警察庁は、1月23日、刑事局長名で「仮装身分捜査実施要領」を各都道府県県警に通達しました。今回は、この通達について、批判的に検討したいと思います。
1 実施要領の概要
「闇バイト事件撲滅へ仮装身分捜査が『解禁』 警察庁が通達、架空身分証で『雇われたふり』」と題した産経新聞の記事を紹介します。
犯罪実行役を募集する闇バイトを通じた強盗事件などが多発していることを受け、警察庁は23日、捜査員が架空の身分証を作成して「雇われたふり」をする「仮装身分捜査」の実施に向け、都道府県警に実施要領を通達した。事実上の解禁となる。ほかの方法では捜査できない場合などに限定しつつ、実行役の検挙、犯行の抑止を狙う。
警察庁によると、「雇われたふり」による捜査はこれまでも行われてきたが、身分証の提示を求められ、捜査を継続できなくなるケースが相次いでいた。 今回作成した実施要領では、捜査の手続きや順守事項を規定。作成する架空の身分証は運転免許証のほか、住民票、マイナンバーカード、学生証などで、状況に応じて電子データも用意する。捜査で警察官が犯罪に加担するなど、新たな犯罪被害が発生しないようにするという。 対象は強盗、詐欺、窃盗、電子計算機使用詐欺と、それらに関わる犯罪に限定。主にX(旧ツイッター)などで募集される闇バイトに応募し、指示に従って架空の身分証を提示する。犯行や準備の現場に赴いて実行役の検挙や犯行防止につなげる。警察庁は上位指示役への突き上げ捜査や、犯罪発生自体を抑止する効果にも期待している。 警察庁の担当者は「法の範囲内で捜査の適正さを確保しながら、闇バイトの指示役や実行犯の検挙に向けた取り組みを進めていきたい」と話した。
2 総論
(1)根拠規定は何か
実施要領では、「1 目的」のところで、「刑事訴訟法その他の法令に基づき仮装身分捜査を実施するための手続その他の遵守事項を定める」としている。
しかし、これでは、具体的な根拠規定が示されていない。なんという上位規範の何条かを示すことが根拠規定を明らかにしたことになる。この書きぶりでは、具体的な根拠規定が存在しないことを示している。
のちに述べるように、この実施要領では、組織的に文書の偽造を行ない、それを使用(提示)することを認めている。このように犯罪行為は、それを正当化する根拠がなければ実行できないであろう。この説明のためにも、根拠規定を明示すべきである。
(2)対象犯罪の拡大可能性
実施要領は、「3 対象犯罪」で、「仮装身分捜査は、インターネット等を通じて実行者の募集が行われていると認められる強盗、詐欺、窃盗若しくは電子計算機使用詐欺又はこれらに密接に関連する犯罪の捜査において行うものとする」と規定している。
この実施要領に限れば、限定的運用を行なうことを明示している。
しかし、この実施要領は、刑事局長から発出されたものであり、刑事局が扱う犯罪には、実施要領を改正すれば、いつでも使うことができる。警察は一度手に入れた新たな捜査手法を手放すことはなく、広げることには躊躇しないことは、歴史が示している。
したがって、この規定があるからといって、拡大可能性を否定することはできない。
3 各論
(1)文書偽造の違法性阻却の根拠
実施要領では、仮装身分捜査を「当該捜査員のものとは異なる顔貌、氏名、住所等が表示された文書等(以下「仮装身分表示文書等」という。)を提示して行う捜査活動」と定義し、「異なる顔貌、氏名、住所等が表示された文書等」を作成することを前提としている。これは、刑法的には、文書偽造を行なうことであり、提示することは、それの行使に当たる。
本来犯罪である文書偽造行為が正当化される根拠は、いったい何なのであろうか。刑法35条にでも該当するというのであろうか。
それは、無理である。警察官が身分を隠して行う活動は、もはや、警察活動とは言えない。
仮装身分捜査を行なうことが正当である根拠を明らかにする責任は、警察当局にある。
これについては、法律で規定されるべき事柄であろう。
(2)仮装した捜査員が行う活動は、公務か
仮装身分捜査では、仮装した捜査員がインターネットを通じた募集に応募し、その際に、偽造した文書を提示するという。その行為は、捜査員が行なう公務といえるのであろうか。
この活動は、捜査員の身分を隠し、別の人間に成りすました別人格が行なったのである。それは、警察官という身分を離れた、私人の行為と判断されるであろう。
(3)「犯人」とは誰か。「対象犯罪の実行者」とは誰か。
実施要領には、「2 定義」で、「捜査員が犯罪の実行者の募集に応じて犯人に接触するに際し」と規定し、さらに、「6 仮装身分捜査の実施」でも、「犯人を検挙し」「犯人以外の者に対して提示しない」と規定して、「犯人」という言葉を用いている。
この犯人とは、いったい誰を指しているのであろうか。「指示役」なのか、それとも、もっと会のものなのか、あるいは、もっと上位のものなのか。その範囲がとても不明確である。
さらに、「8 被害発生の防止」では、「対象犯罪の実行者による新たな犯罪被害が生じることのないようにする」との規定も存在する。
ここでの「対象犯罪の実行者」とは、いったい誰を指しているのであろうか。全く不明である。
4 結論
警察は、一度手に入れた新たな捜査手法を決して手放すことはない。おとり捜査でも、盗聴でも同じである。この仮装身分捜査についても、同一に考えるべきである。秘密性の高い犯罪組織の解明には有効であると警察が判断した場合、この捜査手法が用いられることを否定することは困難である。
法律で適用範囲を明確にすれば足りるのではないかとの指摘もあるだろう。しかし、法的要件を明確にしたうえで、法律を制定したとしても、法改正により、その範囲は拡大されてしまう。そのようなことが絶対に起きないような方策をしっかりと考えなければならない。
身分を仮装した警察官が犯罪組織に接近し、組織内に潜入したときに、一定の行為を行う際の身分について問題となる。身分を仮装した場合でも、本来の身分は生きており、行われる行為は警察官としての行為となるのかどうかである。すなわち。どこまでが公務であり、どこから公務でなくなるのかということが非常に不明確である。
その行為が警察官の行為とみなされるのであれば、その仮装した警察官に対する妨害行為は公務執行妨害となる。しかし、仮装したのは警察官であり、その行為が公務であるわけがない。
このような重大な問題は、「実施要領」という名のガイドラインで解決すべきものではない。身分を仮装した警察官の行為は、もはや警察官としての行為ではない。刑法三十五条による「正当業務行為」と理解することは無理である。例えば運転免許証を偽装した段階で、その警察官の行為は、正当性を失っているのだ。
仮装身分捜査については、新たな法律を制定し、違法性についての規定を設けるべきである。これは、新たな捜査手法を手に入れた警察が恣意的にその適用範囲を拡大させないためにも必要なことである。
参考として、 2025年1月23日付で、警察庁刑事局長名で発出された「仮装身分捜査実施要領」の全文を掲載する。
仮装身分捜査実施要領
1 目的
本要領は、インターネット等を通じて実行者の募集が行われていると認められる犯罪について、犯人を検挙し、犯行を抑止するため、捜査員が当該募集に応じて犯人に接触し、当該犯罪に係る情報を入手する捜査活動を実施するに当たって、刑事訴訟法その他の法令に基づき仮装身分捜査を実施するための手続その他の遵守事項を定めることにより、その適正を確保することを目的とする。
2 定義
本要領における「仮装身分捜査」とは、捜査員が犯罪の実行者の募集に応じて犯人に接触するに際し、当該捜査員のものとは異なる顔貌、氏名、住所等が表示された文書等(以下「仮装身分表示文書等」という。)を提示して行う捜査活動(捜査の端緒を得る活動を含む。)をいう。
3 対象犯罪
仮装身分捜査は、インターネット等を通じて実行者の募集が行われていると認められる強盗、詐欺、窃盗若しくは電子計算機使用詐欺又はこれらに密接に関連する犯罪の捜査において行うものとする。
4 仮装身分捜査実施計画書
⑴ 仮装身分捜査は警視総監又は道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。) による指揮の下、あらかじめその承認を受けた仮装身分捜査実施計画書に基づいて行うものとする。
⑵ 仮装身分捜査実施計画書には、以下の事項を記載するものとする。
○ 仮装身分捜査を行う対象とする犯罪
○ 当該犯罪の捜査のため仮装身分捜査を実施することが必要かつ相当であると認める事由
○ 仮装身分捜査の実施所属及び従事体制
○ 仮装身分捜査を行う期間
○ 仮装身分表示文書等の作成に関する事項
5 仮装身分捜査実施主任官
⑴ 警察本部長は、仮装身分捜査の実施に当たって、警部以上の警察官の中から仮装身分捜査実施主任官を指名するものとする。
⑵ 仮装身分捜査実施主任官は、警察本部長及び仮装身分捜査を実施する所属の長の命を受け、仮装身分捜査に従事する職員を指揮監督するものとする。
6 仮装身分捜査の実施
⑴ 仮装身分捜査は、対象犯罪の捜査のため必要であって、他の方法では犯人を検挙し、犯行を抑止することが困難と認められる場合に、相当と認められる限度において実施すること。
⑵ 仮装身分表示文書等は、原則として、犯人以外の者に対して提示しないこと。
⑶ 仮装身分表示文書等のうち書面のものの原本は交付しないこと。
⑷ 仮装身分表示文書等は、各仮装身分捜査実施計画書ごとに必要な枚数を指定して作成するものとし、捜査の推移により急きょ作成する場合には、その経緯を明らかにした上、警察本部長の承認を得て必要な枚数を作成すること。
7 仮装身分表示文書等の保管管理
仮装身分表示文書等の保管管理については、目的外利用を防止するとともに、紛失・漏えい等の事故が発生することがないよう、以下の点に留意すること。
⑴ 管理体制を構築するとともに、仮装身分表示文書等のうち書面のものについては、他の捜査資料の保管場所とは別の保管設備において施錠の上、保管すること。
⑵ 仮装身分表示文書等のうち電磁的記録のものの保管についても、他の捜査記録とは別のフォルダ等に保存するとともに、当該フォルダ等のアクセス制限、パスワードの設定、暗号化等を行うなどの措置をとること。
⑶ 保管設備からの持出しや電磁的記録の利用に当たっては、仮装身分捜査を実施する所属の長の承認を得ること。 ⑷ 仮装身分捜査の終結、公訴の提起、公判の維持等の観点により保管の必要がなくなったと認める場合には、可能な限り速やかに、廃棄及び消去等の必要な手続をとること。
8 被害発生の防止
仮装身分捜査の実施に当たっては、以下の点に特段の配意をすること。
⑴ 仮装身分捜査の遂行により、対象犯罪の実行者による新たな犯罪被害が生じることのないようにすること。
⑵ 仮装身分捜査の遂行により、犯人以外の者の日常生活及び社会生活に支障の生じることのないようにすること。
9 職員の安全確保
仮装身分捜査の実施に当たっては、犯人に接触する捜査員その他の従事する職員の安全確保に万全を期すること。
10 関係機関との連携
仮装身分捜査の実施に当たっては、捜査を円滑に実施することができるよう警察庁、地方検察庁その他の関係機関との緊密な連携を図ること
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