香り屋のウラ稼業。

オオヤケにしない、香りのアレコレ。
ひとりごと。
自分と、少しの希望者のための、語り部屋。

人生変えたい人へ。

そもそも

2021-03-01 09:48:49 | 日記

マイノリティというカテゴライズごと。

マイノリティの人たちが立ち上がる。

ジェンダーに関すること、身体的な個性を持つ人、ありとあらゆるマイノリティと呼ばれる少数派の人たちが、尊厳を持って生きるために。

でもさ。

そもそも,ね。そもそも。

そういう集団的カテゴライズという概念すら、壊れればいいのにさって。

みんな個。みんなそれぞれ。みんなひとつの命、魂。

集団的に処理する概念すらなくなればいいのに。

セケンは、バイアスだらけで。

女性だから。男性だから。そうじゃないから。年寄りだから。若いから。子どもだから。ナニモノだから。

全ては個。今,生きてるか、そうじゃないか。でいいじゃん。とりあえず!

そして、集団的カテゴライズで傷つくのは、その権利を主張した主役ということも往々にして出てくるよ。

例えば、古典的なフェミニズムについては。女性も男性も全てに違いを設けずに集団的概念によっていっしょくたにしちゃうと、身体的特性や身体的機能なんかで、ものっすごくシンドイ思いをする。脳科学的にも、思考の偏りや優位性や、、、そういったものも違いが認められているし、身体的な面においても、解剖学的には当然に、生理学的にも違う。そして、男性と女性とで、疾病なんかも違うという見解も。

つまりは。集団的カテゴライズという概念ごと壊していかないと、それすらからもあぶれちゃった人たちを奈落の底に突き落とすべく、ひどい絶望感と苦痛を与えかねない。それを見ずして、本当の人権などはあり得ない。

まずは、って、そういう話なんでしょうけど、段階を経てという歩み方なら、その底で踏み躙られ黙殺されている声は、誰も聞くことができなくなるでしょう。

例え、それが一人の声だとしても、声は声で。

集団的カテゴライズという概念が崩壊し、全ては個、ひとつひとつの命がその場面ごとにくっついたり離れたりしながら、この世は回っている。

所属や回帰する場って、普遍じゃないんだ。時と共に、進化と共に、それすらも変わってくること。家族は血縁という古い概念が朽ちていく今、全ては変わるを前提としないと、集団的な所属すら、縛りという名の苦痛や命を奪うことになりかねない。

全ては、個。ひとりひとり、ひとつひとつ。

その都度、必要なモノと必要な個性が手を組んで、生きるんだ。

マイノリティとマジョリティという、概念すらも風化してしまえ!

 

と、今日はいつもに増して、意味がわからないと言われることを書いてみる。

 

 


大逆転するために

2021-02-17 13:27:39 | 日記

メガネ、めがね。

大事なもの、探し物は手に持っているという。

そして

嫌いなもの、ありますか。キライなもの。

あるいは,苦手なもの。ニガテ。

じゃあ、ソレから、逃げる!逃げられない。

多分、逃げられないなら、そんなでもない。

逃げられるなら、多分、呑み込める。

どっちにしろ、ここ掘れワンワン。

案外と、イイモノがそこに隠してあったりしてね。

 

良いと悪いはふたつでひとつ。

この世が陰陽であるなら、ひっくり返すことの大切さよね。

果敢に真っ正面から何度も立ち向かってもダメ。

ひっくり返す、これ大事。

コンプレックスを一番のチャームポイントに。

嫌いなもんを一番の源泉に。

辛いことを豊かさの種に。

トラウマを、人生の昇華に。いつか必ず。

 

 


胎教よりも大事なこと

2021-02-17 13:27:39 | 日記

感情って食べものとおんなじ。

感情が人を作ります。それは、胎児も一緒。経験則でも、そうだと確信します。

妊娠中の胎教、或いは,ストレスケアなど、そういう類の情報は調べれば山のように出てきます。それより一歩踏み込んで。

フツウの人より多い、妊娠体験と自然分娩と帝王切開両方の出産経験、子育て体験がありますが、確信したことのひとつに、妊娠中の感情と子どもの気質の密接な関係性があります。感情の揺れがストレスとして影響するという概念から一歩踏み込んで、妊娠中に感じた感情とその子の気質や潜在的な性格志向みたいなものが関係してるなあと思ったのが、3番目出産後でした。それから回を重ねるごとに、それぞれに経験した出来事と感情を俯瞰してみたところ、どうやら感情がエイヨウとなって子どもに行ってしまっていたらしいことを確信しました。それぞれに強く抱いた感情が、そのまま子の性格の礎をっていうか。ですから、恐れを強く抱いた時の子は怖がりの、否定感を強く持った時の子は自己否定が強く、怒りに満ちた時の子は感情が高揚しやすく、、、のような、そんな相関図みたいなのが、綺麗に出来上がったわけです。

経験としては、おそらく通常の人なら人生で経験しないだろうなってな事が、それなりにある人生ですが、感情さえ動かさなければ、、、つまり、動じないってやつ、、、どかーんと肝が据わった子が誕生しました。起きた出来事は客観的にみると相当に心身に堪えるようなことでしたが、秘技である薫りを酷使して(笑)意識的に感情の揺れを抑えました。すると見事に。

よって、穏やかなハッピーに包まれて過ごせば?となり、最後の妊娠中にはそれに努め、誕生した子はちょっと人間離れした雰囲気の(笑)情緒が落ち着いた子。それなり、いや、かなりキツい出来事があったにも関わらず。そう、妊娠ごとにとんでもないことが起こるのは恒例なのでした。そして忙しいんで、胎教するための時間なんてとれません。にも関わらず、胎教に良いことばかりしたみたいな子です(笑)

まあね、たまたまといえばたまたま。そして、何百、何千と統計をとっていないんで、主観であり非科学的ではありますが,子沢山の母親としては体感という経験でしか得られないモノがあるのですねえ。あれです、母親の勘。これは侮れないやつ(笑)

まあ、エビデンスの取りようがないんでアレですが、実際に妊娠中に感じたストレスなり感情は、ホルモンへと変換されて実際に胎児に影響を及ばし、成長やそういう妊娠経過に関係するという論拠はあるようです。が、単純に考えて、大人だって感情がその人を作るでしょ。心の向きだったり精神状態などのメンタルから、身体的な影響をも及ぼすのは周知の事実。いわゆる、自律神経失調症などは、内外のストレス過多からバランスを崩し、心や体調などに不都合や不調が生じるヤマイ。ヒトには恒常性があり、通常不都合無きよう変化を阻害・一定にする働きをしますが、自律神経が乱れると恒常性も乱れシンドイ症状が現れたりします。そう、バランスを崩す。突発的にそういう状態になること、パニック障害などもそう。ですから、感情を穏やかに、仮に大きなストレス環境やストレッサーがあったとしても、感情を整え、過度に揺れさなければ、心身を健やかに保つことは可能なのです。いわゆる、禅やマインドフルネス、ストレスマネジメントやアンガーマネジメントなどの役割や意義はここのところで、ヨガが心身特にメンタルに良いと言われるのは、深い呼吸による自律神経の調整とリラクゼーション、その思想によるところも大きいのだと思います。

感情って人のエサなんですよね。それは自身を作るエサでもあり、他者との関係性をも作る。良好な関係性は感情の安定は必須で、自分で自分のご機嫌取りのできない人間はサイアクです。そう、人に委ね、自身で責任を負わないこと。

胎教って色々あります。最新の研究,もあるでしょ。音楽や芸術や。でもそれってただの方法であって、最終的には母親の感情ありきなんですよね。それによって母親がどんだけシアワセ感じられるか。ですから、何もしなくってもとびっきりシアワセでいたら、ハッピーな子が!何度も言います。どんな環境にあろうとも、どんなことが起きようとも、心は自分で作る。感情は自分で整える。それが一番です!

 

シアワセな時間を!


生きる力、子育て

2021-02-17 12:19:55 | 日記

幼児期に大切なことは、丸ごと受容されること。それが一番です!

 

ウチのチビたちの保育園が揺れている。

某保育園さん。そんな名称で全国展開している保育所?託児?に呑み込まれてしまっちゃったと。

今までお世話になっていた園は、本当に素晴らしい園で。変わり者の我が子たちを辛抱強く見守ってくれる、優しさで包む素晴らしい、本当に美しい園です。

待つって、本当すごい技術なのよ。そして、待つという事こそ、子育て・教育の真髄だと、子沢山の母は確信するわけで。

子どもの教育って、受け止め受け入れ、待つ事、引き出す事と学ぶ方法を教えることが全てでしょう、だって、あの教育法が良いとかって、時代と風で変わってくる。普遍なのはシンプルなこと、要は生きる為に必要な武器を子どもが手にするのを見守ること。これはものすごくシンプルかつ原点であると同時に、ものっすごいスキルとセンスがいると思うのです。私、めっちゃ育ててるけど、一番難儀なのがこれ。

親がまだ意思のあやふやな子に、これからはこれ!とか、流行りのナニカ!とか、そんなナニカ当てがってね、子どもに適正なかったら、あるいは興味なかったら、やる気って言う大事な宝の種を潰す事に。

今、活躍してる若い子なんかを見てると、スポ根ではないよね(笑)楽しい!好き!うれしい!の気持ちが、努力すらも楽しみに変えて、悲壮感や疲弊感、ましてや、びんぼったらしい苦労感なんて感じさせない。でもそれが、結果、頑張る事、掴み取る勇気・握力、生きることの謳歌となる。素晴らしい、素敵じゃない!多分みんな共通するのが、愛されてるよね、愛でいっぱい。

 

某保育園さんの企業ページやいろんな記事やらで企業理念を拝読させていただくにつれ、とりあえず、共感できないこと多数。どうしましょう。正しいことを教えるって。。正しいって誰から見た正しさだろう?強いって?強くなけりゃ、生きられない?そうかしら?それより、弱い立場の人や困ってる人を助ける世の中の方がいいよね。皆が皆、強くなれるわけではないし、ある時は強いけどある時は弱いが、それが人間じゃんね。皆が弱くても強くても、自分という存在で、自分の足で立つことが一番じゃんね。

 

なんかを刷り込むことと混同されていらっしゃるような、そんな気配、その保育園の理念とやらは。申し訳ない、私はそう感じます。なぜなら、現場で働く人から、それも、真に志を持って支えてくださる職員に、失礼すぎる。本部からの人間が責任持って、状況ないし今後の展望を説明するのが筋でしょうに。子どもはね、金満思考の人間のために存在するんじゃない。本物の体験ってそもそも生活の横にあるし、幼少期はこれからの人生を支える大切な時期。その時期をどう過ごすかって、非日常の特別が多くあるのが良いんではなく、日常の中の揺るぎない愛情や愛に満ちた時間と空気、これが一番子どものこれからの基盤となり、支える力になるんだよね。それが、強さ。本当の強さ。大きくなってね、すっごく生きるのが辛くってね、そんな時に、記憶の中の深い愛情が力をくれる。そんなシンプルなことを全くわかっていない。自分ワールド広げたいのかしら?子どもを金に変えて。バブリー思考にも程があるんだっての。

前のシャチョーさんは職員さんを守ることなく自分守りってか。一所懸命こんな時代に、一番の重要な仕事を担う職員さんがブラック社員呼ばわりされても,ねえ?そこの支社長の座にすっぽり、ヌクヌクね。私も吹けば飛びまくる弱小会社の社長だけど。。それは無いわー?あんたの掲げた保育理念と園が気に入って、大好きで、尊敬して。だから大事な宝たち、預けてお世話になってたのに。経営母体が変わっても、せめて、現場運営自体の舵は取ってくれると思ってた。こんなに鞍替えしちゃうって見事だわね。

 

親としては多くの体験をさせてあげたい。そして、広い世界を。ウチは旅人なんで、気が向くとすぐ旅に出るので幸運でしょう。一方で、生活圏が広くない中で環境的変化のない中で育った人にも、日々の体験や五感で感じる事は尊いんだ。皆が広く羽ばたく必要もないし、それが、合わない人もいる。でも、暮らしの中で、触れる感覚・気が、愛に満ちて、五感を刺激し心を動かすことが重要で。富良野の広大な地でナニカを一時することよりも、日々の暮らしの延長線上にある裏山での秘密基地や、いつもの街中の公園の芝生の匂い、風の感覚、そしてなによりその子を愛する人たちのての温もり、そんな積み重ねが心を作り人を作るんだと、子沢山の母は思う。

 

あー。明日も悪口、ここに書こ!

 

 


ステキな人

2021-02-10 10:58:44 | 日記

お隣さんはめっちゃ素敵な人。

私、自分の領域にヒトが入ってくるのが堪らなくイヤなのです。

肉体的パーソナルスペースは絶対、精神的な領域にも、グッと入り込んでくるとか、知りたがるヒトがすごく苦手で、無意識で腰が引いてしまうというか。

怖さ半分、嫌悪半分と言ったところかな。

望んでいなくとも、アチラのエネルギーや気みたいなもんを感じ取って、そのこころ・胸の内と言動とが一致していない不調和を拾った途端、ぎゅう〜っと心も身も捻れてしまうようなへんな感覚になってしまうのです。意識的に向き合い合おうと努力しても、気が背を向けてしまう、、、ネジレを起こすので、寝違いみたいな痛みを感じてしまうのです。

ですから、安易にヒトを自分のフィールドには入れたくないし、常にバリアを張ったり、膜で覆ってしまう癖が子どもの頃からついてしまっていました。

それに伴って、親も含め周囲の大人たちから、自分らしくあることを拒絶され続けた結果、自分のことを開示するのも困難な性格になってしまい、ある時から知人の私への悪口が、何を考えてるかわからない。となって(笑)それはそうですよね、他人に心開かず隙も与えない、全く自分語りもしないのに、人見知りとかではないという。

そんな私が、ちょっと変な家系の人と一緒になった途端、姑はじめ、変な人たちから数々の試練と課題・修行まがいの苦痛を(笑)与えられて数年。今は、嫌な気、キライをひっくり返す技を習得、大抵の嫌は嫌ではなくなって。それをかわすことやねじ伏せること、ひっくり返して染みさせることで、ずいぶん図太く、ある意味では鈍感になれたのですが。そんな風にして、見る世界が変わる中で。

一見、変わった人、あるいは、感じの悪い人ってのがいます。

決して、迷惑行為をする低俗なヒトではないのに、セケンでは、ちょっと遠巻きに、あまり「人集りのできない人」。

反対に、ものすごく「いいヒト」もいます。あのヒト、本当にいいひとねって言われるような。

その違いって何かしら。

ある種のヒトにとって、いいヒトって、都合の良いヒト?

あるいは、良さげに見せることが上手なヒト?

実は、変な人、ちょっととっつき辛い人って、案外素敵な人が多いです。

胎の中が。ドロついた、ヘドロみたいな気を持っていないことが往々にしてある。まっすぐ、まっすぐで。都合の良い人間でないって、それだけ。

みんなには人気で、いいヒトねって言われるようなヒト。残念だけど、上手なだけなヒトが、ね。見せ方、魅せ方が、ね。良さげな外見、良さげなスペック、目で見て、得のある、付き合っていきたいと思わせることが上手な。その裏にいる人にとっては?光が眩しければ眩しいほどに、闇が引き立てる。その闇、どんな闇?

見えへんもん。

これは舅が大事にしていたこと。

見えるもんは後からだって見える。

よくね、スピリチュアル界隈のひとたちが言います。魂の、霊格の高いひとの周りには、ひとが集まります。と。

果たしてそうかしら。集うひとは、ヒトなのか,人なのか?それは集いなのか,群れ、なのか。

これからは、集いの規模でなく、質が重要だと感じます。

民主主義の中、それを見極めるのは困難でしょう。が、そこにある本質、気を、しっかり見出して欲しいのです。見えへんもん。です。

 

お隣さん。ちょっと変わっています。でも、サイコウに気の良い人です。悪口も言う(笑)でも、サイコウにいい気の巡り。何かを悪く思わないひとなどいません。ナニカを悪く思える人でないと、困るのですよ。

何を悪いと思えるか。何をどう感じられるのか。自分に都合が良いから良いのか?気持ち・心根が綺麗なのか?あなたにとって都合が悪い人でも。あなたの在り方がそもそも、、、なら?

旋毛を見る努力。それを心がけていれば、きっと見えへんもんも、見えるのかしらね?

ね?姑!