相撲部のお通夜のような夜が明けた。
大関魁皇の引退。
ある意味で、朝青龍のときより衝撃が大きかったかもしれない。
稀勢の里原理主義者(by 画伯)と呼ばれる私にもこれは応えた。
で、ふと思った。
いいなあ、引退。
ていうか私はどうしてまだ引退していないんだっけ。発達障害の世界から。
2009年の時点で引退するはずだったのに。
そうだ、引退しようと思っていたら、神田橋先生の企画がきてしまったのだった。
あれがなかったらとっくにやめていただろうに。
「これは出さなきゃいけない」って思ったんだよな。
それからなんだかするするつながってしまって今に至る。
今私が一番怖くないもの、それはネタ切れ。
いつやめてもいいと思っているから、ネタが切れたら喜んでやめる。
それが切れないんだよな。
全然切れない。
愛読者の皆さんとアンチ花風社の皆さんのおかげで、本を出すたびに話題になり
なんだか仕事がつながっていく。
魁皇の引退を深く悲しむうちに
私の中に「発想の転換」が起きてきた。
いや、この「発想の転換」って、最近の大地君の愛用キーワードでもあるんですけどね。
魁皇が現役を引退するということは
年寄になるということ。
そっちも大事かもしれない。
課題の多い角界改革にとっても。
後進の育成という点においても。
白鵬が帰化して引退後年寄になるかどうかは知らないが(たぶんなるんでしょうね)
まだまだ親方っていう感じじゃない。
何しろ出稽古に行ってリベンジするくらい血気盛んだからな。
稀勢の里が引退する姿もまだ全然想像できない。
未完の大器だからね。
未完で終わるかもしれないけど、大器であることはたしか。
でも魁皇が親方になる姿はあっさり想像できる。
きっといい親方になるでしょう。遅咲きで、しかも怪我が多かった分。
そこで気がついた。
私が引退できないのは
きっとまだじゅうぶん枯れてないからですね。
引退するにはまだ修行が足りないようです。
だからまだ企画がきちゃうんでしょう。
大関魁皇の引退。
ある意味で、朝青龍のときより衝撃が大きかったかもしれない。
稀勢の里原理主義者(by 画伯)と呼ばれる私にもこれは応えた。
で、ふと思った。
いいなあ、引退。
ていうか私はどうしてまだ引退していないんだっけ。発達障害の世界から。
2009年の時点で引退するはずだったのに。
そうだ、引退しようと思っていたら、神田橋先生の企画がきてしまったのだった。
あれがなかったらとっくにやめていただろうに。
「これは出さなきゃいけない」って思ったんだよな。
それからなんだかするするつながってしまって今に至る。
今私が一番怖くないもの、それはネタ切れ。
いつやめてもいいと思っているから、ネタが切れたら喜んでやめる。
それが切れないんだよな。
全然切れない。
愛読者の皆さんとアンチ花風社の皆さんのおかげで、本を出すたびに話題になり
なんだか仕事がつながっていく。
魁皇の引退を深く悲しむうちに
私の中に「発想の転換」が起きてきた。
いや、この「発想の転換」って、最近の大地君の愛用キーワードでもあるんですけどね。
魁皇が現役を引退するということは
年寄になるということ。
そっちも大事かもしれない。
課題の多い角界改革にとっても。
後進の育成という点においても。
白鵬が帰化して引退後年寄になるかどうかは知らないが(たぶんなるんでしょうね)
まだまだ親方っていう感じじゃない。
何しろ出稽古に行ってリベンジするくらい血気盛んだからな。
稀勢の里が引退する姿もまだ全然想像できない。
未完の大器だからね。
未完で終わるかもしれないけど、大器であることはたしか。
でも魁皇が親方になる姿はあっさり想像できる。
きっといい親方になるでしょう。遅咲きで、しかも怪我が多かった分。
そこで気がついた。
私が引退できないのは
きっとまだじゅうぶん枯れてないからですね。
引退するにはまだ修行が足りないようです。
だからまだ企画がきちゃうんでしょう。