脳梗塞の再発等で大変な西城秀樹でしたが
「ヒデキ・カンゲキ!」から「ヒデキ・カンレキ」だそうで。
先日深夜のBSフジで伊藤正則の番組を見ていたら
西條秀樹氏がゲストで出ているではないですか。
この人、そうだ、大のハードロック好きだった!と
思い出しました。
私の高校生の頃、確かWASPが好きで極秘渡米していたと
噂を聞いた事があります。
私・・・幼児期に女性が美しく可愛らしくて
(コメットさんやキャンディーズ)
男である事がホトホト嫌に思っていました。
そんな中、こんなカッコイイ男が居るんだ!と思ったのが
ロン毛の西城秀樹氏でした。
当時、もう「ヤングマン」のカバーが大HITしていたでしょうか?
あのルックスにあの歌声・・・・
最高のアイドルに天性の歌声・・・。
当時のロックボーカリストも吹っ飛ばす様な勢いの歌声。
完璧なプロフェッショナルだから、バックギタリストを務めた
将軍の芳野藤丸氏が「秀樹のようなアイドルは凄かった!
当時マーシャル7台使わせて貰ったもん」と語ってたし。
当時の高級アンプ・マーシャルですからねぇ。
私、生まれて初めて足を運んだというコンサートが
西城秀樹、82年8月の大阪球場でのライブでした。
当時の地元スーパーがコンサート招待していて
5枚ハガキで応募しペアチケットが当選したのです。
しかし・・・その小学校の夏休み中、突然、父の東京転勤が決まり
折角応募して当選した大阪球場のライブ翌日の
ボロ車で関西→東京へ引越しという残念なバッティング。
4年住んだ伊丹市を出発しとりあえず、大阪箕面の叔母の家に移りました。
折角当たったヒデキのコンサート・・・。
父が付き合ってくれ途中までという約束でライブを観に
大阪球場へ向かいました。
大HIT曲「ヤングマン」は早々と演奏され
「ローラ」は聴けただろうか???いや・・エンディングの方でしょうな
「聖少女」を唄っているヒデキの歌声を聴きながら
無理やり大阪球場を後にする事となりました(泣)
海外のアーティストに大きなセットを貸したら
マイク7本お返しに送ってきた・・・というMCを覚えています。
その大のハードロック好きのヒデキ氏。
レインボーのカバーとか結構していたそうで
「ロストインハリウッド」とか、日本語版で唄っている映像が流れました。
そして69年のウッドストックに大影響を受け
特にサンタナが強烈だったと。
新御三家の野口五郎氏と同じですね。
(野口氏はカルロスサンタナは神様だそうですが)
多々、ハードロックへの思い入れを伊藤正則が質問する形で
インタビュー形式で番組が進みましたが
その日、遅い電車で帰宅した事もあり
ジックリ観る事が出来ませんでした。
が、ハードロックに対する熱い思いを初めて
本人の声から聞ける事が出来ました。
クイーンのカバーからレインボーですな。
いやぁ・・・羨まし過ぎる歌声です。
今のアイドルの歌唱力とはケタ違いです。
HIDEKI SAIJO アイ・サレンダー Full-Ver
「ヒデキ・カンゲキ!」から「ヒデキ・カンレキ」だそうで。
先日深夜のBSフジで伊藤正則の番組を見ていたら
西條秀樹氏がゲストで出ているではないですか。
この人、そうだ、大のハードロック好きだった!と
思い出しました。
私の高校生の頃、確かWASPが好きで極秘渡米していたと
噂を聞いた事があります。
私・・・幼児期に女性が美しく可愛らしくて
(コメットさんやキャンディーズ)
男である事がホトホト嫌に思っていました。
そんな中、こんなカッコイイ男が居るんだ!と思ったのが
ロン毛の西城秀樹氏でした。
当時、もう「ヤングマン」のカバーが大HITしていたでしょうか?
あのルックスにあの歌声・・・・
最高のアイドルに天性の歌声・・・。
当時のロックボーカリストも吹っ飛ばす様な勢いの歌声。
完璧なプロフェッショナルだから、バックギタリストを務めた
将軍の芳野藤丸氏が「秀樹のようなアイドルは凄かった!
当時マーシャル7台使わせて貰ったもん」と語ってたし。
当時の高級アンプ・マーシャルですからねぇ。
私、生まれて初めて足を運んだというコンサートが
西城秀樹、82年8月の大阪球場でのライブでした。
当時の地元スーパーがコンサート招待していて
5枚ハガキで応募しペアチケットが当選したのです。
しかし・・・その小学校の夏休み中、突然、父の東京転勤が決まり
折角応募して当選した大阪球場のライブ翌日の
ボロ車で関西→東京へ引越しという残念なバッティング。
4年住んだ伊丹市を出発しとりあえず、大阪箕面の叔母の家に移りました。
折角当たったヒデキのコンサート・・・。
父が付き合ってくれ途中までという約束でライブを観に
大阪球場へ向かいました。
大HIT曲「ヤングマン」は早々と演奏され
「ローラ」は聴けただろうか???いや・・エンディングの方でしょうな
「聖少女」を唄っているヒデキの歌声を聴きながら
無理やり大阪球場を後にする事となりました(泣)
海外のアーティストに大きなセットを貸したら
マイク7本お返しに送ってきた・・・というMCを覚えています。
その大のハードロック好きのヒデキ氏。
レインボーのカバーとか結構していたそうで
「ロストインハリウッド」とか、日本語版で唄っている映像が流れました。
そして69年のウッドストックに大影響を受け
特にサンタナが強烈だったと。
新御三家の野口五郎氏と同じですね。
(野口氏はカルロスサンタナは神様だそうですが)
多々、ハードロックへの思い入れを伊藤正則が質問する形で
インタビュー形式で番組が進みましたが
その日、遅い電車で帰宅した事もあり
ジックリ観る事が出来ませんでした。
が、ハードロックに対する熱い思いを初めて
本人の声から聞ける事が出来ました。
クイーンのカバーからレインボーですな。
いやぁ・・・羨まし過ぎる歌声です。
今のアイドルの歌唱力とはケタ違いです。
HIDEKI SAIJO アイ・サレンダー Full-Ver
太郎さん、そうそう西城秀樹さんはドラムもお好きでしたよね~。(≧∇≦)b
当時のアイドルは歌も巧かったですよネぇ~。(≧∇≦)b
当時の歌謡曲は歌詞が七五調、今時の曲よりも音符の長さもあって、
確りと作曲家の先生のレッスンを受けないと歌いこなせない曲が多かったです。
西城秀樹さんも、勿論歌が巧いアイドルでした。
ニャロメも密かにロックイケルかもニャ~って思っていましたニャン。
初耳でした。
当時のアイドルは歌が上手いのは必然でしたねぇ。
今のジャニーズは歌より
ダンスに力を入れているんでしょうね。
当時の音楽と90年以降の歌謡曲は
大きく異なりますよね。
90年代リズムを大きく出すようになりましたよね。
まあ、秀樹氏の日本語版
「ロストインハリウッド」はアイドルチックで
チト、、コケましたが(笑)
でもあの声に歌唱力です!
ハイ !! 太郎さん。西城秀樹さんは趣味でドラムを演奏していますニャン。
ドラマーだったんですねぇ。
叩きながら歌う!?とか?無理ですな(笑)
彼は、広島時代は、確かロックバンドでドラム叩いてた話を聞いたことがあります。
テレビでドラムソロを叩いてたのを見た記憶もあります。
まさに、ロック魂の入った歌謡曲アイドルでしたね。
最近、セルフカバーのアルバム出してます。
オフィシャルサイトより
↓
http://hideki-saijo.com/
西城氏は広島出身だったんですか。
やはりドラムやってたんですね。
あのルックスにあの歌声、
そしてロック魂・・・眩しすぎました。
そう、セルフカバーのアルバムセット紹介が
BSで沢山流れていましたな。
リンク有難うございます。