夕方、散歩がてら買物いや逆か?していると保育園児の散歩の列とすれ違うことがよくある。
なぜ保育園かというと夕方だから、みな同じ帽子と制服のような上着を着ているから。
人数が多いし皆歩いているか手押しのボックスに立ち乗りしていて乳児はいなさそう。
※街中で宅配のお兄さんが荷物を入れて押している、あの真四角なボックスに子供を詰め込んでいる。確かに安全な乗り物でお外引率をするには効率が良いのだろう。
そこを歩いたあとにkidsナンチャラという英語学童の教室が見える。
学童なので多分放課後。
だが、小さな(幼い)子もいる。
終わる頃には送迎のバス2台くらいが待機していて運転手が座っている。直接お迎えの父兄もいる。
隣町にはカナディアンスクールも盛況を極めている。キャンパスがなさそうなので区立体育館などを予約している風景に遭遇する。クラブ活動なのかもしれないが。
地方でも駅に近い24時間保育の施設などを見かけることがある。
どの子がどうとか今後がどうとか比較しても意味はないし、する立場にもないが、こんな幼い子たちの置かれている環境の違いとか親の考え方、一緒にいることが許された時間の限界とか諸々はふと考えてしまう。
学生時代は大阪の(事情があって親と暮らせない)施設に見学に行ったし、福祉施設も実習があり、学童の給食を作る《小児栄養》レポートなども必須だったが、あまり環境とかは考えなかった。
大学内には付属の幼稚園と乳幼児保育センター(0歳児〜5歳児)とがあり、実習やイベント手伝いが必須だった。今でも保育は朝の7:30~19:00まで預かりを継続しているようだ。
幼稚園では恒例のキリスト生誕ストーリーを実施するので、学生時代は手伝いに行った記憶があるが、自分たちが卒園した同系列の幼稚園でやったのと全く変わらず同じだった。
話がそれたが、昨今、こども食堂や大学生向けの食料支援などのニュースや話題を見るにつけ、全てを政治のせいにする訳では無いが、日本てホントここまで来たのね感が否めない。
非正規労働が損をするとかニートやフリーターがどうとか言うけど、そういうレールを敷いたり規制緩和したのも政治?
こんな将来がわかっていたら、うっかり安易な選択はしなかったのにという人は少なくないのかもしれない。易きに流れるのはことの成り行き、常かもしれない。いやいやそれを強いられたという人もいたかもしれない。
公営施設で常勤キャリコンをしていたとき、色んな公費支援付きで何とか正社員になれるような働きかけがあったけど、中には失業手当受給引き伸ばしが目的の(かもしれない)人がいたり、プロの競輪や競艇or競馬学校(いずれか)を再々受験のための受給期間引き伸ばし術が疑われたりはあったけど、概ね真剣に仕事に就こうとしている人たちだった。
中にはほぼ全員退校を命じられてしまった科の某中学新卒メンバー数人がいたが、そこの学校で教師が指導して目標受験先にそこを指定されていたのだという。
朝のバスで首の皮一枚で繋がっていたあと一人が何故か縁あってよく遭遇したのだが、とうとうクビになった。よく祖父の故郷(島)の話をしてくれた。良い子だったが譲れない頑固さや本人なりの生きるための処世術など多面性があったらしい。
まだ年端も行かぬ十代の色々な事情を抱えた少年or青年達がそこには通ってきていた。主に1年、長くて数年制だっただろうか。
そんなひとりひとりと面談して履歴書や職務記述書、志望動機が書けるように寄り添い、面接対策などを行う。
こちらもジョブカード(作成サポート)講習など時代とともに変わる制度には抗わず参加し取得もした。
中には五十代で初めてパソコンに触れ泣きながら苦労して資格を取り、就職というご婦人方もいた。股関節手術がうまくいって自分の足で歩けるようになっての事務職志望。自慢の息子さんは大学院生でジェンダーを変え逆境にもめげず猶、研究に没頭しているところをご夫婦で応援されているという話を聞いた。
専攻できる科は多く、年齢層もプロフィールも様々だった。
スタートは🎹だったが、OLを経て専門学校→大学で職を得て、企業研修、、、へと。子供から大人まで見て、というわけでは無いが職業と取り巻く環境、生育環境がどうとか一括りにはできないし、する気もないが
昨今の親ガチャや世襲議員など言葉の綾とはいえ個人的に思うところはある。
言ったところで詮無きこと意味がない、とは思わないが、比較して云々では意味がないし虚しくなるだけかもしれない。
何ができるかといえば、どうか幸せにと祈ることくらいなんだよな。
大国でIT系企業の大量解雇連鎖が止まらないみたいだけど、あちらがくしゃみをしたらこちらは風邪どころで済まないはのでは?
むしろITベンチャーとか自分達で切り開いていく流れを期待したいとか(できるかも)、、、とは、よく言ったものだわ💢欧米か!ではなく、、、さすがフロンティア(精神)か!
終わりよければ全て良し、とはとても言えないよ。
相変わらずまとまりなく🙇陳謝🙏
【引用】
「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」。
レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の言葉である。