私は本業でアロマセラピーやアロマコロジー講座を持つことがあります。
アロマに関心がある趣味人、子育てママや子ども、高齢者に向けた講座も。まあ、フツウのカルチャー講座からちょっと突っ込んだやつまで幅広でやります。
もともとがアロマセラピストなもんで(今は香り屋です)、そんな感じで皆さんの暮らしに役立つ知識や知恵をお伝えもします。
アロマセラピーというと,ガットフォセという人が、植物療法から芳香植物を用いたアロマセラピーという分野を体系的にまとめ療法・学問として確立させた立役者がいますが、その王道のアロマセラピーでのそれとは別に、私独自の見解でもってそれを必要とする方に施すこともあります。
ただそれは,エビデンスや論拠に基づいたものでもないので、非公式(笑)でのものですが、心やスピリットにはこっちの方が断然ツボです。(主にウラ家業)
ヒトはそういうけど、こっちの方がそうな気がする、、、ってことあるでしょ。それですね、感覚としては。
頭ではコレがいいと「知っている」
身体はコッチのがいいと「わかっている」
五感を使ったセラピーなどは特に、自分の感覚を信頼してこそ効果があるといえます。
成分分析や含有物の比率や構成なども、人体への安全性はもとより学問としての知識や人への施しの責任などにおいては重要なのですが、それを踏まえた上で、ある一定のルールさえ守れば、一番の判断材料は当事者の快不快が極めて大事です。
プラセボによる一定の効果以外に、それ自体の薬理作用による心身への影響は、現場ではなくはないのですが、人の思いの力って本当に強靭で。思い込みで死ねるのはあながち嘘ではないかもと思わせることも日常ではしばしありますよね。
知識を得た上での、「プラセボ」効果と、感覚による快不快や情動への影響によって、相乗的に何某かの影響が起こり得るのが感覚的セラピーの面白いところなのですね。
そして、面白いことに、感覚的な暮らしから遠ざかれば遠ざかるほど、アロマみたいな繊細なものは響いてきません。というか、響きを感じない。
それでいて、香りを用いたセラピーは、自身の感覚を無視して知識や「他者目線」を優位にして精油を選ぶことがしばしばあるように思います。
そうするとね、本当に「効かない」んですよね。どこにも。身体はおろか,気持ちにも、スピリットにも、「気」にも。
ある一定のルールはあれど、そこから先は自由であるべきです。
言うなら、これにはコレ!という選び方でなしに、禁忌事項だけを頭に叩き込むこと。体質や疾病に関すること、或いは状態や条件など、今はネットにも情報は出ていますね。
やってはいけないことが大事で、何が良いかは結局は人によって違ってくるのです。
良いと言われた香りでも、それにまつわる思い出や過去の記憶なんかで、ひっどい不調を招くこともある。それは、気持ち・思いの力を侮るなかれってことで。
逆説的ですが、思い込みによるブロックのせいで、ご本人にとってはよくないことがあるとして。この香りはキライです!と。そのせいで、その香りを拒絶するわけですが、それもかなり勿体無いことで。
本当はそれが本質で、核に触れることは時として痛みを感じる。それを自分には合わないと判断するのは可能性を狭めることになると。
そういう面でのチョイスから細かな調整を、先々への展望を含めてやってるのが私の生業です。オモテ家業もウラ家業も。香りを作るのは同じでも、そこはかなり別分野みたいになるのは面白い。
調べれば出てくることを声高に伝導する気は無いです。それは私の仕事では無い。大事なことは、いかにその人のツボを押さえるか。そして、高く飛躍させるか。
このブログはウラ家業寄りなので。そういう意味でお役立ち知識でも、ぼちぼち書こうかなあ。。