として。
終点船橋法典駅がいよいよ眼前となりました。運賃がいつの間にやら270円になっています。
船橋法典駅のバス降り場兼乗り場。よそ様の土地に来てなんですが船橋法典最寄りの中山競馬場のゲートみたいに随分狭苦しい所です。しかしこれはこれで余計な一般車が駐停車をためらう狭さで良いのかも知れません。
一般車進入禁止の看板には京成バスだけで新京成バスの文字がありません。
開通時からここに置かれているのでしょうか「路線バス好評運行中!」という看板がなにやら物悲しく見えます。
武蔵野線やらなんやら乗って船橋駅に取って返して12時台発の船81、新京成バスバージョンに乗ります。
北風の吹く寒い船橋駅頭で子供だったあの日に見た新京成バスは、青はもっと暗い色味でジョーズの肌のようで、窓枠の下あたりに引かれていた太く赤いラインはまるで捕食された人間の鮮血のように見えました。「何だこのバスは?! 船橋の東武バスは野田の東武バスと違う色をしているというのか?そもこれは路線バスなのか?東武百貨店の来店者専用かどっかの工場の送迎用ではないか?」わたくしは百貨店外にあったデッキから「新京成電鉄」という馴染みのない文字列のおびただしい群れをひとしきり見おろすと激しく混乱したものでありました。もちろん今は混乱することなく乗れます。
ところが数十年ぶりに新たな混乱が生じました。京成では「天沼」表示時に100円であったのに船橋新京成では「180」円となっています。同一経路なのにどういうこと???新京成でも現金特値100円のはずなのに間違って表示通り180円払って降りた人がいたらどうすんのかなと余計な心配をしてしまいます。
こちらもやはり行田団地で降りる人多数でした。先の京成ではお年寄りだらけだったのにこちらは奥様方が多くスイカ・パスモでつっかえることなくサクサク降りていきます。
終点船橋法典駅。このおじいちゃん、何とわたくし同様に船橋駅からずっと終点まで乗ってました。マニアでもなんでもないのに始発地から終点まで乗り通すお年寄りというのが最近増えてきたように思います。鉄道だと駅構内での上下移動がすこぶる多くて身体弱者には困難だからでありましょうか。
9月26日には船82 船橋~行田団地線に乗りました。この路線にはエルガミオのような中型車両が投入されているようです。運転士は妙齢の女性です。乗りに来てよかった。
女性の行動を追跡するなど犯罪ですがどのみち10月以降は用済みになるであろう行路表を見ました。行田団地の隣に「行田折返所」とあります。
ガムテか何かで行先が消されるであろう日本建鉄前バス停。
道中すれ違うポンチョ。この路線には小型車も稼働させているのかと思いきやこれは船橋市のコミュニティバスのようです。
エルガミオは終点行田団地に到着し回送となってくだんの「行田折返所」で休憩となりました。
この世から消える運命にある掲示物たち。
而してこのバス路線もこの地上から姿を消す。
しかしこの路線を利用した全ての人々が持つ色褪せることのないバスの思い出は、路線バスの歴史の新しい1ページに刻まれ、この地上に不滅の存在としてありつづけるのです。