【11月の未掲載作品より】・・・撮影時の記憶について
シリーズ「2015年を振り返って」、今日で最終回です。
1月から撮ったものを見返して改めて思ったことですが、けっこう
その時の気持ちやおおよその設定(絞りなど)を覚えてるものですね。
特に丁寧に撮ったものはよりしっかりと思い出すことができます。
これはプロ棋士が100手を超える指し手をも正確に再現できるのと
どこか似てるように思います。いい加減な勝負をしていたのなら、
ものの10手くらいで進めなくなるでしょう。もちろん、写真の場合は自らの
気持ちを抑え、軽いタッチでどんどん撮っていく、そんな手法もあると思います。
だが、私は前述の手法。いずれにしても、自身のスタイルをしっかりと
認識し確立するのが肝心だなと思います。
先日、落ち葉の作品を見せてもらったときの話。
それがあまりにもバランスよく散らばっていたので、
もしかして、この葉っぱ、置いたのかなと疑問を持ちました。
聞いてみると、置いたのではなくて、不要なものを取り除いたとのこと。
完全に配置したのではないけれど、やはり、どこかに不自然さが残り、
スッキリしないものがあります。自然なものと手を加えたもの、
そこには微妙に違う空気が存在するように思います。
言ってみれば、ドキュメンタリーと再現映像、あるいは、天然モノと養殖モノ。
再現映像も養殖モノもけっして悪いわけではありません。
でも、それを逆だと言ってはいけないというルールがあります。
分らないように、適度にバランスを崩す、それにもきっと無理があるでしょう。
自然の風雨の代わりは人にはできませんから・・・・。
★写真と文は無関係です