サンフランシスコのクランチスラッシュメタル軍団、デスエンジェルが
「ウルトラバイオレンス」でデビューしたのは86年頃と記憶しています。
日本はメタルインディーズブームで大した事無いバンドでもアイドル扱いでした。
(そうじゃない骨太バンドも沢山居ましたが)
しかし、このデスエンジェルはデビュー時、平均年齢17歳(!)だったのです。
しかも、ドラムのアンディーガレゴンなんて14歳、私と同じ歳でした。
その年齢で当時、メタリカやスレーヤー、エクソダスと張り合う実力を持ってたのです。
アンセムの柴田はよく言ってましたが、「日本のメタルは幼稚だ!」
その言葉通り、この小僧達(当時)の登場は当時の日本のインディズーレベルの
低さを痛感し、アルバムレビューでも評論家達が日本のバンドに
「この小僧達の方が遥か先を走ってるぞ!」と警鐘を鳴らしました。
この「ウルトラバイオレンス」は展開はやや強引なものの、躍動感に溢れ、
かなり強烈なアルバムでした。平均年齢17歳の少年達が!
下はそのアルバムの収録曲のPVです。
(消えてしまったんでプロフィール的な映像を)
http://www.youtube.com/watch?v=EL61gsVAIHc
初めて聴いた時、私は妬きましたよ。私とあまりにレベルが違いすぎて。
そして、秀作と言われる3rdアルバム「ACTⅢ」でほぼバンドを確立しました。
まだ、平均20歳前後です。
しかし、早熟は金槌で叩かれると言うか・・・ツアーバスがドライバーの居眠りで
横転するという大事故が起き、まだ20歳前のアンディーガレゴンは頭部に
大怪我を負い、怪我の場所が場所なだけに再起不能かと思われました。
バンドも活動できなくなり、ボーカルは脱退、療養中のアンディーを除き
「ジ・オガゼィネーション」という名のバンドを組み活動しますが、
長続きしませんでした。
しかし、10年以上の時を経て04年、再結成し(サイドギタリストは参加せず)
新たにテッドアギラーをサイドギターに迎え
「ザ・アート・オブ・ダイイング」(写真)を発表、シーンに戻って来ます。
このアルバムのあまりの出来の良さに日本のプロモーターは
クラブチッタ川崎でフロットサムジェットサム、オーバーキル、そして
このデスエンジェル、トリを取る予定だったテスタメントがボーカルの
チャックビリーの怪我か病気でドタキャン、代わりにオーバーキルがトリを務た
「スラッシュドミネーション」(略してスラドミ)を開催するのでした。
このデスエンジェルのアルバムの出来の良さに計画されたこのイベント、
05年のスラドミはクリーター、ディストラクションのドイツ勢と
ラーズロキットとオリジナルメンバー集結のテスタメントで開催され大成功。
シリーズ化されるのでした。この年、私も行きたかった!!
が、大体30代後半から40台に好かれるスラッシュイベントに
オールスタンディングで6時間は辛すぎます。
クリーターの新譜「エナミーオブゴッド」が凄かったしオリジナルテスタメント、
私にはヨダレもののメンツでしたがジュダスプリーストの武道館公演でも
鬱で辛かった為、諦めました。
後日、少しOAされたその模様、クリーターの狂気のライブはテレビ越しにも
伝わってくる凄まじいモノでした。「BURRN!」誌の編集者の中には
クリーターのライブをその年のNo1ライブに挙げる位、納得させるモノでした。
翌、06年のはテスタメントのエリック率いるデスメタルバンド、ドラゴンロード、
ドイツのSODOM、そして元祖スラッシュメタル、VENOM、そして
デスエンジェルで開催される予定でした。VENOMの初来日、ソドム来日に
相当ファンの期待は高まりました。(VENOMとSODOMは相当危険な仲らしく
絶対顔を合わせない様に厳重体勢を強いたのにVENOMがボーカルベースの
クロノスの不調を理由に寸前でドタキャンされます。
ファンはガックリするのですが、VENOMが取る予定だったトリを
見事に2日、デスエンジェルが締めくくりました。
サイドギターのテッドはあまりの盛り上がりに感激し、客席にダイブしました。
デスエンジェルはスラドミで、帝王スレーヤー、オリジナルアンスラックス、
メガデスも06年、ラウドパークジャパンで来日しました。
スラッシュは雑音とメタルファンでも嫌いな人は多いですがね。
Eの曲が多いのでまともな歌メロディーを付けられない事が有ったりで。
特にスレーヤーやエクソダス、セパルトラ、ドイツ三大スラッシュバンド、
ディストラクション、ソドム、クリーターがメロディー無いですね。
アンスラックスはメロディアスですね。
私の様にスラッシュメタルが好きな人間も多いので、
是非是非、このスラッシュは消えず、生き残って、また日本に来て欲しいです。
「ウルトラバイオレンス」でデビューしたのは86年頃と記憶しています。
日本はメタルインディーズブームで大した事無いバンドでもアイドル扱いでした。
(そうじゃない骨太バンドも沢山居ましたが)
しかし、このデスエンジェルはデビュー時、平均年齢17歳(!)だったのです。
しかも、ドラムのアンディーガレゴンなんて14歳、私と同じ歳でした。
その年齢で当時、メタリカやスレーヤー、エクソダスと張り合う実力を持ってたのです。
アンセムの柴田はよく言ってましたが、「日本のメタルは幼稚だ!」
その言葉通り、この小僧達(当時)の登場は当時の日本のインディズーレベルの
低さを痛感し、アルバムレビューでも評論家達が日本のバンドに
「この小僧達の方が遥か先を走ってるぞ!」と警鐘を鳴らしました。
この「ウルトラバイオレンス」は展開はやや強引なものの、躍動感に溢れ、
かなり強烈なアルバムでした。平均年齢17歳の少年達が!
下はそのアルバムの収録曲のPVです。
(消えてしまったんでプロフィール的な映像を)
http://www.youtube.com/watch?v=EL61gsVAIHc
初めて聴いた時、私は妬きましたよ。私とあまりにレベルが違いすぎて。
そして、秀作と言われる3rdアルバム「ACTⅢ」でほぼバンドを確立しました。
まだ、平均20歳前後です。
しかし、早熟は金槌で叩かれると言うか・・・ツアーバスがドライバーの居眠りで
横転するという大事故が起き、まだ20歳前のアンディーガレゴンは頭部に
大怪我を負い、怪我の場所が場所なだけに再起不能かと思われました。
バンドも活動できなくなり、ボーカルは脱退、療養中のアンディーを除き
「ジ・オガゼィネーション」という名のバンドを組み活動しますが、
長続きしませんでした。
しかし、10年以上の時を経て04年、再結成し(サイドギタリストは参加せず)
新たにテッドアギラーをサイドギターに迎え
「ザ・アート・オブ・ダイイング」(写真)を発表、シーンに戻って来ます。
このアルバムのあまりの出来の良さに日本のプロモーターは
クラブチッタ川崎でフロットサムジェットサム、オーバーキル、そして
このデスエンジェル、トリを取る予定だったテスタメントがボーカルの
チャックビリーの怪我か病気でドタキャン、代わりにオーバーキルがトリを務た
「スラッシュドミネーション」(略してスラドミ)を開催するのでした。
このデスエンジェルのアルバムの出来の良さに計画されたこのイベント、
05年のスラドミはクリーター、ディストラクションのドイツ勢と
ラーズロキットとオリジナルメンバー集結のテスタメントで開催され大成功。
シリーズ化されるのでした。この年、私も行きたかった!!
が、大体30代後半から40台に好かれるスラッシュイベントに
オールスタンディングで6時間は辛すぎます。
クリーターの新譜「エナミーオブゴッド」が凄かったしオリジナルテスタメント、
私にはヨダレもののメンツでしたがジュダスプリーストの武道館公演でも
鬱で辛かった為、諦めました。
後日、少しOAされたその模様、クリーターの狂気のライブはテレビ越しにも
伝わってくる凄まじいモノでした。「BURRN!」誌の編集者の中には
クリーターのライブをその年のNo1ライブに挙げる位、納得させるモノでした。
翌、06年のはテスタメントのエリック率いるデスメタルバンド、ドラゴンロード、
ドイツのSODOM、そして元祖スラッシュメタル、VENOM、そして
デスエンジェルで開催される予定でした。VENOMの初来日、ソドム来日に
相当ファンの期待は高まりました。(VENOMとSODOMは相当危険な仲らしく
絶対顔を合わせない様に厳重体勢を強いたのにVENOMがボーカルベースの
クロノスの不調を理由に寸前でドタキャンされます。
ファンはガックリするのですが、VENOMが取る予定だったトリを
見事に2日、デスエンジェルが締めくくりました。
サイドギターのテッドはあまりの盛り上がりに感激し、客席にダイブしました。
デスエンジェルはスラドミで、帝王スレーヤー、オリジナルアンスラックス、
メガデスも06年、ラウドパークジャパンで来日しました。
スラッシュは雑音とメタルファンでも嫌いな人は多いですがね。
Eの曲が多いのでまともな歌メロディーを付けられない事が有ったりで。
特にスレーヤーやエクソダス、セパルトラ、ドイツ三大スラッシュバンド、
ディストラクション、ソドム、クリーターがメロディー無いですね。
アンスラックスはメロディアスですね。
私の様にスラッシュメタルが好きな人間も多いので、
是非是非、このスラッシュは消えず、生き残って、また日本に来て欲しいです。
deathangelは、その南米ネイティブな顔つきが印象的でしたね。
PVの出来も素晴らしく、headbangersballで、ヘビロテで放映されてましたね。
確かにスラッシュは、当時(80年代!)の打ち込み全盛の音楽シーンで、かなりの異端児ぶりでしたが、音楽をすぐ”文学的に”解析しちゃうわしなどは、D.Hなど、そのアティチュードだけで素晴らしい!と思ってしまいます。
この頃、ロス近辺でスラッシュの大爆発の胎動が聞こえていました。
このバンドは南米系の顔をしてましたね。
元サイドギターのテッドはアジア系ですし。
アンスラックスなんかは後にミクスチャーに行って
しまいましたが、西海岸のクランチ野郎達は
まだまだ骨のあるヤツばかりですね。
デスエンジェルのこの復活アルバム、私は500円で
発売当時にも拘らずGETしました。
素晴らしい出来です。