ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

馬場 猪木vsミル・マスカラス アリオン

2021年06月24日 | プロレス
何なんでしょ・・・・
私がプロレスの虜となるキッカケがアントニオ猪木で
最初の私のフェヴァリットレスラ-はミルマスカラス。
金曜8時のゴールデンタイムで、最初にある記憶はタイガーマスクが
プラソデオロ、プラタと闘っていた事と猪木がアンドレに場外鉄柵に足を縛り付けられ
若手に背負われて退場していく姿。
(もしかして田中ケロ氏が観客全員を相手に喧嘩し暴動手前となった広島?)

私も大きくなり毎日ワイドショーで流れた猪木の政治スキャンダルや
沢山プロレスの裏側本を購入し
どんどん出てくる裏側の猪木とマスカラスの悪評・・・・。
これまでの私のスーパースターのイメージはガタオチし
愛した?分だけ憎しみが湧いたのかな?
猪木が新日本やUFO、PRIDEで出しゃばるだけムカつき
鈴木みのるにマスカラスがグシャグシャにやられたと聞き、喜ぶ・・・。
が、頭から消えないヒーロー像。子供ですしねぇ。ガリガリに痩せながら
しかしプラズマという夢を持ち、ガリガリの闘病生活を
youtubeにUPしている姿の猪木を見ると応援したくなる。
愛憎ですかね?猪木はそういう素質を持っている・・・。
猪木を日プロから追放した面々を新日本に呼んでいるんですしねぇ。

で、突然出てきた猪木とマスカラスの絡み。
日プロ以外では観れなかったですからねぇ。

馬場 猪木vsミル・マスカラス アリオン mil mascaras


1-1のイーブンで迎えた三本目。
普段一方的に自分のカッコいい姿ばかり見せつけてきた誇り高きマスカラスが
(少なくとも私が観た中。vs鶴田、vsジプシージョー等)
猪木に完全に卍固めを決められ、ギブアップする姿を見て
思わず「やったー!!!」と叫んでしまいました(汗)
こう決定的に敗れた姿を見るのは初めてでして。
てっきりアリオンがやられるものかと思っておりました。

初めて買った漫画「プロレススーパースター列伝、ミルマスカラス編」で
滅多に観れないマスカラスに当時憧れ、当時はタイガーマスクフィーバーの中
周りと被るのが嫌で(と、プロレスを観始めた頃、周りにプロレス観る子供は居なかった)
マスカラスをフェバリットレスラーにし、今もお借りしている
マスカラス本人から貰ったという覆面を部屋に飾りつつ、
長い手足の猪木に絡み取られる姿を露わに見て
思わず胸が空いてしまいました。

しかし、両者共、私のアイドルであった事
その姿に魅了された事は、何ら変わらないのですな。

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2 コメント

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凸樫さん (太郎)
2021-06-26 00:43:21
この間ラジオで俳優の山本竜二が出演し
清水アナ、吉の里、リングアナのモノマネを声帯模写でやっていました。
そっくり過ぎでして。清水アナもリングアナも個性が強いですね。
清水アナの解説は母音が強いそうです。因みに山本氏はブラッシーの噛みつきを見て
引きつけを起こしたそうです。ただブラッシーが悪いのでは無く噛み付かれた東郷の反応が問題だったそう。
マスカラスサイドに居るのは百田ですよね。アリオンは存じなかったのですが。
マスカラスのフライングボディーアタックを馬場はかわしたそうで
マスカラスは泣きに泣いたそう。そして馬場は「バカヤロウ、あんなの受けられるか」と
コレまた問題有る発言を。大仁田に電流爆破を直に直訴された時
「大仁田、それは痛いのか?」と言っちゃう馬場も凄いですが。
マスカラスは本当スーパースーパー気取りが酷かったそうですね。
「私用の個室はどこだ?」とマスカラスに聞かれた外国人レスラー担当のジョー樋口は
ブチ切れたそうですし。インディーに招聘するのにマスカラスはファーストクラスを要求し
興行が赤字だったなんて事も聞いた事があまりました。CMLLジャパンかな?
幾ら東京オリンピックレスラーでも親子程年齢差が有りアマレスの実績も有る
鈴木みのるを怒らせたらぐちゃぐちゃにやられるでしょう。
勝敗は別にして恐らくグラウンドの攻防でコテンパにプライド傷つけたんでしょうね。
私鈴木とマスカラスの絡みは観た事無いですがカブキにその話をして
評判の悪いマスカラスを共通ネタの2人で意気投合した様です。
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懐かしの映像を眺められた気がします…。 (凸椪)
2021-06-24 19:36:42
まだ日本マット界の人気を独占していた日本プロレスを日本テレビによる中継画像で視られたのは嬉しかった。恐らく三菱電機のスポンサーで、解説は当時の日プロ社長の芳の里。中継のアナウンサーは清水一郎氏で、徳光さんが中継レポートを担当。リングアナは、どこかの大学の元応援団々長だった篠原氏で、沖識名のレフェリング、リングサイドには小沢正志(のちのキラーカーン)、戸口正徳(キム・ドク)、桜田一男(ケンドーナガサキ)と、マスカラスから花束を預かったのは若き日の百田光雄じゃないかと思います。懐かしい反面、この中継映像に映っている人の大半が亡くなられていることを考えると隔世の感を覚えます。私はまだ小中学生の頃だったかと思います。自宅のテレビは白黒でしたが、会場でナマ観戦したのは、かなり遅くて、1979年の8・26夢のオールスター戦で、マスカラスもブッチャーも3階席の最上段に近い場所で観ていました。
スパイロス・アリオンは、最初、確か東京放送(TBS)から流れていた国際プロレスに初来日する予定だったかと思いましたが、なぜかオポジションの日プロに登場した時には不可解に感じましたが、まだBI砲全盛期にマスカラスと共に参戦したことで、その辺りの事情はあまり“詮索”するのは忘れていました。ただ前評判のわりには印象は薄かった気がします。マスカラスという覆面レスラーとしてはベビーフェイスというキャラクターのインパクトが強過ぎたのかも知れません。後年、全日・馬場はマスカラスをあまり高評価してしていなかったのは、体格差だけでなく、彼のリング内外での評判や、ビジネス面の姿勢に辟易していたのだと想像します。とにかくプライドが高い人だそうで、その姿をプロレスファン時代から視ていた鈴木みのる選手には、レスラーとしても気にそぐわなかったのかと思います(マスカラス対鈴木の試合の映像を探してはいるのですが…)。
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