香り屋のウラ稼業。

オオヤケにしない、香りのアレコレ。
ひとりごと。
自分と、少しの希望者のための、語り部屋。

人生変えたい人へ。

斜めからのアロマ講座でも。

2021-01-31 18:55:50 | 日記

私は本業でアロマセラピーやアロマコロジー講座を持つことがあります。

アロマに関心がある趣味人、子育てママや子ども、高齢者に向けた講座も。まあ、フツウのカルチャー講座からちょっと突っ込んだやつまで幅広でやります。

もともとがアロマセラピストなもんで(今は香り屋です)、そんな感じで皆さんの暮らしに役立つ知識や知恵をお伝えもします。

アロマセラピーというと,ガットフォセという人が、植物療法から芳香植物を用いたアロマセラピーという分野を体系的にまとめ療法・学問として確立させた立役者がいますが、その王道のアロマセラピーでのそれとは別に、私独自の見解でもってそれを必要とする方に施すこともあります。

ただそれは,エビデンスや論拠に基づいたものでもないので、非公式(笑)でのものですが、心やスピリットにはこっちの方が断然ツボです。(主にウラ家業)

ヒトはそういうけど、こっちの方がそうな気がする、、、ってことあるでしょ。それですね、感覚としては。

 

頭ではコレがいいと「知っている」

身体はコッチのがいいと「わかっている」

 

五感を使ったセラピーなどは特に、自分の感覚を信頼してこそ効果があるといえます。

成分分析や含有物の比率や構成なども、人体への安全性はもとより学問としての知識や人への施しの責任などにおいては重要なのですが、それを踏まえた上で、ある一定のルールさえ守れば、一番の判断材料は当事者の快不快が極めて大事です。

プラセボによる一定の効果以外に、それ自体の薬理作用による心身への影響は、現場ではなくはないのですが、人の思いの力って本当に強靭で。思い込みで死ねるのはあながち嘘ではないかもと思わせることも日常ではしばしありますよね。

知識を得た上での、「プラセボ」効果と、感覚による快不快や情動への影響によって、相乗的に何某かの影響が起こり得るのが感覚的セラピーの面白いところなのですね。

そして、面白いことに、感覚的な暮らしから遠ざかれば遠ざかるほど、アロマみたいな繊細なものは響いてきません。というか、響きを感じない。

 

それでいて、香りを用いたセラピーは、自身の感覚を無視して知識や「他者目線」を優位にして精油を選ぶことがしばしばあるように思います。

そうするとね、本当に「効かない」んですよね。どこにも。身体はおろか,気持ちにも、スピリットにも、「気」にも。

ある一定のルールはあれど、そこから先は自由であるべきです。

言うなら、これにはコレ!という選び方でなしに、禁忌事項だけを頭に叩き込むこと。体質や疾病に関すること、或いは状態や条件など、今はネットにも情報は出ていますね。

やってはいけないことが大事で、何が良いかは結局は人によって違ってくるのです。

良いと言われた香りでも、それにまつわる思い出や過去の記憶なんかで、ひっどい不調を招くこともある。それは、気持ち・思いの力を侮るなかれってことで。

逆説的ですが、思い込みによるブロックのせいで、ご本人にとってはよくないことがあるとして。この香りはキライです!と。そのせいで、その香りを拒絶するわけですが、それもかなり勿体無いことで。

本当はそれが本質で、核に触れることは時として痛みを感じる。それを自分には合わないと判断するのは可能性を狭めることになると。

そういう面でのチョイスから細かな調整を、先々への展望を含めてやってるのが私の生業です。オモテ家業もウラ家業も。香りを作るのは同じでも、そこはかなり別分野みたいになるのは面白い。

調べれば出てくることを声高に伝導する気は無いです。それは私の仕事では無い。大事なことは、いかにその人のツボを押さえるか。そして、高く飛躍させるか。

 

このブログはウラ家業寄りなので。そういう意味でお役立ち知識でも、ぼちぼち書こうかなあ。。


宝探し

2021-01-30 18:53:26 | 日記

ウチはユウ(私の名)の薫りで延命した。ホンマに。

だから株式会社ガットフォセにしたらよろしいわ。ホンマに。

 

まず。ガットフォセを知っていること。当時齢90オーバー。

香りの仕事してたと知った時の驚き。厳密には、私は家業を継いだわけではなく、もともとそれぞれ独立して香り屋をしてたってこと。

姑は、なんていうか。

ウチと同じタマなのよって、結構初めの頃言われたわけで。

突然、なんの脈略もなく。いつもそうなのだけど。というか、私と会話するのは私の心の中で。言葉は一方的、いつも。だって、この世に存命ではないのだから。でも、いるんだわ。気配は、在る。

私自身、カンは鋭い。子ども時代から。というか、知ってるとかわかるとか。そんなことばかりだから、相当に周りのオトナに嫌われていて。

二枚舌はふたつのヒトがそこにいるとか、それは嘘だとか、胸の内もみえることがある中で、一方では、綺麗なところしか見えないような・そうとしか信じないような、ジュンスイな子どもでもあり。

だから、割と大きくなるまで精神的にちょい病み気味な子ども時代を送りました。もう、ヒトが怖くって。疲れちゃって。

かなり複雑な子どもだったので、理解者は世間で言われるところの相当な変わり者な人。親も含めて、セケンで良識あると言われる部類の人間は、私を本当に嫌った。

そして。大人になった私は、夫と出会い、姑と出逢って。

彼らは私を受け入れてくれたばかりか、面白がってくれる。

実は私は姑の肉体とは会っていない。でも、今も交流はある。

もっと自信を。誰にも遠慮せずに。って、なにかと伝えてくる。

リーベルタースなユウは、解き放たれた状態でチカラを発揮する。と。

おかげさまで、自分を信じるチカラ・自信は取り戻せた。そして、自由に、、私を縛るソレラは全て引きちぎっちゃった。良いか悪いかは、ちょっと疑問だけど。

 

ムカシはキレイなヒトでした。自分でいうのもなんだけど。でも、でも!今はたくさん子どもを産んだから、しかも後半は高齢出産連続だし。寝る間もないほどを体現する生活でぼろぼろで。そんなんでも、今の自分が一番ステキだし好き。

 

一度、私の薫りを姑にプレゼントした。その時は、姑も香り人だと知らずに。その香りで、私を認めてくれたと、近頃知った。

素直に、凄く嬉しい。香りを好きだと言われると本当に嬉しく。その上、それが生きるチカラとなったのは、素晴らしく光栄なこと。

 

私、香りが好きでこの仕事しているのではない。実は、意図した仕事ではないの。気付いたらコレをしてたって、まさにそう。当然、プロとしての意識や矜持、責任や自律や向上心はあるけれど。本当に志していた分野はメタメッタに挫折して。おまけに落ちこぼれのレッテルも。ダメ人間だと思ってるヒトも、親を中心に。でも、この今の仕事とマルシェルに出してるサービスの類は、多分他のヒトが相当に努力してもマネできないトコロにあると自負してる。これは偶然にも、幸運で。挫折の中に、暗闇の向こうに、居場所と自分を見つけられたんだ。

 

苦しみの中に、種が。

苦しみの向こうに、花が咲くこともあると、そう思って欲しいなあ。

 

姑!

いつもありがとう。大好き。

 


みっともない

2021-01-29 14:29:24 | 日記

貧乏って悪いことなの?

お金がないって言うと、怠慢さが招いたとか、計画性だとか、自己責任論がまず前に出ますけど。

そして、己の責任だから仕方ないじゃんね。って、もっとひどいと、みっともないとか恥ずかしいとか。

そんな価値観のヒト、少なくない。

まあね、アホの極みですかね。

或いは,浅はか。了見の狭さ。無知。

まあね、アホだわね。

まずさ。明日は我が身って、知らない?

怠け者じゃなくても、どんなに働いても、どんなに真面目でも。どんなに賢くても。どんなに、どんなに。。

お金の動きなんて、そんなのと比例するほど単純なものじゃないよね。

そして、完璧な予測なんて、ねえ。

病気するかもしれないし、世の中の動きや外的な要因でも。そうじゃなくても、「もっと広いこと」で言うと、そういう試練や課題でもって人生の意義を持つ人だってたくさんいる。

逆に言うと自己責任論で語れる人間は、経験の浅い・恵まれた、幸せ者だと。

または、アホ。やっぱりね。

 

そういう誤認を改めてない限り、善意なんて夢の話だし、人を傷つけるひどい世の中になる。もっとなる。

星占いやスピリチュアル界隈では、お金の価値観が変わるとか、お金の価値や在り方が変わるって言われてますが、、、変わらなきゃダメよね。

お金に困る人を我が事のように。足るを知って、なおかつ相手を慮る。足りてるならさ、鬼みたいな顔、しなくて良いのにね。

無くなるってそんなに怖いかな。足りないって、本当に足りてない?器を変えてみたら?

いつかくる、自分の順番が。そうならなかったら、誰かがそれを引き受けてくれたんだと。

 

人であり続けるために。

 

 

 


断罪

2021-01-29 13:19:57 | 日記

なんで、断罪したがるのだろ。いや、罪に、ではないね。人に、悪いのレッテルを貼りたがるヒトが多すぎる。

 

モノゴトって、二面性(二極)を持ってして、ここに有るという感覚的認識ができるわけで。

それをどちら側から「見てる」かで、事実として、或いは、感情的にだったり、その認識に違いがでる。

世の中に矛盾は常で、矛盾がなければ、それは存在しないに等しいのではと。

議論が大事と言われる所以はそこで、議論なくしてその存在意義、それどころか、そのものが無とされる。

「断罪の罪」は、議論でなく、一方的なジャッジを下す逃げたもん勝ちがいけないんだと思う。

そもそも、ジャッジする権限とか権利なんてものは、誰が誰に与えるんだ?

誰かが誰かにそれを許したら、それはもう人の上にも下にも人を作ることそのものを容認してしまう。

つまり、議論でない断罪は、全くもって、人間的に愚かなことだと言えると思う。

 

良いとか悪いとかって誰が決めるの。

そういうのを突き詰めると、言いも悪いもないんだわ。

ただし。「自分は知ってるでしょ」

良心ってさ、難しくて。

良心だと思ってるものは、正義という幻想だったなんてハナシ、よく聞くわ。

ダレカの刷り込みで、良心なんてものは作ることができる。

ダレカの思惑で、不必要な罪悪感を植え付けることだって。

そうじゃない、心のめっちゃ澄んだ処で、良いよ!とかダメじゃんね!とか、叫ぶ声、聞こえないんかな。

快不快の、そんな直感的感覚に近いかな。考えるんじゃない。感じるもの。

 

人間が知を失ったらヒトとなり。それでも理論ばかり、理性ばかりで生きたら。

それらが生き物としてのヒトを、人へとするのだろうけれど。そう言う意味合いでの知でなく、持って生まれた知をもっともっと大事にすること。

優しさは考えてそうするものではないでしょう?優しいって、(人として)すごく高度なことでね。

ヒトとしてのあらゆることを超えて、心の小さな動きに気づいて、それが発露する時。

ヒトが人をジャッジするレベルじゃ、優しさなんてわかんないんだろうな。

断罪じゃなしに、一緒にそのことについて考えようよ。どうしたら良くなるのか一緒にさ。じゃ、ダメなの?

 

もっともっと優しい世の中に。

罪を憎んで人を憎まず。昔の人って、すごいよね。

 

 


覚書

2021-01-27 19:08:03 | 日記

入浴剤、入れたら。

父と会えた!

別に父親の匂いでもなければ、思い出のそれでもない。

だけど、父が、その薫りに笑って宿ってた。平和な空気。

何の匂いだろ?この入浴剤は、市販のアソートパック。

の、箱根の湯。森の香り。だって。

ふーん、森か。

森。。近頃、森ばっかりだね。

わかんないけど、キーワードは森。ここに覚書。