Toshichanの独り言

海外、国内旅行の旅日記。私の俳句手帳、などなど筆の進むままに書き連ねてまいります。

明日香で血みどろの歴史を楽しむ!(サイクリング to 明日香)

2015年09月11日 | サイクリング

久し振りに天気が回復したので、明日香へサイクリングで行ってきました。往復44km、2時間半ほどの行程です。少し途中の情景を写真に撮りました。

まず橿原市の今井町。江戸時代からの古民家調の家が軒を並べており、保存地域です。
それなりの雰囲気があります。

橿原神宮の北に神武天皇陵があります。今はずいぶん立派でいかにもという雰囲気があります。
しかし、神武天皇自体 歴史的事実としては99%疑問視されていますし、明治前後にいろいろ文献、言い伝えなどで無理やり?探し出したようなことらしいので、この御陵もまあそんなもんなんでしょう。(最近TVで露出度の高い櫻井某女史が聞いたら国賊呼ばわりされるかもしれませんね、くわばらくわばら)

そして飛鳥寺近くにある「入鹿の首塚」、乙巳の変で中大兄に殺戮された曽我入鹿の首を
葬ったものと言われています。

多くの繁栄と衰退を見、また多量の血を流された飛鳥川。
何も語らぬ川はただ冷気のみを運んできます。川風は本当に涼しさを通り越して寒いくらいでした。

石舞台。曽我馬子の古墳。当時一番の権力を握っていた蘇我の頭領の墓だけに古墳を構成する石の大きさも半端ではない。


伝 飛鳥板葺宮跡。ここは乙巳の変で中大兄、鎌足らが蘇我入鹿を惨殺したといわれるところである。このことは後で述べるが、写真に写っているように石碑が立っている。
 これは志貴皇子の有名な歌「采女の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」を刻んだものである。志貴皇子は天武天皇の皇子の一人であるが、亡き天智系であったので権力からは遠く、もっぱら優れた和歌を詠み、万葉集に多く採用されている。
 ところで蛇足であるが、後述のようにこの後しばらくは天皇家の系列は天武系で継がれていたが、奈良時代の中期、この志貴皇子の子孫が天皇系列になり、今の天皇家も天智系列であるという。歴史は面白い!

ところで話を戻すと、乙巳の変で中大兄と中臣鎌足などにクーデターで入鹿、蝦夷は殺され蘇我氏は権力の座から排除される。(厳密にいうと蘇我石川麻呂は乙巳の変では中大兄、鎌足側に付くが、その後讒訴され、自害し果てる。多分中大兄と鎌足などの策謀でろう。)
その後対外的には日本は(韓国も同じだが)中国での統一王朝 唐 に対し、戦々恐々とした対応を取らざるを得なくなってくる。天智はそのため都を大津京まで後退させている。
国内的には中大兄→天智天皇の死後、天智の弟 天武がクーデター=壬申の乱を起こし、天智の息子、大友皇子は殺され、天武が覇権を握る。
天武が元気だったころ、一時 持統が病気になり、その治癒を願って発願されたのが薬師寺である。(出来たのは天武の死後、持統の時代)

天武は律令制度を確立しようとしたが道半ばで死に、天武の皇后である持統が天皇に就き、律令制度の確立を果たした。またこの時期あたりがいわゆる「白鳳時代」でもある。
 天智あたりから聖武天皇あたり、もしくはその前あたりまでが「天皇がすべての実権を持った」時代であった思われる。
言い換えれば白鳳時代は天皇実権の絶頂期であった。明らかにこの時代に日本の政治的基礎、基本が確立された時代であった。古事記、日本書記はまさしくこの時代にオーソライズされたものである。天照伝説=持統であることは明らかである。しかし、それは一方、天皇自らが覇権争いの先頭に立って戦うということであり、自らの手や体を血まみれにするということでもあった。
持統でいえば、自身の子である草壁皇子を次期天皇につけるため「別腹」の大津皇子を直接or間接かは別として殺した。天武亡き後は自らが持統として天皇の位に就く。草壁が死んでしまった後は孫 軽皇子を継がせるべく庇護をした。(持統が守ったおかげ?でその孫 軽皇子は 文武天皇となる。)
 
どの時代でも、トップの権力を握っていれば内紛、策略、暗殺などは日常茶飯事ですさまじく、そうでなければ生き残ってはいかれなかったのは事実であったろう。
 日本書紀、古事記、天照伝説、すべては持統の存在を中心にして、従来のものを再編成して組み上げられたものだろう。凄い!!!!
でもその後、藤原氏が着実に実権を簒奪しはじめ、天皇は後方へと退いていく。

①中大兄は藤原鎌足とつるんで乙巳の変を企図し、実行した。→蘇我氏を滅ぼし天皇集権とした。
②天武は天智系を滅ぼし、日本のヘゲモニーをとった。
③その藤原氏に後年 天皇の実権を簒奪された。
④天皇家もいつの間にか天智系が握るようになった。

「きんたまを藤原氏に握られた」天皇家が平成の世まで生き永らえたのは、藤原氏のおかげだったともいえ、歴史のアイロニーであるが、本当の天皇家の凄さ、怖さとも言えよう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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