
従前から久しく子供の頃の思い出をお話ししてきた柏03の経路が一部変更され柏たなか駅の周辺に新しいバス停が出来ました。
思えばわたくしが子供時代に全身全霊を込めて乗っていた野田市駅・柏駅西口間の東武バスがこの世から姿を消してしまったのはつくばエクスプレス開通による路線改廃のせいでした。
この鉄道を見るといつもあのときの複雑な感情が蘇るのでこの駅へは鉄道ではなく柏からバスで来るようにしていますが、今回は恩讐の彼方へ押しやり普通守谷ゆきとやらに乗って来ました。
まずは柏たなか駅の片側にしかなかったバスのりばが反対側に増設されて「柏たなか駅東口」となり、柏03の発着点がこちらに移ってきました。
柏駅西口行きが来ました。市立柏高校の生徒さんが降りていきます。若いから駅の反対側で降ろされてもすぐ順応して誰も文句言っていません。
バスが出ていくと「なんなのよこんなところにバス停なんて。どこ行くのよ?」という感じで近所の自転車の奥さんが覗いています。
バス停が出来たのを知らずに駐車しようとした一般車がいましたがわたくしがジーっとひと睨みするうちに「キチガイに絡まれてはかなわん」と退散していきました。道交法守りましょう。
ほどなく市立柏高校行きが来ました。先の高校生と違い順応性をすっかり失った年頃の降車客が「なんだなや、いつからこんなとこさ着くようになったんだべか」などと言っています。
バスはロータリーをくるりんと一周してわたくしが小学生の頃から今でもなおバス経路として設定されている県道二川我孫子線へ戻っていきます。
ところで、12月8日まで柏駅西口ゆき専用の停留所であった西口1番バス停は今どうなったのか?
12月9日からは柏13野田梅郷循環の専用となりました。廃止されて数年経っても2番のりばの表示板に残っていた「灰毛止まり」はもう記されていません。バスの前方LED表示にこれまでなかった「駅西口」というワードが付加されています。
ではこれまで柏03市立柏高校ゆきと柏13が出ていた西口2番はどうなったかのか?
ただの「降車場」に衣替えとなり、柏13入線前のバスが休憩するスペースとなりました。
柏03の柏たなか駅・大室間には2つ新しいバス停ができました。一つが「大室3丁目」。
今一つが「大室1丁目」。するとその間の大室2丁目に住んでる人はどうすんのかな?と要らぬ心配をしてしまいます。
従来の「柏たなか駅」行きは「柏たなか駅東口」へと改まっています。
ところで柏たなか駅は現在は廃校となった「柏北高校」という県立高校周辺であったことが当地の人々には知られています。
バス通りたる県道と柏たなか駅を結ぶ今幾本もの道路の一つに佐藤鉄工というわたくしの高校生当時にもあった会社さんの前を右に曲がる道があります。
この道の入口は農協管理の駐車場に挟まれていますがこの駐車場は当時ずばり「柏北高校」という名前のバス停で、周囲をうす暗い森に囲まれた東武バスの転回場になっていて柏駅西口~柏北高校という路線が設けられていました。
記憶が確かならば野田市駅行きと同じく系統が「柏03」で、柏営業所ではなく野田出張所管内であり、同じ管内の路線でも野田市駅行きはこのバス停を経由せず次の「小青田」まで行ってしまい「柏北高校」行きだけがこのバス停にやってくるのです。
恥ずかしながらわたくし高校時代の夏休みに赤点とって補習授業に出るために電車に乗ればよいものをなぜか野田から柏行きのバスに乗ってここを通過したことがあります。そのときこの転回場に、背後の森影に重なるような上下緑色のジャージでテニスラケットのようなものを持った生徒さんが折り返してくるバスを待つ姿を見かけたのを明瞭に記憶しております。
本数は柏12・柏市立高校行きと同じように通学時間帯にちょろちょろしかなかったように覚えています。この高校さんとわたくしは残念ながら全くご縁がありませんでしたが、直通のバス路線が全くなかった自分の母校と比べて非常に羨ましく思ったものです。
柏北高校は昭和55年に開校されたそうで、するとわたくしが路線バスに全身全霊を捧げていた小学生時代にすでに存在していたわけですが、小学生時代に「柏北高校」ゆきなどという路線は存在していませんでした。だから私の中学時代の3年間の間にできた路線であったろうと思います。
このバス停もまだ高校が残っていたはずのつくばエクスプレス開通時に「柏たなか駅」バス停開設により廃止されています。
高校の時代あるいは小学生の時代、いずれにしろ、わたくしがこれまで大切にしまってきた思い出の源であった数々のバス路線はみんなこのつくばエクスプレスとやらが大河のように押し流してしまいました。
いやつくばエクスプレスのせいにしてはいけない、全ては人の求める潮流に洗われるべきで、ただ残された事物と生き残った者の記憶が後代の人々にこの地上から失われた姿を伝える。
大室3丁目を越えるとまた県道に戻りますがこの信号機付きの交差点は小学生のあの頃にもたいそう狭い幅員の姿でありました。信号機には当然ゼブラが備わっていました。
わたくしが立っているところには消防車が4台ほど停められる消防団のようなものがありました。
左のセルフスタンドは「出光石油」、当時の消防車溜まりから道挟んだ真向かいにあたる今「きらく」というお店がある所には夏の日差しに鉄骨がギラギラ輝いてバスの中から「高いなあ」と思いながらよく見上げていた半鐘の吊り下がった「火の見櫓」がありました。
火の見櫓ではなく後方のタワマンを見上げるべきものに選ばれたのもこの土地の人々が求めた潮流なのでしょう。
新たにバス通りとなった道を疾駆するクボタのトラクターSMZ805。いい感じに泥が付いています。子供の頃初めて一人でバスに乗って当地に差しかかったとき沿道の野菜畑もよく見えました。つくばエクスプレス開通後に移り住んで来た人々は昭和時代の柏市を知らないでしょうが食べ物を作るということが人の求めるものの基本であることだけは忘れないでいただきたいと思います。
次回はタワマンもへったくれもなかったほど古い時代の柏03のある思い出についてお話ししたいと思います。
これだけ緻密に書かれるのは大変なことだといつも感心をこえて感動しております。
来年も期待しております(^^)/
良いお年を(^^)/
緻密かどうかわかりませんが脳裏に残る子供の頃の原風景、ぼやけてしまわないうちに残しておきたいとの思いでございます。ブログをご覧いただきありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。