土曜日朝、羽田へ。
そして新千歳へ。紅葉先取り!
今回は札幌じゃないところに行きました。温泉も入りましたよ。
一日目は著者候補の方とミーティング。
二日目は所用をこなしたり、海鮮丼をたべたりして
最後に新千歳で以前から会う約束をしていた北海道在住ASD当事者の方とおしゃべりしました。
そのときに出た会話です。
実は私は、ASDの人から話を聞きだすとき
あまり共感をあらわさないようにしています。
「わかるわ~」とか「私もおんなじよ」とか言う人はいますが
そういう会話の進め方があまりぴんとこないんです。
ていうか、場合によってはASDの人に不親切なんじゃないの? とか思うことも。
だって「わかんない」もん。
たとえば、ASDの人の多くが味わう「うつ」のつらさなんて、私にはわかりません。
私も落ち込むことはあります。
でも放っておくと脳が勝手に軌道修正してくれる。
「さあがんばろう」という気持ちが自然に沸いてくる。
何日も、何ヶ月も、何年も身体が動かなくなるほどの「うつ」なんて想像もつきません。
たいていの嫌なことは有酸素運動とビールで消えていくのではないでしょうか。
あるいは稀勢の里が勝ったりすれば(これが難しいんだけどさ)。
気分のコントロールに薬なんてどうして必要なのか「肌身では」わからない。
でも周囲に、薬が見る見る間に効果を上げる人たちもいっぱいいるんで
「必要な人もいるんだろう」とはわかります。
昨日もASDの当事者に
「なんでなんで?」の嵐でした。
その方は「なんでって訊いて貰ってよかったです」と言ってくださいました。
「なんでって訊かれないのもつらい」と。
私は言いました。
「私もこだわりネタがあったり(お相撲・キティちゃん)、ASDっぽいところが皆無なわけではありません。でも仕事が医療や福祉や教育じゃないせいか、少なくとも当事者の前では『わかるわ~』って言わないことにしているんです。それが礼儀なんじゃないかな、って。だって本当にわかんないもん。脳みそが違うんだからわかんないよ」
その方は言いました。「『わかるわ~』って言われるとむかつくことあるんですよね」
「うん。でも教育関係の方とかはとてもカンタンに『私にも同じようなところがある』とおっしゃいますよね。それでイヤミなのかなんなのか、講演の後とかに『浅見さんは違いを強調するんですね』とか言われることがあります。でも私の仕事は調べて、伝えることだから。共感することじゃないから。嘘の共感は当事者に無礼だから」
新刊「自閉っ子的 心身安定生活!」
(http://www.kafusha.com/shinkanyoyaku/shinkanyoyaku.html)でも藤家ちゅん平さんに、「二次障害」のつらさと、そこからどうやって立ち直れたかをいっぱい訊きました。
実は定型発達者で、「なんでこんなに落ち込むのかわからない」ってフシギに思っている人結構いっぱいいると思います。みんな私みたいに口に出さないだけで。
その証拠に二次障害でのうつや不安を「甘えだ」って言われることも多いでしょう?
私は実はね、元々そっちの系統の人間なんです。今は違うけどね。
私を変えたものは共感じゃありません。「違うんだ」っていう知識です。
「どうしてわかってくれないんだろう?」って当事者は思うかもしれませんが
「脳みそが違うからわかんないんだ」ってところから出発したほうがかえって理解は広がるような気がするんですよね。
人間として共感するのは当然。
でも違うものは違う。
写真は北海道の鮭キティちゃん。
北海道のキティちゃんはもう全部持ってたかと思っていましたが、どんどん増えます。
さすが観光地!