ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

アントニオ猪木、死す

2022年10月01日 | プロレス
遂にこの時が来てしまいました。
何度も、もう駄目だ…と覚悟していましたが蘇り。
私は好きでは無い番組ですが「24時間テレビ」に出演したのが
私の中では最後の公での姿でした。
OBが沢山集まった新日本プロレス50周年にも出れませんでしたし。
いや、体調はどうであれ、もしかして出たく無かったかも。

猪木の事を書こうとしたら、もうキリがありません。
それはこれから何度にも分けて書きたいと思いますが
私は結果的に猪木の試合を見てプロレスファンになりました。
タイガーマスクがデビューし、当時プラソデ・オロ、プラタ
エルシグノ、エルテハノ、ネグロナバーロ達と闘っていた頃です。
猪木を始めて見た記憶は時系列が一致しないかもしれませんが
vsアンドレ戦でした。極短時間で終わった試合でしたが
その短時間で魅了されてしまいました。
(広島大会だと時系列合わない)
まだパンチパーマ姿の長州と組み、ブッチャー、BNアレンとの
60分3本勝負で長州が血まみれにされていたり、
伝説のハンセンvsアンドレ戦の後、ラッシャー木村の「こんにちわ事件」の後
タイガー戸口と田園コロシアムで闘っていたり。その頃です。1981年前半。
当時、子供の私にチャンネル権は有りませんでしたので、「太陽に吠えろ」が
映る日が多かった。

新日本が大きなカケに出た
いや、結果的に猪木の執念が今後のプロレス界の歴史を握った
世界のスーパースター、ボクシング現役世界チャンピオン
モハメドアリとの世紀の異種格闘技戦。
柔拳とかありましたが、大舞台で公式に行われた
異種格闘技戦、これが後の総合格闘技に発展した。
猪木や新間が仕掛けた事ですが、ここで日本のプロレスの歴史が
終わっていたかも知れない真剣勝負。

Muhammad Ali vs Antonio Inoki - no Mayweather vs McGregor !


猪木に振り回されたり、大被害に合ったり
とんでもない迷惑をかけられた人の数は計り知れないでしょう。
私も人間として猪木が嫌いな時期が結構有りました。
街頭演説も無視したり。

でも、やはりアントニオ猪木なんですよね。
筆舌出来ない程。
エリートG馬場が世界でもスーパースターになっていくのを同期の猪木は
悔しくて激しく意識した。
(馬場曰く、馬場と猪木の関係は「小橋と志賀位の差」
因縁の馬場を訪ねてはお金の無心をしていたとか(和田京平弁))

25億円の負債を抱え、公然と土下座しても
自分の事だとも思っていなかったと。
常人離れた天才、そしてとんでもない奇人。
しかし日本のスーパースタープロレスラー。
常に話題を造り続けた。
力道山、馬場、猪木と世の中に知れたスーパースター。
プロレスファンでは無い人でもこの3人の名前は知っていた。
子供の頃、プロレスを見なかった私でも猪木は知っていた。

日本のプロレス発展期
力道山門下生のレスラーは遂に北沢幹之、グレート小鹿だけに。

何とも書ききれない猪木。
当然ファンの中にもアンチは多い。
マスコミからすれば猪木程、スキャンダルネタを提供してくれるレスラーは居ない。
東京プロレスのドロ沼から日本プロレス乗っ取り事件、
アリ戦、ルスカや極真のウィリーウイリアム戦等の異種格闘技戦、
毎週視聴率20%超え、アントンハイセルの大負債、
逆に自分に対してクーデター起されるクーデター事件、
UWF、ジャパンプロレス、国会議員、イラク人質解放、秘書の告発、
破茶滅茶な北朝鮮興行、新日本のレスラーを死地である総合格闘技に送った
子殺し。簡単に負債を作り、友人を刑務所送り、または高飛び、
プロレス大氷河期…、議員に返り咲き外務省の警告を無視し北朝鮮へ渡航交渉、
最後はプラズマに夢を乗せ。
とんでもなく的外れな事で大惨事になった事も数え切れない。
超目立ちたがり屋、且つ他人にあまり興味が無い様にも思える。

新日本プロレスは今アントニオ猪木色を払拭しましたが
60年以上、大きな話題を提供し続け
プロレスでファンを魅了したスーパースターアントニオ猪木。
後期では引退試合は別として北朝鮮でのリックフレアーとの名試合が思い浮かびます。
ひと昔では考えられないカードですよね。天下の元NWA世界チャンピオンのフレアーと
日本のスーパースター、アントニオ猪木なんて。
初めて観るプロレスに喝采した北朝鮮人民(強制拍手声援?)
細かな事は何れまた書くとしまして
晩年は難病との長い闘病生活でしたね。
私をプロレス沼に引き連れ込んだ
日本最高のプロレスラー、スーパースター。
馬場と猪木、比べる所は多々有れども、
比較しきれないもの。
世界の馬場、日本のアントニオ猪木。

苦しい闘病生活だったでしょう。
弱りきっている姿を最後にYouTubeに残して。
9/22の姿ですね。しんどそうで声も聞き取れない程。
亡くなる前日、最後に、アメリカに居る娘さんとお別れの電話が出来たそうな。

未だ、猪木が居ない実感が有りません。
凄い生命力の人でしたから。

享年79。
ご冥福をお祈りします。

そしてありがとう、アントニオ猪木。
プロレスファンで良かったですよ!

コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弦が高い | トップ | Greco 「ミラージュ」 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (colo)
2022-10-01 15:50:55
自分も今晩は猪木のDVDを見て、供養とさせて頂こうと思っております。
返信する
coloさん (太郎)
2022-10-01 20:57:43
ご無沙汰しています。
やはり寂しいですね。今テレ朝の猪木追悼番組観ております。
返信する
Unknown (ES335TDC)
2022-10-02 12:19:30
太郎 さん


私はプロレスを語れるほど詳しくはありませんが、さすがに猪木さんの事は知っています。父が結構プロレス好きで、子供の頃は何度かTVを見た事がありました。

私も恐らく太郎さんがコメントされている動画を見かけ、本当に辛そうなお姿が忘れられません。ただただ、ご冥福をお祈り申し上げます。
返信する
Unknown (Home In My Shoes)
2022-10-02 23:34:39
アンチ猪木の私ですが、アンチもまたファンの一種。無視できない、または倒すべき相手として、常に気になっておりました。猪木なくしてはその弟子たちもなかったのですし。

最後まで人前でアントニオ猪木として振る舞い続けたこと、本望ではなかったでしょうか。

太郎さん、バキ外伝の馬場猪木戦をぜひどこかで読んでみてくださいね。あの頃のプロレスが好きであることを幸福に思えること請け合いです(*´ω`*)。
https://yamakamu.net/bakigaiden

アントニオ猪木よ、安らかに。
返信する
ES335TDCさん (太郎)
2022-10-02 23:54:44
お父様がプロレスお好きでしたか。
娯楽の少ない時代は、野球、相撲、プロレスがお茶の間の楽しみスポーツでしたし。
プロレスを見始めた事がキッカケで洋楽ロックにハマったのです。
古舘一郎が火曜日に猪木を訪ねたそうですが、病気の猪木が古舘にかなり気を使っていたと。
亡くなる前日、アメリカの娘さんから電話が有り「娘と最後のお別れが出来た」
と、言っていたそうです。
返信する
Home In My Shoesさん (太郎)
2022-10-03 00:02:09
Homeさんはアンチ猪木でしたもんね。
私、タイガーと猪木を観た事をキッカケに全日本プロレスの存在も知り
そこで洋楽にハマり、ジグゾーやピンクフロイドのレコード買ったクチなんですよ。
猪木が居なければ長州達、ジャパン軍と全日本軍の抗争も無かったですしね。
中堅だった大熊や石川も奮闘しましたしね。
一日経っても実感湧かないです。馬場は驚きましたがゴングでストレッチャー乗った
馬場の遺体と全日本の若手が泣いているのを観て亡くなった事飲み込みました。
返信する
Unknown (home in my shoes)
2022-10-06 16:53:24
https://news.yahoo.co.jp/articles/36d20ffb0994330438e4c9cb5b2fc07ed375b816
なんか無料で見られるみたいですよ!
返信する
Unknown (太郎)
2022-10-08 01:21:40
Home In My shoseさん

情報ありがとうございます。
暫くネット&電波状況の悪い所に滞在しているので
状況の良い所に出た時に見ますねm(_ _)m
実は刃牙読むの初めてなんですよ😅
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事