宇宙の友人と意識とわたし

宇宙の友人との交流やパラレルワールドの体感
意識の世界と現実について、体験談や日々思うことを綴っています

完全ナルスシト

2024-10-27 12:30:34 | 意識から自我への手紙

なんて美しいのでしょう

切なさ、哀しみ、寂しさ、羞恥心、傷を負った心

繊細で刹那で

万華鏡のように変幻自在で留まることなくと変わりゆく心

微細な振動はゆらゆらと陽炎のように立ち昇っては落ち着きを取り戻し

また想念となって芯から湧き上がり押さえつけることのできない感情へと昇華する

許し、癒し、純化させ、自らのエネルギーへと変えていく

 

自らの内に宿した熱は外側へと流れ出していく

それは過不足なく

そして慎ましくありますように

ささやかに静かに流れ出すあたたかな安らぎでありますように

 

願い、祈り、昇華させ

そしてまた静かに心に納め

置いておくのです

 

どうぞ切り捨てませんように

どうぞ抗いませんように

清らかな静寂さを取り戻した私は

自身の灯火となる

 

 

 

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ビジョンを見るとは?

2024-10-27 09:46:44 | パラレルワールド

よく霊視される方は、ビジョンで視るとおっしゃいますよね。

このビジョンってどんな感じに見えるのかというと、あくまでもこれは私の感覚なのですが…

例えば、今目の前にいない人の顔を思い出すと脳裏に浮かぶ、そんな感じに見えますよね。

その見え方がビジョンに近いと思う。

いわゆる第三の目(漫画によくある眉間の目)で、シアターのように映し出して視る、という感じではないです。

 

深いところから瞬間ふっと思い出す(おそらく潜在意識じゃないかなって思う)、その瞬間をキャッチする。

ところがキャッチできずに過ぎ去ってしまうこともある…

ふっと湧き上がってきたのに瞬く間に過ぎ去ってしまう。そんなこともあります。

あれ、なんだっけ?って思い出したくてなんとか深く探ろうとしても、瞬間を逃すとその時点では難しい。

現実とはリンクしていないので脳では思い出せないんですよね。

過去世を見るときは、そんな感じなんです。逃すこともあります。

霊視とは意図的にこれを確実にできることなのかな?って想像しています。

 

このビジョンの興味深いところは、1秒に満たないフィルムの1枚のような光景から、

そこにまつわる情報を瞬時に読み取れるということなんです。

この1枚のフィルムに、時代背景、その場の空気感、自分の心情、相手の心情、時には会話、おおよその年齢など

さまざまな情報が組み込まれているように感じるのです。

これはパラレルワールドの概念に近い気がするのだけれど。

毎瞬の現実、実はそこにすべての情報が組み込まれていて、そこには感情すらも組み込まれているのかもしれない、ということ。

例えばさみしさを感じた時、それは自分が感じているというよりは、その状況を体感しているだけなのかも。

そこには自分の感情のみならず、登場するすべての人たちの感情も含まれるため、全体の空気を読むことができる「意識」がある。

その「意識」が私に自らを重ねて現実を体感している。

意識が並行現実の中の一瞬を毎瞬毎瞬読み取りながら、あたかも体現していると「感じている」。

なんだか、体験上そんな気がするんですよね…なかなか表現が難しいところですけど普段感じていることを整理してまとめてみた。

 

だからこそ、意識をどこに置くかで体験するフィールドを変えられるのだと思います。

至福の中にいれば幸せになれる・思考を止めればよい・感情は眺めるように観察すればよい…みたいなことをよく言われますよね。

仮にそれが事実だとしても、私はそう在ることに深さを感じませんし魅力的だとも感じないんですよね。

とはいえ…ここを脱出した先にいわゆる悟りがあるのかもしれません。

 

 

観察は意識の在り方であり、私はそれだけじゃない複合された霊体であり肉体である

そして精神である

思考は美しく感情の源泉は愛である

私はそのように思うのですよ🌟

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