2001年9月29日と30日、野田市駅周辺で撮影した写真です。東武バス野田出張所は2001年9月30日一杯で閉鎖しました。
これらは2016年正月に帰省した際、実家で見つけたものです。写ルンです的な何かで撮影したもので正直、照準狂いが多くまた退色を起こしていて鑑賞に堪えがたいのは承知ですが、
ネガもすでに紛失しておりこれ以上経年劣化する前にネット上にアップすることでバス愛好家の方々の追憶の元となれば、と思います。
写真の空模様を見ると晴天下に撮ったものと曇天下のものとがあり、どちらが何日のものだったかは定かではありません。
現在、野田市駅前のバスのりばは1番と2番の二ヶ所しかありませんが、当時は1~4番までありました。
これは柏駅西口・大利根温泉行きが出ていた2番のりばから撮影したもの。
一番左端は朝日バス、社番2013の関宿はやま工業団地行き。
空いている隣は茨城急行の停車位置です。朝日バスも茨城急行も必ず停車位置が決まっていました。
さらに右に回送表示2両が並びまた1両分空けて中野台経由北越谷駅行が停まっています。
朝日バスの野田市駅発境車庫行きの廃止寸前の姿。ちなみに看板はサザンの桑田氏。
「柏16 梅郷電建住宅経由 柏駅西口」と「北02 JA松伏前(社番2344)」。JA松伏前はもうバス停が無くなってしまったと思います。
3番のりば。ここから出る東武バスはすでにありませんでした。運行系統図の関宿台町と境車庫の間に関宿城博物館と書かれてましたがパテを貼り付け黒マジックを塗り、電照時でも透けて見えないようにしています。
博物館へは川間駅からの便がすでに開通済みだったので野田市駅からは廃止されていたのでしょう。本郷経由の大利根温泉行、紫ゴルフ場線、越谷駅線も描画されてますがこれもこの時すでに廃止されていました。運行中だった松伏溜入下は描画されてません。
4つあったバスのりばのポールをすべて撮影したと記憶してますが、困ったことに1番2番の写真は完全に亡失したようで、4番は辛うじてこの2枚が残ってました。このポールに④と標記されていますが実は「野田市駅」バス停ではなく「野田車庫」という名前のバス停で、画像では見えませんがポール下部に野田車庫としっかり書かれています。
2番のりばから出た柏方面行きはいきなり鹿島神社前に行くのではなく、右図のように愛宕神社やら下町やらをくるっと回ってまた野田市駅前に戻ってくるという経路をとっていて、なぜそのような大回りをしたのかというと、下町や仲町の醤油工場から出てくる従業員を拾って野田市駅に帰すため、という話を聞いたことがありますが確かなことは分かりません。
うっかり2番のりばから乗ってしまうと野田車庫に戻ってくるまでの間に料金が一段階上がってしまいます。そのため野田市駅から柏方面に行くバス客は必ずこの4番のりば=野田車庫から乗っていました。わたしがバスオタに片足つっこみつつあった昭和55、56年頃は初乗りが大人90円、子供50円。2番のりばから乗って一回りして60円払って4番のりばで降りようとすると「ちょっとボク、まだ駅だよ、降りていいの??」と運転手に尋ねられたことがあります。
昭和の当時は愛宕のイトーヨーカドーの買い物帰りに「愛宕駅」か「愛宕神社」で乗ってくる客が必ず何人かいましたし、またあるときは4番のりばに戻る前にほぼ満席になった、ということも記憶してますから、この大回りは決して無駄足ではなかったと思います。さすがに平成13年の野田出張所廃止時はそういう事態は皆無だったと思いますが。。。。まだ写真数枚ありますが今回はここまで。
これらは2016年正月に帰省した際、実家で見つけたものです。写ルンです的な何かで撮影したもので正直、照準狂いが多くまた退色を起こしていて鑑賞に堪えがたいのは承知ですが、
ネガもすでに紛失しておりこれ以上経年劣化する前にネット上にアップすることでバス愛好家の方々の追憶の元となれば、と思います。
写真の空模様を見ると晴天下に撮ったものと曇天下のものとがあり、どちらが何日のものだったかは定かではありません。
現在、野田市駅前のバスのりばは1番と2番の二ヶ所しかありませんが、当時は1~4番までありました。
これは柏駅西口・大利根温泉行きが出ていた2番のりばから撮影したもの。
一番左端は朝日バス、社番2013の関宿はやま工業団地行き。
空いている隣は茨城急行の停車位置です。朝日バスも茨城急行も必ず停車位置が決まっていました。
さらに右に回送表示2両が並びまた1両分空けて中野台経由北越谷駅行が停まっています。
朝日バスの野田市駅発境車庫行きの廃止寸前の姿。ちなみに看板はサザンの桑田氏。
「柏16 梅郷電建住宅経由 柏駅西口」と「北02 JA松伏前(社番2344)」。JA松伏前はもうバス停が無くなってしまったと思います。
3番のりば。ここから出る東武バスはすでにありませんでした。運行系統図の関宿台町と境車庫の間に関宿城博物館と書かれてましたがパテを貼り付け黒マジックを塗り、電照時でも透けて見えないようにしています。
博物館へは川間駅からの便がすでに開通済みだったので野田市駅からは廃止されていたのでしょう。本郷経由の大利根温泉行、紫ゴルフ場線、越谷駅線も描画されてますがこれもこの時すでに廃止されていました。運行中だった松伏溜入下は描画されてません。
4つあったバスのりばのポールをすべて撮影したと記憶してますが、困ったことに1番2番の写真は完全に亡失したようで、4番は辛うじてこの2枚が残ってました。このポールに④と標記されていますが実は「野田市駅」バス停ではなく「野田車庫」という名前のバス停で、画像では見えませんがポール下部に野田車庫としっかり書かれています。
2番のりばから出た柏方面行きはいきなり鹿島神社前に行くのではなく、右図のように愛宕神社やら下町やらをくるっと回ってまた野田市駅前に戻ってくるという経路をとっていて、なぜそのような大回りをしたのかというと、下町や仲町の醤油工場から出てくる従業員を拾って野田市駅に帰すため、という話を聞いたことがありますが確かなことは分かりません。
うっかり2番のりばから乗ってしまうと野田車庫に戻ってくるまでの間に料金が一段階上がってしまいます。そのため野田市駅から柏方面に行くバス客は必ずこの4番のりば=野田車庫から乗っていました。わたしがバスオタに片足つっこみつつあった昭和55、56年頃は初乗りが大人90円、子供50円。2番のりばから乗って一回りして60円払って4番のりばで降りようとすると「ちょっとボク、まだ駅だよ、降りていいの??」と運転手に尋ねられたことがあります。
昭和の当時は愛宕のイトーヨーカドーの買い物帰りに「愛宕駅」か「愛宕神社」で乗ってくる客が必ず何人かいましたし、またあるときは4番のりばに戻る前にほぼ満席になった、ということも記憶してますから、この大回りは決して無駄足ではなかったと思います。さすがに平成13年の野田出張所廃止時はそういう事態は皆無だったと思いますが。。。。まだ写真数枚ありますが今回はここまで。