幼児期に大切なことは、丸ごと受容されること。それが一番です!
ウチのチビたちの保育園が揺れている。
某保育園さん。そんな名称で全国展開している保育所?託児?に呑み込まれてしまっちゃったと。
今までお世話になっていた園は、本当に素晴らしい園で。変わり者の我が子たちを辛抱強く見守ってくれる、優しさで包む素晴らしい、本当に美しい園です。
待つって、本当すごい技術なのよ。そして、待つという事こそ、子育て・教育の真髄だと、子沢山の母は確信するわけで。
子どもの教育って、受け止め受け入れ、待つ事、引き出す事と学ぶ方法を教えることが全てでしょう、だって、あの教育法が良いとかって、時代と風で変わってくる。普遍なのはシンプルなこと、要は生きる為に必要な武器を子どもが手にするのを見守ること。これはものすごくシンプルかつ原点であると同時に、ものっすごいスキルとセンスがいると思うのです。私、めっちゃ育ててるけど、一番難儀なのがこれ。
親がまだ意思のあやふやな子に、これからはこれ!とか、流行りのナニカ!とか、そんなナニカ当てがってね、子どもに適正なかったら、あるいは興味なかったら、やる気って言う大事な宝の種を潰す事に。
今、活躍してる若い子なんかを見てると、スポ根ではないよね(笑)楽しい!好き!うれしい!の気持ちが、努力すらも楽しみに変えて、悲壮感や疲弊感、ましてや、びんぼったらしい苦労感なんて感じさせない。でもそれが、結果、頑張る事、掴み取る勇気・握力、生きることの謳歌となる。素晴らしい、素敵じゃない!多分みんな共通するのが、愛されてるよね、愛でいっぱい。
某保育園さんの企業ページやいろんな記事やらで企業理念を拝読させていただくにつれ、とりあえず、共感できないこと多数。どうしましょう。正しいことを教えるって。。正しいって誰から見た正しさだろう?強いって?強くなけりゃ、生きられない?そうかしら?それより、弱い立場の人や困ってる人を助ける世の中の方がいいよね。皆が皆、強くなれるわけではないし、ある時は強いけどある時は弱いが、それが人間じゃんね。皆が弱くても強くても、自分という存在で、自分の足で立つことが一番じゃんね。
なんかを刷り込むことと混同されていらっしゃるような、そんな気配、その保育園の理念とやらは。申し訳ない、私はそう感じます。なぜなら、現場で働く人から、それも、真に志を持って支えてくださる職員に、失礼すぎる。本部からの人間が責任持って、状況ないし今後の展望を説明するのが筋でしょうに。子どもはね、金満思考の人間のために存在するんじゃない。本物の体験ってそもそも生活の横にあるし、幼少期はこれからの人生を支える大切な時期。その時期をどう過ごすかって、非日常の特別が多くあるのが良いんではなく、日常の中の揺るぎない愛情や愛に満ちた時間と空気、これが一番子どものこれからの基盤となり、支える力になるんだよね。それが、強さ。本当の強さ。大きくなってね、すっごく生きるのが辛くってね、そんな時に、記憶の中の深い愛情が力をくれる。そんなシンプルなことを全くわかっていない。自分ワールド広げたいのかしら?子どもを金に変えて。バブリー思考にも程があるんだっての。
前のシャチョーさんは職員さんを守ることなく自分守りってか。一所懸命こんな時代に、一番の重要な仕事を担う職員さんがブラック社員呼ばわりされても,ねえ?そこの支社長の座にすっぽり、ヌクヌクね。私も吹けば飛びまくる弱小会社の社長だけど。。それは無いわー?あんたの掲げた保育理念と園が気に入って、大好きで、尊敬して。だから大事な宝たち、預けてお世話になってたのに。経営母体が変わっても、せめて、現場運営自体の舵は取ってくれると思ってた。こんなに鞍替えしちゃうって見事だわね。
親としては多くの体験をさせてあげたい。そして、広い世界を。ウチは旅人なんで、気が向くとすぐ旅に出るので幸運でしょう。一方で、生活圏が広くない中で環境的変化のない中で育った人にも、日々の体験や五感で感じる事は尊いんだ。皆が広く羽ばたく必要もないし、それが、合わない人もいる。でも、暮らしの中で、触れる感覚・気が、愛に満ちて、五感を刺激し心を動かすことが重要で。富良野の広大な地でナニカを一時することよりも、日々の暮らしの延長線上にある裏山での秘密基地や、いつもの街中の公園の芝生の匂い、風の感覚、そしてなによりその子を愛する人たちのての温もり、そんな積み重ねが心を作り人を作るんだと、子沢山の母は思う。
あー。明日も悪口、ここに書こ!