ふと湧き上がる記憶は
過去世ばかりではないのかもしれません。
今日見たビジョン、それは
「深い洞窟、そしてそのさらに奥の行き当たり
その洞窟の土壁の内側に透けて見える炎のような灯り」
「〇〇でなければ進むわけがないだろう」というような男性の声。
はっきりとした言葉の言い回しは忘れてしまった。
そしてそれに従わなければいけない、鬱屈した私。
そして、これは「知っている、すでに体験している」という感覚。
そのビジョンには写り込んでいなはいないけれど、
その炎の灯りには人々の気配がする。
ビジョンの中に人はまったくいません。
これは原始時代の記憶…
ではなく、潜在意識そのもの、暗示のようなものではないか?と感じました。
怖れ、鬱屈、諦め、
しかし私はすでにそれを知っている。
そして、潜在意識が顕在化する時、
私の場合は今の自分に深く関連している。
意識上に上がってきたとはいえ思考では処理できず、上手く言語化できない。
今回は深いところまですくいとることができませんでした。
おそらく、怖いからだ。
そう、潜在意識が顕在化するとき、過去世の記憶が顕在化するとき、
ふっと沸き起こるように意識上に上がってくる。
金魚すくいみたいにその瞬間をぱっとすくいあげ、
さらに受け止めることができた場合、
瞬時にその状況や心情、時代背景、人物の様子、心情、場の空気などを
自分が体験したこととして受け取ることができる。
それは、今この瞬間の現実以上に、リアルだ。
逆に言うならば、今この瞬間ですら、リアルに体験できてはいない、
認識できていない、感じ取れていないということ。
今目の前にいる人の心がわかるだろうか?
部屋の中に居て季節を感じているだろうか?
今記事を書いているこの瞬間の温度や湿度を感じているだろうか?
自分が置かれている状況を認識できているだろうか?
何故ブログを書いているかその根本原因を理解しているだろうか?
意識を甘く見るな!
(あくまでも、私宛の言葉)
奇跡的に叶う願いとは、心の奥、つまり潜在意識から湧き上がり顕在化した心の声、
魂のささやかなる声のことなんじゃないかな?
お話を聞き取ってあげて、それは私である、と認識すること。
つまり、それが本願であり、真意であること。
今日のビジョンは怖れからくるものですが、
とってもピュアでささやかなる声の場合もあって。
これが、魂の願いなんだな、って私は思うんだ。
その願いは自我からすると、突飛だと感じたり抹消したくなるようなことかもしれません。
信じるのが、怖いから。
何故か?それは潜在意識からくる怖れというよりは、
過去の体験により、無意識に意識を使ってしまうからではないか?
無意識と潜在意識とは違う。
無関心により謀殺された事象と深淵なる真理がまったくの別物であるように。
奇跡とは、ピュアな魂の声に従った時に起きる現象なんじゃないかな?
って思ったの。
だから、それに乗っかっちゃえ!私🌟
深い怖れ、ホントに潜在的に持つ怖れを顕在化して感じているなら、
それを乗り越えられる
だから乗り越えてほしい
ということなんじゃないかな?と思う。
今日、吉報が入ります。
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