「画伯ダジャレ原画係御中」等
皆さん担当名にオリジナリティを発揮していただき(これ見ているだけで楽しいです)
ついに応募が12名さまに!
画伯の原画、大人気。
原画って実物見ると、きれいなもんですよ。
一等賞は当該のダジャレ原画として
三等くらいまで出してもらえないでしょうかね。
ダジャレ応募に添付されてくるメッセージも楽しいです。
「読む前にまずダジャレ探しました。これから読みます!」という方もいれば
「子どもがはまってしまいダジャレを唱えています」という方も。やっぱり自閉っ子とダジャレは相性よさそうね。
もちろん読んでから応募、という方もいらっしゃいます。
たとえば
=====
昨日全部よみました。
アスペルガーの子ども、という以前に、人間のこどもとして、こんなにしっかり育てられて、こんなにまっすぐに育ってる子どもが増えたら日本の未来は明るくなるなぁというのが一番の感想です。
障害があってもなくても、みんな人間は成長できる。そして、障害のある子を育てるというより先に、人を育てているんだ、という視点は重度の子を育てているからこそ余計失ってはならないんだと再確認しました。
子育ての工夫や苦労は定型発達のお子さんの育児とは違います。でも、人を育てているというのは変わらないんだよなぁと、最近しみじみ感じています。
=====
そう思いますね。
白くま母さんが仕事に復帰して、大地君がしてくれた話。
「ママは学校に通ってお勉強して、仕事について、また仕事に復帰しても、家に帰ってきてもお勉強している。仕事っていうのはそういうものなんだなと思った」
これ聞いて、「普通のことじゃん」って思いました。
別にサラリーマンだって普通でしょ?
きちんと自分の仕事をする人にとっては。
親が真摯に仕事に向き合っている家と、そうじゃない家では
将来の仕事観の養われ方が違うだろうなあ。
そういう意味で、親が自分の仕事にきっちり向き合うっていうこと自体が
もう将来への準備なんですね。
TPPの議論が騒がしく、私もずっと経緯を見守っていましたが
昨日書店で「世代間格差解消」みたいな本が出てて、うん、たしかに世代間格差は問題だ、と思いましたが
だとするとこれまで保護されてきた産業が本当に保護に値するものなのか
「将来の世代のことを考えて」決めなければいけないと思うんですよね。
第一次産業っていうのは、自然に左右されるから
先進国に相応しいリスク回避方法を生産者に提供することは必須だと思います。
不作で娘を売る、なんていうことがあってはならない。
でも助成金目当てに一つの作物に集中するとか、それで余るとか
やはりそういう保護は間違った保護じゃないかと思うようになりましたよ。
新興国の成長を取り込まなければならない、っていうのは
たびたび東南アジアに出かける身としては、実感します。
率直に言って
若者の目が違います。
もちろん私たちの若い頃だって、新興国の若者に比べればゆるかったでしょう。
すでに豊かな国で育ちましたからね。
でも、日本はいやおうなく外に開かれていくでしょうし
(TPPに参加してもしなくても)
そうすると、賃金の安い国の労働者との競争が始まります。
作業所の工賃が安い?
同じ賃金で働く健常者、新興国にはいますよ。
そしてそういう人たちが作ったモノが、関税なしで入ってくるかもしれないですよ?
加工貿易で成り立ってきた国。
そこで得た富が福祉をも支えてきたんです。
その国が震災に見舞われ、そして開かれようとしているとき
福祉や教育だけが聖域であり続けられるというのは
現実的な見方に私には思えません。
従来型の福祉の言論を追求したい人はしていればいいと思います。
花風社は世の中の流れを見て行きます。
さて、博多行ってきます。
明日お目にかかれる皆様、よろしくお願いいたします。
皆さん担当名にオリジナリティを発揮していただき(これ見ているだけで楽しいです)
ついに応募が12名さまに!
画伯の原画、大人気。
原画って実物見ると、きれいなもんですよ。
一等賞は当該のダジャレ原画として
三等くらいまで出してもらえないでしょうかね。
ダジャレ応募に添付されてくるメッセージも楽しいです。
「読む前にまずダジャレ探しました。これから読みます!」という方もいれば
「子どもがはまってしまいダジャレを唱えています」という方も。やっぱり自閉っ子とダジャレは相性よさそうね。
もちろん読んでから応募、という方もいらっしゃいます。
たとえば
=====
昨日全部よみました。
アスペルガーの子ども、という以前に、人間のこどもとして、こんなにしっかり育てられて、こんなにまっすぐに育ってる子どもが増えたら日本の未来は明るくなるなぁというのが一番の感想です。
障害があってもなくても、みんな人間は成長できる。そして、障害のある子を育てるというより先に、人を育てているんだ、という視点は重度の子を育てているからこそ余計失ってはならないんだと再確認しました。
子育ての工夫や苦労は定型発達のお子さんの育児とは違います。でも、人を育てているというのは変わらないんだよなぁと、最近しみじみ感じています。
=====
そう思いますね。
白くま母さんが仕事に復帰して、大地君がしてくれた話。
「ママは学校に通ってお勉強して、仕事について、また仕事に復帰しても、家に帰ってきてもお勉強している。仕事っていうのはそういうものなんだなと思った」
これ聞いて、「普通のことじゃん」って思いました。
別にサラリーマンだって普通でしょ?
きちんと自分の仕事をする人にとっては。
親が真摯に仕事に向き合っている家と、そうじゃない家では
将来の仕事観の養われ方が違うだろうなあ。
そういう意味で、親が自分の仕事にきっちり向き合うっていうこと自体が
もう将来への準備なんですね。
TPPの議論が騒がしく、私もずっと経緯を見守っていましたが
昨日書店で「世代間格差解消」みたいな本が出てて、うん、たしかに世代間格差は問題だ、と思いましたが
だとするとこれまで保護されてきた産業が本当に保護に値するものなのか
「将来の世代のことを考えて」決めなければいけないと思うんですよね。
第一次産業っていうのは、自然に左右されるから
先進国に相応しいリスク回避方法を生産者に提供することは必須だと思います。
不作で娘を売る、なんていうことがあってはならない。
でも助成金目当てに一つの作物に集中するとか、それで余るとか
やはりそういう保護は間違った保護じゃないかと思うようになりましたよ。
新興国の成長を取り込まなければならない、っていうのは
たびたび東南アジアに出かける身としては、実感します。
率直に言って
若者の目が違います。
もちろん私たちの若い頃だって、新興国の若者に比べればゆるかったでしょう。
すでに豊かな国で育ちましたからね。
でも、日本はいやおうなく外に開かれていくでしょうし
(TPPに参加してもしなくても)
そうすると、賃金の安い国の労働者との競争が始まります。
作業所の工賃が安い?
同じ賃金で働く健常者、新興国にはいますよ。
そしてそういう人たちが作ったモノが、関税なしで入ってくるかもしれないですよ?
加工貿易で成り立ってきた国。
そこで得た富が福祉をも支えてきたんです。
その国が震災に見舞われ、そして開かれようとしているとき
福祉や教育だけが聖域であり続けられるというのは
現実的な見方に私には思えません。
従来型の福祉の言論を追求したい人はしていればいいと思います。
花風社は世の中の流れを見て行きます。
さて、博多行ってきます。
明日お目にかかれる皆様、よろしくお願いいたします。