さて、今日の予定投稿は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』からーの
昨今の騒動についてです。
楽天さんからレビューをいただいてきました。
昨今の騒動から、新サイト「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれることになったわけですが、「彼ら」の騒ぎ方は「あの事件」と構図が同じです。ですので今、あえて持ってきました。
=====
自閉症の理解と誤解
浅見淳子さんの立ち位置が今までよくわからず、この人は福祉関係にいないのに
なぜこのギョーカイに詳しいのか?と思っていたのですが
このような(本の内容)経験があったんだなと謎が解けました。
私も支援者として、気になることもあるし
自閉症ではないけれど障がい者の家族でもあるため
「人様に迷惑をかけないように・・・」とこれまで
それだけを考えていましたが
それを壊しているのが自分が所属している福祉ギョーカイの人間だったり
保護の意味を間違えている家族たちの作り上げた世界が
自閉症スペクトラムの人へ誤解を招いていることもあるのだな・・・と
ゾッとする内容ではありました。
自閉症とそうでない人のボーダーラインも難しい日本ですから
知的障害だろうがなんだろうが人権を考えるべきであれば
犯罪を犯したら法を守らせるのが義務ではないかと私も考えております。
障がい者だから、精神薄弱だからなんでもアリ!の世の中は
もうおしまいにしたいです。
佐世保中学女子の事件に関しても通じるところがあるので
是非、ギョーカイでない人にも読んでもらうべきであります。
=====
障害がある、障害のある家族がいる、障害のある人を支援する仕事をしている。
これは、障害者ととりあえず関わりのない社会の人すべてが自分たちのゴリ押しを認めてくれる理由にはなりません、それは当たり前のこと。
花風社クラスタの皆さんはそんなこと、保護者も支援者も、そして成人当事者も、重々ご承知でしょう。
だからこそ、少しでも自分も周りも楽になるよう「治そう」としている。
ところがそれを被害的に受け取る不思議な人がたくさんいるのは、皆さんも目撃しているとおりです。
花風社の読者層は前向きな親御さんとあまりこじらせてない成人当事者。
そして対局の人たちがなぜか、花風社のことを嫌いなくせにじっと見つづけてる。不思議ですね。
もちろん、発達障害の家族がいて、自分たちが社会的弱者だという自己認識があるのなら、行政に対しては、支援制度を求めていけばいいでしょう。
行政に対してはね。
でも匿名で集団で考えの違う民間人の口封じまでするのは行きすぎ。
「病んでるなあ」という声も高かったですね。
愛読者の中には彼らが振りまくデマによって私に対する誤解が行き交うことに悔しさを感じた人も多かったようですが
それは気にしてもらう必要はありません。
彼らは本当のことを言われると「暴言」と思う不思議な人たち。
それだけ心がささくれているのでしょう。
そして私自身に反省する点があるとすれば
私は今、藤家さんの本を作りながら涙が出るくらい頑張りやの彼女に感動する反面
頑張らない人、レベルの低いところで満足している人、最初から自分が努力するより社会にたかる方を選ぶ人は虫唾が走るほど嫌いです。
そして、障害がありながらなんとか自立性を高めようと頑張ってる子を集団でつついた十年前の事件には未だに鬼畜の仕業だと思っています。
障害児の親が鬼畜になりうるとわかった事件でした。
そして
食事や排泄、睡眠、運動と言った人を育てる上で大事に決まっている当たり前のことに気を使う親御さんたちを支援者ぐるみでトンデモ扱いする行為は
彼らが今後1ミリの「人としてごく当たり前の努力」をする気もなく社会にたかるつもりであることを示しているとみなしています。
本当に社会のためを思うのなら
たとえ自分たちがエビデンスにこだわろうと
違う道を選び支援を抜けるほど発達していく人の存在を貶さず寿ぐでしょうから。
もう婉曲表現は捨てましょう。
彼らは鬼畜です。
婉曲表現を作り出してしまったように、幸か不幸か私には言語体力が備わっています。
これは、両刃の剣となります。
だからこそ今後「なるべく」強い言葉を吐かないためにも
そういう嫌いなタイプの人間を完全に視界の外、圏外に置くことにしました。
私は卑屈な人たちが大嫌いな反面
たとえ今時点で努力が実っていないとしても前向きな人にはとても優しいし、頑張る人は精一杯応援する人間であるのも
支持者の皆さんが分かっていることの一つです。
花風社が発達障害の世界になかったらどうなっていただろう。
そう考えて「あってくれてよかった」と思う人が全国にたくさんいるのもまた事実です。
そしてね
そういうことを理解せず、自分たちの感覚こそが絶対だと思い、
その花風社と愛読者に対してああいうやり方をしているのを見ると
社会は今後もずっと自閉症者・発達障害者とその家族、そして狂信的な支援者を疎んじ続けるだろうなあ、と今回思いました。
何より皆さんは、
同じ当事者、保護者、支援者として、自分の弱い心が壊れるのが怖くてヒステリックに他人の口封じをするような人たちと仲間でいたいですか?
私は自閉症者とその家族の啓発運動が身勝手さが、今回の「鍵アカにしろ」に象徴されていると思います。
フォローしているわけでもない。なのに気になって気になって勝手に見に来る。
治そうと試行錯誤している人、そのために自分たちには勇気その他がなくて手が出せない方法に乗り出して結果を喜んでいる人が気にくわない。
だから鍵アカにしろ。
「本当は治りたい」ことの現れですね。
なのに素直に認められない。
そして怖くて手が出せない。
だからそれで治ったと喜んでいる人がいると悔しくてたまらない。
そして、生まれてから論文の一本も読んだことのない人たちが論文をだせ~とか言う。
だったら信用してやるとかいう。
あなたたちに信用してもらう必要はありません。
あなたたちは手を出さなければいいし、治らなければいい。
えらい人のお墨付きがないと判断できない自信のない人たちなんですね。
だから標準()なるものから離れるのが怖くて仕方ない。
けれども花風社クラスタの人たちは判断できる。
我が子の体調を細かく細かく観察して日々判断する試行錯誤の能力がある。
だからやってみる。治っていく。
それが目障り。
だから黙れ。鍵アカにしろ。
そういう無体な要求が聞き届けられると思っている。
なぜなら自分たちは障害があるから。その家族だから。その支援者だから。
だから他人は自分に従うべき。
多くのギョーカイ啓発がこの発想で、身内だけでありもしない正当性をたしかめあい、社会に無理難題を押し付け、
その結果発達障害者とその支援者がまるごと社会に嫌われています。
(左派)メディアが弱者様の機嫌を取ろうとも、社会の実感はメディアとは相当違うはずです。
国営?放送で発達障害の特集を組むたびに「この人たちとかかわりになりたくない」と思う人は増えているとは思いませんか?
私の周りの一般の人たちは、ああいう番組をみるとかえって発達障害に偏見を持つようになってますよ。
出てくる人たちの要求が、あまりに自分勝手だから。
「まともな人もいる」と私はむしろ擁護してますよ。
繰り返します。
この本の加害者も全く同じ「弱者である俺にひれ伏せ」という思考回路でした。
そして有罪となったのです。
論文出せーの代わりに彼は
源泉徴収みせろーパスポートみせろーと言ったのです。理由? 自分がみたくてたまらないから。
そして一向に開示を認めない裁判所の決定が不思議でたまらなかったようです。
そもそも自閉症である自分が訴えられたことさえ不当だと最後まで主張していました。
ね、そっくりでしょ?
おそらく当事者保護者支援者が必死になってやってるつもりの多くの啓発運動が社会全般からは「非常識な要求」と見られています。
そしてなんだかうとまれていることを自分たちでも薄々知っているからこそちょっとした差別発言(と自分たちが感じて仲間内で合意が取れたもの)に対してヒステリック騒ぎ立てる。
その姿を見て「治りたい。そしてあの人たちの仲間でいたくない」と思う人が出てきてもそれは当たり前。
ならば、治ることを目指せばいいのです。
たとえ今の時点でエビデンスがなくても、安全性を確認しながら試行錯誤してみたい。
そう思って子育てするのなら、それは個々の家庭の自由なのです。
猿をはじめとする獣だって我が子に餌の取り方を教える。
ましてや人間である以上、子どもをできるだけ自立性の高い人生に導くのは親の務め。
だったらなんとか治ってもらいたい、自力で食べられる子になってほしい、というのは当然の親心です。
そして最大のリソースである親心、廣木さんのようにスパコンもさえしのぐ親心を、あえて諦めさせようとする支援者、ないがしろにする支援者が多い。
親心を抑え込み、専門性の名の下に飼い殺しの支援を押しつける。
そうやって血税に胡座をかき、可能性のある子どもたちの未来を消化試合にする。
それに私はずっと怒っているのです。
おまけに身体アプローチのエビデンスも、そして発達障害の一部の人がたしかに治っていくというエビデンスも出てきているのです。
新サイトではそのご紹介できるかもしれません。
けれどもたとえエビデンスを目の前に出されたとしても、なんだかんだ文句を言って、それを学ぼうともしない支援者が多いのもまた発達障害のギョーカイです。
学ばない方が利権が守れますからね。
それは金銭的な利権だけではありません。
治す力もなく、それを培う意欲もなく、卑屈な親に媚びた発言をしているだけで専門家としてどや顔できるのはこのギョーカイだけですから。
ギョーカイに渦巻く
「社会の理解があれば生きやすくなる」は集団妄想です。
理解されるより、治った方が生きやすくなるに決まっているじゃないですか。
治ったらもう理解なんかいらない。
理解理解言うこと自体、支援として「レベルが低い」証拠です。
だから私は啓発とは一線を画しました。
「治そう」と呼びかけることにしました。
そのためにたとえ地図にない島でも発見したら「発見した」と報告することにしました。
そうしたら地図しか見る気のない自称専門家が湧いてきました。
ギョーカイの大御所である杉山先生の本すら読んでいないらしき不勉強な自称専門家たち。
有資格者を名乗っていますが、匿名なんですから「本物の医療従事者というエビデンス」は全くありません。
「なりすましではない」という証明もできない匿名支援者たち。
発達障害に関する知識も実に不確かだし不勉強。
けれどもこじらせた保護者と当事者はなぜかその支援者の実在性を信じる。おめでたいですね。
彼らが本当はエビデンスなど重視していないのは匿名の支援者を頭からホンモノだと信じていることからも明らかです。
知識をつける努力もしないその自称支援者たちが唯一気を配っているのは何か。
発達障害の親の中でも「もっとも卑屈な層」に受けがいいような、媚びるような言動を保つこと。
治したことのない人は、治っていく層と卑屈な層の違いすらわかってないのです。
そして前向きな人たちを叩く。
弱者のヒーロー、ヒロインでいるために。
なぜなら弱者の中でもとびきり向上心のない弱者しかそういうダメな支援者を支持しませんからね。
本当に実効性のある前に進める情報を求めている人が、不勉強丸出しの匿名自称資格保持者を支持するわけがないでしょう?
その自称支援者たちの不確かなパワハラから読者を守るためにも、新サイトを作ることにしました。
ツイッターにルールがあるように新サイトにもルールがあります。そして今回、そのルールを決めるのは私です。
保護者も当事者も「治りたい」「治った」と堂々と言ってもいい。
支援者として発言する人は、本名が原則。もしくはハンドルネームで発言するのなら管理人である私が身元をつかんでいることが発言の条件。
保護者は原則ハンドルネーム。
なぜならそれが子どもの将来の選択肢を広げるから。
将来障害者として生きていくかどうかを決めるのは親ではなく子どもだから。
それが絶対のルールです。
治りたい、治したい人たちが安心して情報交換できる場所にします。
支援者として反対意見を書きたい人は、まずお問い合わせフォームからどうぞ。
所属も書いてもらいます。
実在の支援者だと確かめられたら書き込みを許可します。
そしてギョーカイがこの先(営業のために?)過剰診断すればするほど
凡医たちが策も与えず「一生治りません」とウソをついて診断だけ下して無為無策でいるほど
療育が伸ばさず成人支援が飼い殺しに留まるほど
これではいけない
子どもの未来を諦めたくない、と
必死の親心で検索して検索して
「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人もいるでしょう。
あるいは成人で診断を「食らった」ひとでも
今の花風社支持の成人当事者たちのように、就労支援の飼い殺しに見切りをつけ「発達障害、治るっきゃない!」と心に決め
そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどりつく人もいるでしょう。
そのあとどういうアプローチを取り入れるかは個々で判断すればいいだけ。
これまでみなさんが必死に花風社にたどり着いたように
これからは「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人が出てくるでしょう。
そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」は成功例を可視化する場にします。
治った人には存分に自慢してもらいます。
だから治った皆さん。
そろそろ治った自慢の下書きをお願いします。
誰のため?
後続世代のためです。
後続世代のため
治った皆さんは堂々と治った自慢をしてください。
治った自慢は卑屈な人たちを刺激するかもしれない。でも彼らはもう圏外。どうでもいい人たちです。
そして次世代の治りたい人たちは「治そう! 発達障害 どっとこむ」で治った皆さんが展開する治った話にこそ勇気づけられるはずです。
つまり
同世代で治りたくない人は置き去りにしていいのです。
私たちは彼らではなく、将来「治りたい」と願い、この場にたどり着く後続世代と手をつなぎましょう。
たとえ治った人が目の前にいても見たくない人は見なくてよい新サイト。
見たくない人は、目の前にある島に目を向けず、スマホの画面だけを食い入るように見て「島なんてないんだ!」と治らない教徒仲間で傷口舐めあい叫んでいればいいと思います。
そして治る人は治っていけばいい。
その人たちを置き去りにして。
花風社クラスタの多くが
彼らにもまた治ってもらいたいと思っていたのを私は知っています。
まだ検証されてないとしても、こんなに簡単にお金もかからず治っていく方法がある。
それを伝えたくて必死に反論していたのを見てきました。
それさえ彼らは悪意にとりました。
「カルト」とか「攻撃的」とか言いました。
「一生治らない脳機能障害」をエビデンスもなく盲信して攻撃しているのは彼ら自身であるにもかかわらず。
結局誰も「一生治らない」という論文を未だに持ってきていません。
それでも花風社クラスタの皆さんは
彼らにも治ってほしかった。
その中で一貫して「治りたくない人は治らなくていい」と言い続けたのが私です。
でも皆さんにもわかったでしょう?
彼らは治る必要なんかない。
あの人たちは、置き去りにしていいのです。
あの人たちを置き去りにすることに、なんにも躊躇う必要はありません。
治る人は治ればいいだけ。
社会は治った人を賞賛し、受け入れる場所です。
保険の加入でさえ、服薬の有無、雇用されている形態で変わってくるのです。
お母さんの子育て後のキャリアさえ、治るか治らないかで変わってくるのです。
つまり、一家の生活水準が変わってくるのです。
社会は発達障害者やその親を一律に遇しません。努力する人を評価します。結果を出す人を評価します。それが社会です。当たり前です。
ならば私たちは、結果も出せないまま足を引っ張ろうとする卑屈な集団など置き去りにして、広い社会の中で生き抜く道を選ぼうではありませんか。
今度の集団凍結騒動を見て、「人間ってこんなに屈折できるのか。まともな親ならあれを見てやはり発達障害は治さなくてはいけないと思うだろう」と言った方がいました。
当たり前の親心ですね。
「キ○ガイが集団で通報して有益なアカを凍結したり削除したり、ツイッター社も考えたほうがいい時期」といった方もいました。
常識的な感覚ですね。
でもよいのです。
ツイッターにツイッターのルールがあるように「治そう! 発達障害 どっとこむ」にもルールを作りますから。
そして、この極めて常識的な発言をしたおふたり
そのどちらもがアンチに絡まれていますが
その絡んできたアンチはいい大人なのに自傷がやめられないとか。
社会が理解したって自傷は止まりません。
脳と身体が楽にならないと自傷は止まりません。
その方法を私たちはたくさん知っています。
みんな、お金もかからない色々な方法を試し、それぞれ自分に一番合ったものにたどり着いています。
エビデンスがないというだけでその方法を試したくないなら頭が血だらけになるまでやればいいでしょう。
(もっとも、私が「頭が血だらけになるまでやればいい」と思うようになったのは最近ですけどね。ごく最近までそこまでは思わなかったですよ)
この本の加害者も同じでした。
大嫌いな私から目が背けられない。自分で自分の不安をコントロールできない。
苦しみを消化できず、そして八つ当たり。
そして有罪判決。
自分の不安がコントロールできないがゆえに、他人には他人の考えがあり喜びがあることを理解できない不自由な脳みそ。
それが自閉症なら、治った方がいいです。
なぜならその特性は、自分を苦しめ社会にとっても迷惑だからです。
苦しみが覆い被さった能力が発揮できず、結局は一生損してしまうからです。
もっともこれが自閉症由来かどうかは厳密にはわかりません。
ニキさんや藤家さんをはじめとする花風社周辺の成人当事者の方々にはない要素だからです。
でもそれを治さないと「他者の権利」は守れません。
他者の権利を守れない人は社会でつまはじきにされて不思議ではありません。
嫌われて当たり前です。自閉症だから嫌われるのではなく他者の権利、他者の自由を守れない人だから嫌われるのです。
他者の権利が守れない人が社会に受容されるはずがないではないですか。
花風社の新サイトは「治った! 治った!」の声にあふれることでしょう。
「治せというのか!」「治すなんて差別!」「エビデンスガー」「あんなの治ったとは言えない!」「個人の体験談なんてあてにならない!」
と思う人たちは指をくわえて、ツイッターに戻ってそこで吠えていればいいのです。
そして治らない教徒の蛸壺と化したツイッター発達障害界隈でえんえんと傷口の舐め合いをやっていればいいのです。
実在するというエビデンスもない匿名支援者に花風社の悪口を吹き込まれ慰められながら。
誰も治らず、治っていく人たちには置き去りにされたまま。
私は鍵アカですから、そして基本新規フォローは受けませんから、食ってかかられてもブロックして終わりです。
そもそも、今後「治そう! 発達障害 どっとこむ」が立ち上がったらもうツイッターにはせいぜい新着情報をリンクしに出かけるだけだと思います。
そして
私たちは、「治そう! 発達障害 どっとこむ」で「治そう!」を推進していき
地図にない島でも発見したら報告し合います。
そのうちルートができるかもしれません。
私は今日、地図にある島、誰かがルートを作っておいてくれたからこそ驚くほど簡単に出かけられた遠くの島から戻ります。
私はこの島で過ごした数日間で得難い体験をしました。ピカピカの顔で帰ります。
そう。
地図にない島でもあったら報告するのは、やがてその島を目指す後続世代の役に立つのです。後続世代が楽にたどり着けるようになるからです。
私が島で何をしていたか?
たくさん遊びました。
この歳になって初めてカヌー漕いだり。
そしてリラックスしながら
今回の経緯からなぜ「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれたかを電子書籍にまとめていました。
将来「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着いた人が
もし興味があれば、読めるように。
なぜ私が「治そう」というか。
なぜこの場を作ったのか。
自閉症の脳みそを持って生まれても、他者の権利を大事にする人を一人でも増やすために明日からまた活動していきます。
そしておそらく明日、新サイトのロゴを発表できます。
これは会議室のイラストです。
トップ画面には別のメインロゴを置きます。
それをたぶんもうすぐ発表できる段階です。
お楽しみに。
昨今の騒動についてです。
楽天さんからレビューをいただいてきました。
昨今の騒動から、新サイト「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれることになったわけですが、「彼ら」の騒ぎ方は「あの事件」と構図が同じです。ですので今、あえて持ってきました。
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自閉症の理解と誤解
浅見淳子さんの立ち位置が今までよくわからず、この人は福祉関係にいないのに
なぜこのギョーカイに詳しいのか?と思っていたのですが
このような(本の内容)経験があったんだなと謎が解けました。
私も支援者として、気になることもあるし
自閉症ではないけれど障がい者の家族でもあるため
「人様に迷惑をかけないように・・・」とこれまで
それだけを考えていましたが
それを壊しているのが自分が所属している福祉ギョーカイの人間だったり
保護の意味を間違えている家族たちの作り上げた世界が
自閉症スペクトラムの人へ誤解を招いていることもあるのだな・・・と
ゾッとする内容ではありました。
自閉症とそうでない人のボーダーラインも難しい日本ですから
知的障害だろうがなんだろうが人権を考えるべきであれば
犯罪を犯したら法を守らせるのが義務ではないかと私も考えております。
障がい者だから、精神薄弱だからなんでもアリ!の世の中は
もうおしまいにしたいです。
佐世保中学女子の事件に関しても通じるところがあるので
是非、ギョーカイでない人にも読んでもらうべきであります。
=====
障害がある、障害のある家族がいる、障害のある人を支援する仕事をしている。
これは、障害者ととりあえず関わりのない社会の人すべてが自分たちのゴリ押しを認めてくれる理由にはなりません、それは当たり前のこと。
花風社クラスタの皆さんはそんなこと、保護者も支援者も、そして成人当事者も、重々ご承知でしょう。
だからこそ、少しでも自分も周りも楽になるよう「治そう」としている。
ところがそれを被害的に受け取る不思議な人がたくさんいるのは、皆さんも目撃しているとおりです。
花風社の読者層は前向きな親御さんとあまりこじらせてない成人当事者。
そして対局の人たちがなぜか、花風社のことを嫌いなくせにじっと見つづけてる。不思議ですね。
もちろん、発達障害の家族がいて、自分たちが社会的弱者だという自己認識があるのなら、行政に対しては、支援制度を求めていけばいいでしょう。
行政に対してはね。
でも匿名で集団で考えの違う民間人の口封じまでするのは行きすぎ。
「病んでるなあ」という声も高かったですね。
愛読者の中には彼らが振りまくデマによって私に対する誤解が行き交うことに悔しさを感じた人も多かったようですが
それは気にしてもらう必要はありません。
彼らは本当のことを言われると「暴言」と思う不思議な人たち。
それだけ心がささくれているのでしょう。
そして私自身に反省する点があるとすれば
私は今、藤家さんの本を作りながら涙が出るくらい頑張りやの彼女に感動する反面
頑張らない人、レベルの低いところで満足している人、最初から自分が努力するより社会にたかる方を選ぶ人は虫唾が走るほど嫌いです。
そして、障害がありながらなんとか自立性を高めようと頑張ってる子を集団でつついた十年前の事件には未だに鬼畜の仕業だと思っています。
障害児の親が鬼畜になりうるとわかった事件でした。
そして
食事や排泄、睡眠、運動と言った人を育てる上で大事に決まっている当たり前のことに気を使う親御さんたちを支援者ぐるみでトンデモ扱いする行為は
彼らが今後1ミリの「人としてごく当たり前の努力」をする気もなく社会にたかるつもりであることを示しているとみなしています。
本当に社会のためを思うのなら
たとえ自分たちがエビデンスにこだわろうと
違う道を選び支援を抜けるほど発達していく人の存在を貶さず寿ぐでしょうから。
もう婉曲表現は捨てましょう。
彼らは鬼畜です。
婉曲表現を作り出してしまったように、幸か不幸か私には言語体力が備わっています。
これは、両刃の剣となります。
だからこそ今後「なるべく」強い言葉を吐かないためにも
そういう嫌いなタイプの人間を完全に視界の外、圏外に置くことにしました。
私は卑屈な人たちが大嫌いな反面
たとえ今時点で努力が実っていないとしても前向きな人にはとても優しいし、頑張る人は精一杯応援する人間であるのも
支持者の皆さんが分かっていることの一つです。
花風社が発達障害の世界になかったらどうなっていただろう。
そう考えて「あってくれてよかった」と思う人が全国にたくさんいるのもまた事実です。
そしてね
そういうことを理解せず、自分たちの感覚こそが絶対だと思い、
その花風社と愛読者に対してああいうやり方をしているのを見ると
社会は今後もずっと自閉症者・発達障害者とその家族、そして狂信的な支援者を疎んじ続けるだろうなあ、と今回思いました。
何より皆さんは、
同じ当事者、保護者、支援者として、自分の弱い心が壊れるのが怖くてヒステリックに他人の口封じをするような人たちと仲間でいたいですか?
私は自閉症者とその家族の啓発運動が身勝手さが、今回の「鍵アカにしろ」に象徴されていると思います。
フォローしているわけでもない。なのに気になって気になって勝手に見に来る。
治そうと試行錯誤している人、そのために自分たちには勇気その他がなくて手が出せない方法に乗り出して結果を喜んでいる人が気にくわない。
だから鍵アカにしろ。
「本当は治りたい」ことの現れですね。
なのに素直に認められない。
そして怖くて手が出せない。
だからそれで治ったと喜んでいる人がいると悔しくてたまらない。
そして、生まれてから論文の一本も読んだことのない人たちが論文をだせ~とか言う。
だったら信用してやるとかいう。
あなたたちに信用してもらう必要はありません。
あなたたちは手を出さなければいいし、治らなければいい。
えらい人のお墨付きがないと判断できない自信のない人たちなんですね。
だから標準()なるものから離れるのが怖くて仕方ない。
けれども花風社クラスタの人たちは判断できる。
我が子の体調を細かく細かく観察して日々判断する試行錯誤の能力がある。
だからやってみる。治っていく。
それが目障り。
だから黙れ。鍵アカにしろ。
そういう無体な要求が聞き届けられると思っている。
なぜなら自分たちは障害があるから。その家族だから。その支援者だから。
だから他人は自分に従うべき。
多くのギョーカイ啓発がこの発想で、身内だけでありもしない正当性をたしかめあい、社会に無理難題を押し付け、
その結果発達障害者とその支援者がまるごと社会に嫌われています。
(左派)メディアが弱者様の機嫌を取ろうとも、社会の実感はメディアとは相当違うはずです。
国営?放送で発達障害の特集を組むたびに「この人たちとかかわりになりたくない」と思う人は増えているとは思いませんか?
私の周りの一般の人たちは、ああいう番組をみるとかえって発達障害に偏見を持つようになってますよ。
出てくる人たちの要求が、あまりに自分勝手だから。
「まともな人もいる」と私はむしろ擁護してますよ。
繰り返します。
この本の加害者も全く同じ「弱者である俺にひれ伏せ」という思考回路でした。
そして有罪となったのです。
論文出せーの代わりに彼は
源泉徴収みせろーパスポートみせろーと言ったのです。理由? 自分がみたくてたまらないから。
そして一向に開示を認めない裁判所の決定が不思議でたまらなかったようです。
そもそも自閉症である自分が訴えられたことさえ不当だと最後まで主張していました。
ね、そっくりでしょ?
おそらく当事者保護者支援者が必死になってやってるつもりの多くの啓発運動が社会全般からは「非常識な要求」と見られています。
そしてなんだかうとまれていることを自分たちでも薄々知っているからこそちょっとした差別発言(と自分たちが感じて仲間内で合意が取れたもの)に対してヒステリック騒ぎ立てる。
その姿を見て「治りたい。そしてあの人たちの仲間でいたくない」と思う人が出てきてもそれは当たり前。
ならば、治ることを目指せばいいのです。
たとえ今の時点でエビデンスがなくても、安全性を確認しながら試行錯誤してみたい。
そう思って子育てするのなら、それは個々の家庭の自由なのです。
猿をはじめとする獣だって我が子に餌の取り方を教える。
ましてや人間である以上、子どもをできるだけ自立性の高い人生に導くのは親の務め。
だったらなんとか治ってもらいたい、自力で食べられる子になってほしい、というのは当然の親心です。
そして最大のリソースである親心、廣木さんのようにスパコンもさえしのぐ親心を、あえて諦めさせようとする支援者、ないがしろにする支援者が多い。
親心を抑え込み、専門性の名の下に飼い殺しの支援を押しつける。
そうやって血税に胡座をかき、可能性のある子どもたちの未来を消化試合にする。
それに私はずっと怒っているのです。
おまけに身体アプローチのエビデンスも、そして発達障害の一部の人がたしかに治っていくというエビデンスも出てきているのです。
新サイトではそのご紹介できるかもしれません。
けれどもたとえエビデンスを目の前に出されたとしても、なんだかんだ文句を言って、それを学ぼうともしない支援者が多いのもまた発達障害のギョーカイです。
学ばない方が利権が守れますからね。
それは金銭的な利権だけではありません。
治す力もなく、それを培う意欲もなく、卑屈な親に媚びた発言をしているだけで専門家としてどや顔できるのはこのギョーカイだけですから。
ギョーカイに渦巻く
「社会の理解があれば生きやすくなる」は集団妄想です。
理解されるより、治った方が生きやすくなるに決まっているじゃないですか。
治ったらもう理解なんかいらない。
理解理解言うこと自体、支援として「レベルが低い」証拠です。
だから私は啓発とは一線を画しました。
「治そう」と呼びかけることにしました。
そのためにたとえ地図にない島でも発見したら「発見した」と報告することにしました。
そうしたら地図しか見る気のない自称専門家が湧いてきました。
ギョーカイの大御所である杉山先生の本すら読んでいないらしき不勉強な自称専門家たち。
有資格者を名乗っていますが、匿名なんですから「本物の医療従事者というエビデンス」は全くありません。
「なりすましではない」という証明もできない匿名支援者たち。
発達障害に関する知識も実に不確かだし不勉強。
けれどもこじらせた保護者と当事者はなぜかその支援者の実在性を信じる。おめでたいですね。
彼らが本当はエビデンスなど重視していないのは匿名の支援者を頭からホンモノだと信じていることからも明らかです。
知識をつける努力もしないその自称支援者たちが唯一気を配っているのは何か。
発達障害の親の中でも「もっとも卑屈な層」に受けがいいような、媚びるような言動を保つこと。
治したことのない人は、治っていく層と卑屈な層の違いすらわかってないのです。
そして前向きな人たちを叩く。
弱者のヒーロー、ヒロインでいるために。
なぜなら弱者の中でもとびきり向上心のない弱者しかそういうダメな支援者を支持しませんからね。
本当に実効性のある前に進める情報を求めている人が、不勉強丸出しの匿名自称資格保持者を支持するわけがないでしょう?
その自称支援者たちの不確かなパワハラから読者を守るためにも、新サイトを作ることにしました。
ツイッターにルールがあるように新サイトにもルールがあります。そして今回、そのルールを決めるのは私です。
保護者も当事者も「治りたい」「治った」と堂々と言ってもいい。
支援者として発言する人は、本名が原則。もしくはハンドルネームで発言するのなら管理人である私が身元をつかんでいることが発言の条件。
保護者は原則ハンドルネーム。
なぜならそれが子どもの将来の選択肢を広げるから。
将来障害者として生きていくかどうかを決めるのは親ではなく子どもだから。
それが絶対のルールです。
治りたい、治したい人たちが安心して情報交換できる場所にします。
支援者として反対意見を書きたい人は、まずお問い合わせフォームからどうぞ。
所属も書いてもらいます。
実在の支援者だと確かめられたら書き込みを許可します。
そしてギョーカイがこの先(営業のために?)過剰診断すればするほど
凡医たちが策も与えず「一生治りません」とウソをついて診断だけ下して無為無策でいるほど
療育が伸ばさず成人支援が飼い殺しに留まるほど
これではいけない
子どもの未来を諦めたくない、と
必死の親心で検索して検索して
「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人もいるでしょう。
あるいは成人で診断を「食らった」ひとでも
今の花風社支持の成人当事者たちのように、就労支援の飼い殺しに見切りをつけ「発達障害、治るっきゃない!」と心に決め
そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどりつく人もいるでしょう。
そのあとどういうアプローチを取り入れるかは個々で判断すればいいだけ。
これまでみなさんが必死に花風社にたどり着いたように
これからは「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人が出てくるでしょう。
そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」は成功例を可視化する場にします。
治った人には存分に自慢してもらいます。
だから治った皆さん。
そろそろ治った自慢の下書きをお願いします。
誰のため?
後続世代のためです。
後続世代のため
治った皆さんは堂々と治った自慢をしてください。
治った自慢は卑屈な人たちを刺激するかもしれない。でも彼らはもう圏外。どうでもいい人たちです。
そして次世代の治りたい人たちは「治そう! 発達障害 どっとこむ」で治った皆さんが展開する治った話にこそ勇気づけられるはずです。
つまり
同世代で治りたくない人は置き去りにしていいのです。
私たちは彼らではなく、将来「治りたい」と願い、この場にたどり着く後続世代と手をつなぎましょう。
たとえ治った人が目の前にいても見たくない人は見なくてよい新サイト。
見たくない人は、目の前にある島に目を向けず、スマホの画面だけを食い入るように見て「島なんてないんだ!」と治らない教徒仲間で傷口舐めあい叫んでいればいいと思います。
そして治る人は治っていけばいい。
その人たちを置き去りにして。
花風社クラスタの多くが
彼らにもまた治ってもらいたいと思っていたのを私は知っています。
まだ検証されてないとしても、こんなに簡単にお金もかからず治っていく方法がある。
それを伝えたくて必死に反論していたのを見てきました。
それさえ彼らは悪意にとりました。
「カルト」とか「攻撃的」とか言いました。
「一生治らない脳機能障害」をエビデンスもなく盲信して攻撃しているのは彼ら自身であるにもかかわらず。
結局誰も「一生治らない」という論文を未だに持ってきていません。
それでも花風社クラスタの皆さんは
彼らにも治ってほしかった。
その中で一貫して「治りたくない人は治らなくていい」と言い続けたのが私です。
でも皆さんにもわかったでしょう?
彼らは治る必要なんかない。
あの人たちは、置き去りにしていいのです。
あの人たちを置き去りにすることに、なんにも躊躇う必要はありません。
治る人は治ればいいだけ。
社会は治った人を賞賛し、受け入れる場所です。
保険の加入でさえ、服薬の有無、雇用されている形態で変わってくるのです。
お母さんの子育て後のキャリアさえ、治るか治らないかで変わってくるのです。
つまり、一家の生活水準が変わってくるのです。
社会は発達障害者やその親を一律に遇しません。努力する人を評価します。結果を出す人を評価します。それが社会です。当たり前です。
ならば私たちは、結果も出せないまま足を引っ張ろうとする卑屈な集団など置き去りにして、広い社会の中で生き抜く道を選ぼうではありませんか。
今度の集団凍結騒動を見て、「人間ってこんなに屈折できるのか。まともな親ならあれを見てやはり発達障害は治さなくてはいけないと思うだろう」と言った方がいました。
当たり前の親心ですね。
「キ○ガイが集団で通報して有益なアカを凍結したり削除したり、ツイッター社も考えたほうがいい時期」といった方もいました。
常識的な感覚ですね。
でもよいのです。
ツイッターにツイッターのルールがあるように「治そう! 発達障害 どっとこむ」にもルールを作りますから。
そして、この極めて常識的な発言をしたおふたり
そのどちらもがアンチに絡まれていますが
その絡んできたアンチはいい大人なのに自傷がやめられないとか。
社会が理解したって自傷は止まりません。
脳と身体が楽にならないと自傷は止まりません。
その方法を私たちはたくさん知っています。
みんな、お金もかからない色々な方法を試し、それぞれ自分に一番合ったものにたどり着いています。
エビデンスがないというだけでその方法を試したくないなら頭が血だらけになるまでやればいいでしょう。
(もっとも、私が「頭が血だらけになるまでやればいい」と思うようになったのは最近ですけどね。ごく最近までそこまでは思わなかったですよ)
この本の加害者も同じでした。
大嫌いな私から目が背けられない。自分で自分の不安をコントロールできない。
苦しみを消化できず、そして八つ当たり。
そして有罪判決。
自分の不安がコントロールできないがゆえに、他人には他人の考えがあり喜びがあることを理解できない不自由な脳みそ。
それが自閉症なら、治った方がいいです。
なぜならその特性は、自分を苦しめ社会にとっても迷惑だからです。
苦しみが覆い被さった能力が発揮できず、結局は一生損してしまうからです。
もっともこれが自閉症由来かどうかは厳密にはわかりません。
ニキさんや藤家さんをはじめとする花風社周辺の成人当事者の方々にはない要素だからです。
でもそれを治さないと「他者の権利」は守れません。
他者の権利を守れない人は社会でつまはじきにされて不思議ではありません。
嫌われて当たり前です。自閉症だから嫌われるのではなく他者の権利、他者の自由を守れない人だから嫌われるのです。
他者の権利が守れない人が社会に受容されるはずがないではないですか。
花風社の新サイトは「治った! 治った!」の声にあふれることでしょう。
「治せというのか!」「治すなんて差別!」「エビデンスガー」「あんなの治ったとは言えない!」「個人の体験談なんてあてにならない!」
と思う人たちは指をくわえて、ツイッターに戻ってそこで吠えていればいいのです。
そして治らない教徒の蛸壺と化したツイッター発達障害界隈でえんえんと傷口の舐め合いをやっていればいいのです。
実在するというエビデンスもない匿名支援者に花風社の悪口を吹き込まれ慰められながら。
誰も治らず、治っていく人たちには置き去りにされたまま。
私は鍵アカですから、そして基本新規フォローは受けませんから、食ってかかられてもブロックして終わりです。
そもそも、今後「治そう! 発達障害 どっとこむ」が立ち上がったらもうツイッターにはせいぜい新着情報をリンクしに出かけるだけだと思います。
そして
私たちは、「治そう! 発達障害 どっとこむ」で「治そう!」を推進していき
地図にない島でも発見したら報告し合います。
そのうちルートができるかもしれません。
私は今日、地図にある島、誰かがルートを作っておいてくれたからこそ驚くほど簡単に出かけられた遠くの島から戻ります。
私はこの島で過ごした数日間で得難い体験をしました。ピカピカの顔で帰ります。
そう。
地図にない島でもあったら報告するのは、やがてその島を目指す後続世代の役に立つのです。後続世代が楽にたどり着けるようになるからです。
私が島で何をしていたか?
たくさん遊びました。
この歳になって初めてカヌー漕いだり。
そしてリラックスしながら
今回の経緯からなぜ「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれたかを電子書籍にまとめていました。
将来「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着いた人が
もし興味があれば、読めるように。
なぜ私が「治そう」というか。
なぜこの場を作ったのか。
自閉症の脳みそを持って生まれても、他者の権利を大事にする人を一人でも増やすために明日からまた活動していきます。
そしておそらく明日、新サイトのロゴを発表できます。
これは会議室のイラストです。
トップ画面には別のメインロゴを置きます。
それをたぶんもうすぐ発表できる段階です。
お楽しみに。