私の周りやバンド関係者でプロで成功してる人は居ません。
一人だけ「イカ天」出演をキッカケに、後に作ったバンドがメジャーデビューし
今もまだ生き残ってる奴が一人居ますが、そいつはラジオDJの方が
忙しそうです。
私はハナからプロ志向は有りませんでした。自己満足でもいいから
最高傑作を作りたいというのが私の夢の1つです。
通ってた学校ガラ、有名人や有名プロデューサー、有名ミュージシャンと
接する機会はありましたが、私の出た学校から出た有名歌手は
学校側がお金を払って、その学校卒という事にして貰った岡○○○だけです。
ラジオDJは一人位居たかな?
タイトルのこの記事の主役スタジオミュージシャンギタリストのKMさんは、
私が営業マン時代にビルの守衛室でアルバイトしてました。
昼間は自分の音楽製作会社、夜は子供が産まれたのでビル管理のバイト、
ツアーやレコーディングがある時は石川○リさんや大○ケンジさんの
バンドメンバーでした。
私が営業車をビルの立体駐車場に出し入れする時、よく話してました。
とっても、良い人でして、沢山JAZZのレコード貸してくれたり
ライブのチケット取ってくれたり、自分のゴスペルグループを観に来てくれそうに
(ツアーとカチ合い来れませんでしたが)なったり、ギタープレイで
アドバイス貰ったり、独特のウォーミングアップのやり方教えてくれたり
(今でもやってます)一緒にサンズアンプクラッシックの攻略法考えたり、
何時もよく長話しすぎて、部長に睨まれた位でした。
タイトルのカセットテープはKMさんのバンドのモノです。
彼はそのバンド、スティルギターで参加してましたが
(1890年代のハワイアンスティールを使ってました。)
バンマスはカリスマミュージシャン矢○永○さんの元バンドのギタリストでした。
他のメンバーも当時一線で働いてるスタジオミュージシャンばかりで、
「太郎君、これ、誰にも聴かせないでね」と、こっそり渡してくれた
スタジオリハを録音したテープでした。
約束通りこっそり聴きました
やはり、凄腕は勿論、演奏してるジャズロックの曲の質もハイレベル、
すっかり愛聴盤(愛聴テープ?)になってました。
とにかく上手かったです。その辺でテレビに出てる人とは比べ物にならないと
私が自信も無くしたり・・・でも私のツボの曲だらけツボのギタートーンだらけで
友達達やバンド仲間に聴かせてあげられなかったのは残念です。
(今も持ってるけど)
しかしKMさん、商売道具の手を痛めたか病気したかで、毎日思いつめ
頭を抱えてました。最低でも1年は使えないと・・・・。
子供が産まれたばかりで商売道具が無くなったのだから
それは苦しいハズです。
そして、何時の日か、ひっそりと、バイトも辞めていってました。
今、何処かで活躍してるのか?それとも音楽業界から去ったのか・・?
分りません。
ゴスペルグループのバックをやってた人も半分以上プロでしたが
そこにゲスト出演したピアノ○ージは打ち上げでは酷いモノでした。
大物ミュージシャンのバックをやってるからと、踏ん反り返ってました。
もう上からモノをいう、自己顕示を兼ねた説教。私より若い兄ちゃんは
大人しく聞いていましたが、私は爆発寸前でした。
アフター5を楽しむグループとして一応流行する前にボイストレーニングの
学校で知り合ったメンバー達と作ったゴスペルグループでしたが、
勝手にゲストで参加してアマの路線で楽しんでるグループに散々イチャモンを付ける。
確かにプロレベルではないグループでしたがみんなそれぞれの個性を持った
良いグループだと思います。現に渋谷ONAIR・NESTが三百数十人、
超満員札止めになりライブも大盛況だったのに。プロ意識は結構ですが自己顕示して
イバリ散らかすのは止めてくれ!という感じでした。
翌日、その事をKMさんに話したら、「折角の楽しむ音楽をプロだからと
馬鹿にするなんて、何様のつもりだろう・・」と一緒に怒ってくれました。
オファーが来るプロギタリストなのにそんなエゴを感じない、腰が低く、
ひっそりと去って行ったKMさん、
今はどうしているんだろう・・・・
一人だけ「イカ天」出演をキッカケに、後に作ったバンドがメジャーデビューし
今もまだ生き残ってる奴が一人居ますが、そいつはラジオDJの方が
忙しそうです。
私はハナからプロ志向は有りませんでした。自己満足でもいいから
最高傑作を作りたいというのが私の夢の1つです。
通ってた学校ガラ、有名人や有名プロデューサー、有名ミュージシャンと
接する機会はありましたが、私の出た学校から出た有名歌手は
学校側がお金を払って、その学校卒という事にして貰った岡○○○だけです。
ラジオDJは一人位居たかな?
タイトルのこの記事の主役スタジオミュージシャンギタリストのKMさんは、
私が営業マン時代にビルの守衛室でアルバイトしてました。
昼間は自分の音楽製作会社、夜は子供が産まれたのでビル管理のバイト、
ツアーやレコーディングがある時は石川○リさんや大○ケンジさんの
バンドメンバーでした。
私が営業車をビルの立体駐車場に出し入れする時、よく話してました。
とっても、良い人でして、沢山JAZZのレコード貸してくれたり
ライブのチケット取ってくれたり、自分のゴスペルグループを観に来てくれそうに
(ツアーとカチ合い来れませんでしたが)なったり、ギタープレイで
アドバイス貰ったり、独特のウォーミングアップのやり方教えてくれたり
(今でもやってます)一緒にサンズアンプクラッシックの攻略法考えたり、
何時もよく長話しすぎて、部長に睨まれた位でした。
タイトルのカセットテープはKMさんのバンドのモノです。
彼はそのバンド、スティルギターで参加してましたが
(1890年代のハワイアンスティールを使ってました。)
バンマスはカリスマミュージシャン矢○永○さんの元バンドのギタリストでした。
他のメンバーも当時一線で働いてるスタジオミュージシャンばかりで、
「太郎君、これ、誰にも聴かせないでね」と、こっそり渡してくれた
スタジオリハを録音したテープでした。
約束通りこっそり聴きました
やはり、凄腕は勿論、演奏してるジャズロックの曲の質もハイレベル、
すっかり愛聴盤(愛聴テープ?)になってました。
とにかく上手かったです。その辺でテレビに出てる人とは比べ物にならないと
私が自信も無くしたり・・・でも私のツボの曲だらけツボのギタートーンだらけで
友達達やバンド仲間に聴かせてあげられなかったのは残念です。
(今も持ってるけど)
しかしKMさん、商売道具の手を痛めたか病気したかで、毎日思いつめ
頭を抱えてました。最低でも1年は使えないと・・・・。
子供が産まれたばかりで商売道具が無くなったのだから
それは苦しいハズです。
そして、何時の日か、ひっそりと、バイトも辞めていってました。
今、何処かで活躍してるのか?それとも音楽業界から去ったのか・・?
分りません。
ゴスペルグループのバックをやってた人も半分以上プロでしたが
そこにゲスト出演したピアノ○ージは打ち上げでは酷いモノでした。
大物ミュージシャンのバックをやってるからと、踏ん反り返ってました。
もう上からモノをいう、自己顕示を兼ねた説教。私より若い兄ちゃんは
大人しく聞いていましたが、私は爆発寸前でした。
アフター5を楽しむグループとして一応流行する前にボイストレーニングの
学校で知り合ったメンバー達と作ったゴスペルグループでしたが、
勝手にゲストで参加してアマの路線で楽しんでるグループに散々イチャモンを付ける。
確かにプロレベルではないグループでしたがみんなそれぞれの個性を持った
良いグループだと思います。現に渋谷ONAIR・NESTが三百数十人、
超満員札止めになりライブも大盛況だったのに。プロ意識は結構ですが自己顕示して
イバリ散らかすのは止めてくれ!という感じでした。
翌日、その事をKMさんに話したら、「折角の楽しむ音楽をプロだからと
馬鹿にするなんて、何様のつもりだろう・・」と一緒に怒ってくれました。
オファーが来るプロギタリストなのにそんなエゴを感じない、腰が低く、
ひっそりと去って行ったKMさん、
今はどうしているんだろう・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます