昨日、2024年2月28日、Xのトレンドに「臨床心理士」が上がっていました。私はのべつまくなしに臨床心理士の悪口を言っていますが、もちろん私の発言の影響ではなく、なんかもめごとがあったようでした。
そういえば公認心理師導入前の騒ぎも面白かったですね。口ではきれいごとばかり並べながら、表向きの志とは真逆の利権確保に汲々とする醜態を意識高い心理士のみなさんがさらしていて面白かったです。ま、あっちが本性ですな。
昨日の騒ぎは要するに、臨床心理士も公認心理師も持っていない勝手なキラキラ民間資格の人が(まあ臨床心理士も民間資格ですが)カウンセラーを名乗って商売することが気に食わない、というギルド的な党派心むき出しのクレームでした。
そして臨床心理士や公認心理師がいかに優れているかの証左として、公の機関、たとえば学校のスクールカウンセラーは資格が必須だとか、そういう根拠を並べ立てているのでした。
実にコミカルです。
人々がカウンセラーに何を求めるかというと、問題解決です。そして今のところ、臨床心理士や公認心理師といえど問題解決できない人の方がずっと多いことはもうばれてるわけです。
だから我々は、臨床心理士や公認心理師の免許を持っていてもそれが「優れたカウンセラーである証」としてはみなしていないわけです。
どうせ民間の勝手資格のカウンセラーだって愛着障害と承認欲求の塊みたいな人だらけで問題解決なんかしないでしょうけど、どっちみち問題解決しないのなら免許の種類がなんだろうと消費者には関係ないわけです。
もし、万が一、民間の勝手資格の保持者で問題解決に力がある人がいたら、それはとても素晴らしいことで、役に立たない臨床心理士や公認心理師よりずっと役立つカウンセラーなわけです。
それくらい、消費者にとっては資格の種類など関係ない。
役に立つかどうかだけが大事。
もし公的機関に雇われるのに特定の資格が必要だとするなら、それは行政上の管理の問題であり、行政が雇う資格を持っているカウンセラーだからといって質が保障されているわけではありません。
いや、まだ事情を知らない消費者だと、そういう資格保持者に騙される人もいるだろうけど、我々はあまりに知りすぎています。
大抵の臨床心理士や公認心理師は役立たずだと。
だから行政がこの二つの資格保持者を雇うというならば、それは「濃厚接触者」を決めるにあたりマスクの有無を目安にしたのと同じような線引きのための目安にすぎず
つまり、資格には一枚10円くらいの不織布マスク程度の価値はあるんでしょう。
でも不織布マスクをしていたから濃厚接触者にならなかったように、臨床心理士や公認心理師を持っていたからスクールカウンセラーに雇われたりするのなら、
何が何でも官で働いてどや顔したい! と願う心理士諸氏には価値はあるんでしょうけど
でも大抵のスクールカウンセラーは役に立たないから
不登校もいじめも教師のメンタルヘルス問題もなんにも解決していないから
ギルドの中にいない我々にとっては、臨床心理士だろうと公認心理師だろうとそのほかのキラキラ資格だろうとどうでもいいわけです。
というわけで、私的に考えてみました。心理士番付。
ナンバー1 治す人
これは当たり前だと思います。レアだけど。
ナンバー2 治す人で民間(自費)の人
治す人がもしいたなら、できれば民間人である方がありがたい。公金食わないからです。
ナンバー3 治す人で官側(スクールカウンセラー等)の人
まあ愛甲さんくらい治すのなら公金食っててもいいかな、ということです。ただし皆さんもご存じのとおり絶滅危惧種。
4 治さない人で民間の人
顧客が勝手に選んで勝手に自分の金払ってくれるなら、治さないカウンセラーの迷惑もあまり大きくありません。
そしてもちろん最悪なのが
5 治さないで官の人
ですね。役立たずのスクールカウンセラーとか、そういう人たちです。で、心理士ズはここに入りたがるし、ここが利権のありどころなので、ここに入るための二つの資格は彼らの中ではすごく大きいんだと思う。色々文句ばっかり言ってるのもここをめぐっての争いのゆえ。志望者のボリュームゾーンがでかいみたい。
そのためには、さぞ貴重なんでしょう。彼らにとっては。この二つの資格が。
まあこっちからみると、ぺらっぺらの不織布マスク程度の目印にすぎないんですけどね。
そういえば公認心理師導入前の騒ぎも面白かったですね。口ではきれいごとばかり並べながら、表向きの志とは真逆の利権確保に汲々とする醜態を意識高い心理士のみなさんがさらしていて面白かったです。ま、あっちが本性ですな。
昨日の騒ぎは要するに、臨床心理士も公認心理師も持っていない勝手なキラキラ民間資格の人が(まあ臨床心理士も民間資格ですが)カウンセラーを名乗って商売することが気に食わない、というギルド的な党派心むき出しのクレームでした。
そして臨床心理士や公認心理師がいかに優れているかの証左として、公の機関、たとえば学校のスクールカウンセラーは資格が必須だとか、そういう根拠を並べ立てているのでした。
実にコミカルです。
人々がカウンセラーに何を求めるかというと、問題解決です。そして今のところ、臨床心理士や公認心理師といえど問題解決できない人の方がずっと多いことはもうばれてるわけです。
だから我々は、臨床心理士や公認心理師の免許を持っていてもそれが「優れたカウンセラーである証」としてはみなしていないわけです。
どうせ民間の勝手資格のカウンセラーだって愛着障害と承認欲求の塊みたいな人だらけで問題解決なんかしないでしょうけど、どっちみち問題解決しないのなら免許の種類がなんだろうと消費者には関係ないわけです。
もし、万が一、民間の勝手資格の保持者で問題解決に力がある人がいたら、それはとても素晴らしいことで、役に立たない臨床心理士や公認心理師よりずっと役立つカウンセラーなわけです。
それくらい、消費者にとっては資格の種類など関係ない。
役に立つかどうかだけが大事。
もし公的機関に雇われるのに特定の資格が必要だとするなら、それは行政上の管理の問題であり、行政が雇う資格を持っているカウンセラーだからといって質が保障されているわけではありません。
いや、まだ事情を知らない消費者だと、そういう資格保持者に騙される人もいるだろうけど、我々はあまりに知りすぎています。
大抵の臨床心理士や公認心理師は役立たずだと。
だから行政がこの二つの資格保持者を雇うというならば、それは「濃厚接触者」を決めるにあたりマスクの有無を目安にしたのと同じような線引きのための目安にすぎず
つまり、資格には一枚10円くらいの不織布マスク程度の価値はあるんでしょう。
でも不織布マスクをしていたから濃厚接触者にならなかったように、臨床心理士や公認心理師を持っていたからスクールカウンセラーに雇われたりするのなら、
何が何でも官で働いてどや顔したい! と願う心理士諸氏には価値はあるんでしょうけど
でも大抵のスクールカウンセラーは役に立たないから
不登校もいじめも教師のメンタルヘルス問題もなんにも解決していないから
ギルドの中にいない我々にとっては、臨床心理士だろうと公認心理師だろうとそのほかのキラキラ資格だろうとどうでもいいわけです。
というわけで、私的に考えてみました。心理士番付。
ナンバー1 治す人
これは当たり前だと思います。レアだけど。
ナンバー2 治す人で民間(自費)の人
治す人がもしいたなら、できれば民間人である方がありがたい。公金食わないからです。
ナンバー3 治す人で官側(スクールカウンセラー等)の人
まあ愛甲さんくらい治すのなら公金食っててもいいかな、ということです。ただし皆さんもご存じのとおり絶滅危惧種。
4 治さない人で民間の人
顧客が勝手に選んで勝手に自分の金払ってくれるなら、治さないカウンセラーの迷惑もあまり大きくありません。
そしてもちろん最悪なのが
5 治さないで官の人
ですね。役立たずのスクールカウンセラーとか、そういう人たちです。で、心理士ズはここに入りたがるし、ここが利権のありどころなので、ここに入るための二つの資格は彼らの中ではすごく大きいんだと思う。色々文句ばっかり言ってるのもここをめぐっての争いのゆえ。志望者のボリュームゾーンがでかいみたい。
そのためには、さぞ貴重なんでしょう。彼らにとっては。この二つの資格が。
まあこっちからみると、ぺらっぺらの不織布マスク程度の目印にすぎないんですけどね。