レフリー和田京平のトークはホントに面白いです。
和田氏が挙げた馬場ベストバウトの一つは
この馬場vsハンセンのPWF戦でした。
昔の全日本の面影が無くなった全日本プロレスの今の現役レスラー達に
この試合を見せたら皆、感動していたとか。
私もこの試合は印象深いです。
前年からプロレスを見始めた新日本プロレスにおける
ハンセンvsアンドレの田園コロシアムにおける
ど迫力のシングルマッチが行われた年末の全日本プロレス
世界最強タッグリーグ決勝戦で突然、ファンクスと対決する
ブロディ、スヌーカ組に私服でセコンドに付いて入場したシーン。
衝撃でしたね。アレは会場の蔵前国技館は揺れたでしょうな。
試合後は馬場、鶴田と大流血の殴り合い。
この一、二年は凄い年でしたな。
タイガーマスクデビュー、国際プロレス崩壊、ブッチャー、マードック、戸口を
新日本が引き抜けば、報復でシン、ハンセンを引き抜き
この引き抜き合戦では完全に全日本が勝利してしまい
全日本にハンセン旋風が巻き起こりましたね。
後、この年昭和57年秋の新日本後楽園ホールでは、中堅の長州造反で大ブレイクと。
正式参戦となった昭和57年の一月からハンセンは
全日本所属選手を2分台でことごとく倒して行き、
試合後ハンセンを抑えにかかる三沢や越中が次々
ウエスタンラリアットの餌食になり、
天龍や鶴田もハンセンに負け
最後の砦となったジャイアント馬場。
私はこの試合、馬場危ないのではないか?
でも馬場は負けない、やってくれるだろう!と
普段、何の魅力も感じていなかった馬場に期待しまくっていました。
当時は兵庫系伊丹市に住んでおりましたが
土曜日の小学校から帰宅し、この試合を楽しみにしておりました。
(埋めこみが無理だった様です。ご覧になられる方はそのまま「YouTubeで見る」をタップで)
ジャイアント馬場 vs スタン・ハンセン
いやぁ、張り詰めた緊張感ですね。
しかし、自分の入場曲が鳴り響いているのに
にこやかにインタビューに応える馬場の懐の広さ‥。
もう40歳は超えていますよね。
日プロ期は私、産まれた頃なので流石にリアルタイムで観る事は不可能ですが
この試合は興奮して馬場負けるな!と
目を離せなかった事を思い出します。
しかしまあ、馬場の長身を生かした攻撃は有効ですね。
あんな首と腕の固め方は馬場じゃないと出来ませんよね。
209cm(正確では無いでしょう)の足、その巨人の足にネックシザースで
上から絡みつかれたらハンセンもたまったモノじゃないです。
あの体勢なら他の選手だと三角絞めに行く流れになりますし
体の大きいハンセンと馬場だから魅せれた
あの光景でしょう。アレが三角絞めだったら
インパクトは無かったでしょうな。
プロレスのインサイドワークとは何のこっちゃ?
よく分からない馬場の得意なインサイドワーク(笑)は
この試合でも際立ちますね。
確かこの試合が昭和57年度の年間最高試合で賞を取ったのでしたね。
東京転勤でプロレス観戦が近くなったのに
40年間、ハンセンの試合も生ハンセンも見れなかった‥。
TV放送の無い外タレのコンサートにお金を使ってました‥。
和田氏が挙げた馬場ベストバウトの一つは
この馬場vsハンセンのPWF戦でした。
昔の全日本の面影が無くなった全日本プロレスの今の現役レスラー達に
この試合を見せたら皆、感動していたとか。
私もこの試合は印象深いです。
前年からプロレスを見始めた新日本プロレスにおける
ハンセンvsアンドレの田園コロシアムにおける
ど迫力のシングルマッチが行われた年末の全日本プロレス
世界最強タッグリーグ決勝戦で突然、ファンクスと対決する
ブロディ、スヌーカ組に私服でセコンドに付いて入場したシーン。
衝撃でしたね。アレは会場の蔵前国技館は揺れたでしょうな。
試合後は馬場、鶴田と大流血の殴り合い。
この一、二年は凄い年でしたな。
タイガーマスクデビュー、国際プロレス崩壊、ブッチャー、マードック、戸口を
新日本が引き抜けば、報復でシン、ハンセンを引き抜き
この引き抜き合戦では完全に全日本が勝利してしまい
全日本にハンセン旋風が巻き起こりましたね。
後、この年昭和57年秋の新日本後楽園ホールでは、中堅の長州造反で大ブレイクと。
正式参戦となった昭和57年の一月からハンセンは
全日本所属選手を2分台でことごとく倒して行き、
試合後ハンセンを抑えにかかる三沢や越中が次々
ウエスタンラリアットの餌食になり、
天龍や鶴田もハンセンに負け
最後の砦となったジャイアント馬場。
私はこの試合、馬場危ないのではないか?
でも馬場は負けない、やってくれるだろう!と
普段、何の魅力も感じていなかった馬場に期待しまくっていました。
当時は兵庫系伊丹市に住んでおりましたが
土曜日の小学校から帰宅し、この試合を楽しみにしておりました。
(埋めこみが無理だった様です。ご覧になられる方はそのまま「YouTubeで見る」をタップで)
ジャイアント馬場 vs スタン・ハンセン
いやぁ、張り詰めた緊張感ですね。
しかし、自分の入場曲が鳴り響いているのに
にこやかにインタビューに応える馬場の懐の広さ‥。
もう40歳は超えていますよね。
日プロ期は私、産まれた頃なので流石にリアルタイムで観る事は不可能ですが
この試合は興奮して馬場負けるな!と
目を離せなかった事を思い出します。
しかしまあ、馬場の長身を生かした攻撃は有効ですね。
あんな首と腕の固め方は馬場じゃないと出来ませんよね。
209cm(正確では無いでしょう)の足、その巨人の足にネックシザースで
上から絡みつかれたらハンセンもたまったモノじゃないです。
あの体勢なら他の選手だと三角絞めに行く流れになりますし
体の大きいハンセンと馬場だから魅せれた
あの光景でしょう。アレが三角絞めだったら
インパクトは無かったでしょうな。
プロレスのインサイドワークとは何のこっちゃ?
よく分からない馬場の得意なインサイドワーク(笑)は
この試合でも際立ちますね。
確かこの試合が昭和57年度の年間最高試合で賞を取ったのでしたね。
東京転勤でプロレス観戦が近くなったのに
40年間、ハンセンの試合も生ハンセンも見れなかった‥。
TV放送の無い外タレのコンサートにお金を使ってました‥。
ラッシャー木村による「こんばんは事件」もあったアンドレとの伝説の田園コロシアム戦も視ましたが、意外にもハンセンの初来日は新日ではなく全日の方で、その時には一介の巨漢レスラーに過ぎず、三流レスラーだったアントン・ヘーシンクあたりに抑え込まれていた Jobber だったのに、後々、M.S.ガーデンでB・サンマルチノの首を折った必殺Wラリアートを引っ提げて新日へ来襲した時には、前哨戦として坂口や長州を撃破していたほどに様変わり。その勢いでこのまま猪木と抗争を繰り広げ続けるかと思いきや、IWGPへ参戦する前に全日へ引き抜かれ(?)、やがては馬場の信頼を得て常連としてのみならず、ドリーに代わりブッカーとして辣腕を振るい、恵まれたレスラー人生を全うした幸運な逸材だったと思います。彼のリング外での人となりは笑顔の似合う好人物という印象で、近い将来、デストロイヤー、マスカラスに次いで日本政府から勲章を授与されるように思います(ハンセン夫人は日本人女性のようで…??)。
しかしこの時代のプロレス試合は判り易くて面白いと感じました。逆に現在の4次元的でアクロバチックな試合は、視(観)ていて食傷気味。今世紀に入ってナマ観戦をしたのは2~3試合程度ですが、“高橋本”を読んでしまったことからも、すでに私はプロレス愛好家卒業生ということになってしまった感もあります(音楽ライブには足を運びますがね…)。
いいもの(動画)、ありがとうございました。
太郎さんよりチョットだけ年上な(笑)自分には、大変懐かしい映像(世界)でした!
実は未だに、全日のハンセンしか見た事無いです(笑)
最近、プロレス熱が復活してまして、動画、本、ゲーム(20年近く前のファイプロ)などで、日々癒されております。
※2000年以前の物ですが…
ボボブラジル戦なんか3発位32文打ち込んで勝ちましたもんね。
私も32文は滅多に見れずランニングネックブリーカーの方が必殺技に思えました。
この後、上田馬之助や再びハーリーレイスとPWF戦の取合いしていましたが
ハンセン戦程の興奮を感じませんでした。上田戦は今思えば上田のグラウンドの強さを見たかったですが。
私、本格的なプロレスラーの自伝本は引退前後のハンセンの「魂のラリアット」でして
初戦の阿修羅原は「完璧なレスラーだった」と称賛しておりました。
しかし‥国際で大pushされた超新星の原は、「ポリスマン」役が多かったですね。
ハンセンの初来日は本当新日本だった説もあります。
「スタンハンセン」では無いリング名で来日した男を当時、新日本営業部長だった大塚氏がリクエストして
どうしても見つからず、
新日本が米でコネが有るのはLAのラベールとWWWFマクマホンだけでマサ斉藤がハンセンを見つけてくれた、
とラジオで話しておりました。ハンセン抜かれてブッチャーを抜いたらシンだけでは無く
ハンセンを抜かれた事が堪えたと。「今では全日本のハンセンですもんねぇ」と。大塚氏弁ですが。
一番信頼したプロモーターは馬場で「私ボスだった」と書かれてました。
と、マスカラスも賞を貰っていたんですね。生還する予定のキラーカーンも嫌いで
裏技使ったらマスカラスがビビってしまったと話してましたな。
一応今のプロレスは見ていますが、やはり昭和プロレス、またはその名残りが有るプロレスが好きです。
いやぁ、この動画上げた方に感謝を(笑)この試合は今見ても興奮しますね。
昨夜三度も見てしまいました。あら‥そうでしたか、新日本時代はと。
私も田園コロシアムのシリーズと年末のMSGタッグリーグ戦だけなんですがね。新日ハンセン。
私のベッドの下やダンボールに90年代の週刊ゴングや
70〜80年代のパンフレット等
どうやって処分出来ないか?と思案中です。
あの頃はプロレスに夢が有りましたね。
これですよ、この試合(*´ω`*)。一時期の全日の良さ&馬場さんの凄みの到達点と思っております。いやぁ、いい動画をありがとうございます。
アナウンサーも言ってますが、馬場不利の下馬評が多い中で私のような馬場ファンも王座陥落を心配していた一戦でした。誰がどう見てもハンセンが強いじゃないですか、実際。
いや、誤解のないように申し添えておきますと、あくまで「この時点では」の話です。既に馬場さんはピークアウトしており、メインは鶴田に譲り始めていた頃ですから。その上、ハンセンの馬力&勢いたるや、当時の全日外人勢ダントツでしたし。
まぁ、ハンセンが仮想新日的な意味合いもあって、昔からの全日ファンはハラハラしていたのが正直なところです。
が、その心配はすぐに払拭されました(*´ω`*)。開始早々の十六文は、「この試合の決め技は十六文ではないぞ」という馬場さんの力強い宣言でしたから!そのセンス、もう大狂喜っすよ。
スピーディー&破壊力充分な河津掛け、フォールされる体制から繰り出す腕ひしぎ&ヘッドシザース、巨体を利した(他に誰もできそうにない)アームブリーカー等々・・・。世界の馬場健在!猪木信者見たか!
なぜかリング下に干渉して失神ノーコンテストのジョー樋口さんも、ハンセンを止めに入ってラリアットをきれいに喰らう全日勢もいい仕事してます。
週プロあたりが全日を「予定調和」とディスってましたが、予定調和の何が悪いのか。誰をも傷つけることなく(これが大事)その凄みを見せつける馬場さんこそ、プロレスを八百長と揶揄する世間への全日からの回答です。
いやー、このリズム、重み実にいいです(*´ω`*)。ハンセンもきっちり受けて暴れて男前ですね。
いや、ええもん見させていただきました。ありがとうございました。
メインに立つ事はあれど鶴田、天龍達にバトンタッチし、セミセミ位で出てましたね馬場。
コレは馬場の大一番、最後の最高試合にも思えます。
82年、年初めからハンセン旋風でしたね。若手中堅が短時間でバッタバッタやられ
ハンセンに全日本は乗っ取られるのでは無いだろうか?と思いました。
最後の砦の馬場はアグレッシブに攻撃に出ましたね。強い馬場でした。
仰る通り16文32文と決め技オンパレードあのアームヘッドシザースですもんね。
突進しまくって来たハンセンを絡め取った一番のうまさに思えます。
私の中では工房はこの試合のハイライトです。全盛期に入ってきたハンセンも
攻めあぐねる事無く、サイズの大きいレスラーが多い全日本の馬場の攻撃を受け
タフガイを見せますね。そして水戸黄門の印籠的なタイミングでジョー樋口が
巻き込まれ、両者反則とお互い傷が付かない上名勝負でしたね。
ピークを超えても馬場の懐の広さを感じました。
と、関西では圧倒的に新日本ファン派が幅を効かせていたそうで
新日本vs全日本!という対立構造が出来ていたそうですが、この当時学校で
プロレスの話を出来る人間がゼロ‥関東に来てもクラスに2人‥
こう対立構造すら無かったんですよねぇ。プロレスラー猪木嫌いがこんなに多いとは
存じ上げませんでした。人間猪木は別ですがね(^_^;
と、馬場vsハンセンはホント良い試合でしたね。