ガラスの向こう側

フォトブログ★日々の暮らしの中でふと心に触れたもの

現実のとなりに

2016年05月03日 | 写真雑感

GWなのに、暗い写真ですいません。
ブログに日々写真を載せてると、多少変化も必要となります。
作風というものがある以上、ある程度パターン化するのは仕方がありません。
しかし、そんな中でも、少しは緩急がないといけないなと思います。
自分の中の明と暗、動と静、遠と近、時には善と悪、そんな感じでしょうか。

さて今日の写真ですが、久し振りにGRDの文字モードで撮ってみました。
以前にも書いたと思いますが、状況によって粗粒子効果が出て、
独特の描写をみせてくれます。現実を少しシュールな方へと
シフトしてくれる、そんな面白さがあります。

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心象写真について

2016年04月26日 | 写真雑感

心象写真とは、現実の風景やモノ(抽象的なものも含めて)に、
自らの心の一部分を重ね合わせて、あるいは投影して、映像化したもの。
かなり大ざっぱですが、私はそのように解釈しています。
公園の水たまりにしばし心を奪われる、これもそれに属するのかなと思います。

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色彩が語るもの

2016年03月30日 | 写真雑感

色彩というのはとても饒舌にその場の雰囲気を語ってくれます。
もし、この場面が蛍光灯でグリーン味が強かったなら、全く違った
情景になりますよね。さらに単色系なのも大切で、あまり多くの色を
入れないということも重要だなと思います。

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写真的観察力

2016年03月15日 | 写真雑感

盲導犬の訓練で難しいもののひとつが頭上の危険を察知すると
いうことらしいです。なるほど、自分よりも随分と背の高い人間が
上の方でぶつからない様に配慮するということは、彼らにとって
至難の業なのでしょう。

少し内容は違うけど、 人間も平面的な観察に陥りがちなようです。 
これはカフェの天井なのですが、気付いたのは数回目に行った時。
写真をするものは、平面のみならず、上や下にもしっかりと
目を向けたいものです。

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写真のタイトルについて

2016年03月02日 | 写真雑感

写真のタイトル何がいいですかねと相談されることがしばしばあります。
タイトルは自分で考えるべきだとかの正論を説くのは面倒なので、
成り行き上、一緒に考えたりします。でも、なかなかいい案が浮かびません。
自身の写真だと、撮ったときのイメージが頭の中にあるので比較的すんなりと
決まるのですが、他人のだとそうはいきません。やはり、作者が撮影時に
しっかりと対象と対峙するというのがとても大切なのだなと思います。

さて、今日の写真のタイトルですが・・・ちょっと悩みます(笑)

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想像に負う部分

2016年01月23日 | 写真雑感

すべてを簡単に理解できるよりも、想像に負う部分を残しておいた方がいい、
そんな考えが私にはあります。それがうまい具合に収まるといいのですが、
往々にして行き過ぎる傾向にあります。でも、それでいいのかなと思います。
一枚では分からなくても、たくさん見て頂くことによって何かが伝わる、
そういった感覚ですね。

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2015年を振り返って(11月)

2015年12月30日 | 写真雑感

【11月の未掲載作品より】・・・撮影時の記憶について

シリーズ「2015年を振り返って」、今日で最終回です。
1月から撮ったものを見返して改めて思ったことですが、けっこう
その時の気持ちやおおよその設定(絞りなど)を覚えてるものですね。
特に丁寧に撮ったものはよりしっかりと思い出すことができます。
これはプロ棋士が100手を超える指し手をも正確に再現できるのと
どこか似てるように思います。いい加減な勝負をしていたのなら、
ものの10手くらいで進めなくなるでしょう。もちろん、写真の場合は自らの
気持ちを抑え、軽いタッチでどんどん撮っていく、そんな手法もあると思います。
だが、私は前述の手法。いずれにしても、自身のスタイルをしっかりと
認識し確立するのが肝心だなと思います。

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2015年を振り返って(3月)

2015年12月22日 | 写真雑感

【3月の未掲載作品より】

写真を評価するのには二通りあって、そのひとつは好き嫌いという基準。
そして、もうひとつは自らの好みを排除して、純粋に判断するということ。
多くの人はその前者だと思うし、それでいいのだと思います。
好みを超えての評価が必要なのは指導的な立場の人か、もしくは評論家
ぐらいでしょう。 

ただ、自身の写真に対しては、個性が出てるのかとか、
心がこもってるだろうかとか、その他諸々の要素が複雑に絡まり合って、
そのセレクトはなかなか容易ではありません。
最後は直感がものをいう、そんな感じです。

なんてことをうだうだ思いながら、3月の写真を見直しました。

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自然のままがいい

2015年11月09日 | 写真雑感

先日、落ち葉の作品を見せてもらったときの話。
それがあまりにもバランスよく散らばっていたので、
もしかして、この葉っぱ、置いたのかなと疑問を持ちました。
聞いてみると、置いたのではなくて、不要なものを取り除いたとのこと。
完全に配置したのではないけれど、やはり、どこかに不自然さが残り、
スッキリしないものがあります。自然なものと手を加えたもの、
そこには微妙に違う空気が存在するように思います。
言ってみれば、ドキュメンタリーと再現映像、あるいは、天然モノと養殖モノ。
再現映像も養殖モノもけっして悪いわけではありません。
でも、それを逆だと言ってはいけないというルールがあります。
分らないように、適度にバランスを崩す、それにもきっと無理があるでしょう。
自然の風雨の代わりは人にはできませんから・・・・。

★写真と文は無関係です 

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個性という名の独りよがり

2015年10月28日 | 写真雑感

最近、というか以前から、とてもへそ曲がりなことを考えています。
よく、祇園の町角に舞妓さんがいたらとか、赤い傘の女性がいたらとか、
あるいは、この青空にいい感じの雲があったらとか、言いますよね。
それらはだいたい似たような内容で、揃ってどんどんと同じ方向に向かっていく
ように思います。そんな没個性な作品でいいのだろうか。やはり大切なのは
個性なんじゃなかろうか。・・・・そんなことを考えながら、独りよがりな写真を
出す快感に酔いしれております(笑)

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