深見伸介の独学日記

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断片的な自分史②

2025-02-10 16:00:58 | 歴史・文章
私が「自分史」を書こうとおもったのは、立花隆「自分史の書き方」を読んだのがきっかけである。立花は、辛い過去でも書くことによって相対化できる、と言う。精神医学でも、似たようなアプローチがあるらしい。それを知り、拙い「自分史」を書くことにした。だが断片的にしか、今のところ書けない。技術的な面もあるし、記憶が結構、あやふやだからだ。

2019年、4月。私は42歳で郵便局を辞めた。鬱病が原因である。長い間、緊張感を持って仕事をやり過ぎたせいかもしれない。同居していた両親は、鬱病に対して全く理解がなかった。「そんなもん、病気とはいわん」と父は言い、母もそう言った。母は、何時でも父の意見に賛成する。そうしないと、殴られるからである。父は私が就職してから退職するまで、私の預金通帳を握っていた。私の給料で、週末飲み歩いた。家でも、ロング缶3本のビールを毎日飲んだ。通帳を返してほしい、と言うと必ず「甘ったれるな」と怒鳴り返してくる。話し合うことなど全く、できなかった。

読書することだけが、私の生きがいだった気がする。ドストエフスキー、吉本隆明、夏目漱石。またはフーコー、ラカンなどフランス現代思想も分からないなりに読んだりした。だが、退職した私には、家のなかでゆっくりと本を読むことすら許されなかった。「早く再就職しろ」と両親が毎日、私に詰め寄ってきたからだ。私は、疲れ果てていた。




断片的な自分史

2025-02-10 05:36:34 | 歴史・文章
私は1996年、郵便局に入った。2019年に退職するまで配達員として働いた。いまは、無職である。

茨城県の古い木造の郵便局が、私の最初の勤め先だった。田舎道で道幅が狭かったが、ダンプカーが猛スピードで走り回っていた。あの頃、何を考えて仕事をしていたのだろう?ほとんど記憶にない。ただ覚えているのは、先輩からの怒声におびえながら仕事をしていたことだけである。先輩職員は10人以上いたが、派閥に分かれていて、陰口がいつも飛び交い、仕事場は暗い緊張感に満ちていた。当時、19歳だった私は、どの派閥にも入れず孤立していた。馬鹿にされていたのである。「じいや」というあだ名を付けられたのは、入ってすぐの頃だった。地元の方言で「お爺さん」という意味である。無口で、おっとりした性格の私は、すぐに職場の「余計者」にされてしまった。

不器用だった私は、郵便バイクを上手く乗りこなすことが出来なかった。毎日、夜の7時くらいまで配達していた。労働基準法など、あってないようなものである。配達が終わらない場合、早く配達を終えた職員が助けに行く決まりになっていた。しかし、職場で孤立していた私の手伝いなど誰も来なかった。上司たちも、知らぬふりである。

昼食をとる暇もなかったが、一か月に、2~3回は郵便物の少ない日があり、そんな時は食堂で昼食をとった。田舎の、昔ながらの大衆食堂で、ラーメンでもカレーでもどんぶり物でも何でも安く食えた。だが、食堂のおかみさんは、私に冷淡だった。ほかの先輩職員とはにこやかに話すのに、私とはほぼ会話をしてくれなかった。私は、やがてその食堂に行かなくなり、昼食を取る余裕があるときでも、食堂へは行かず、コンビニでパンを買い、人気のない場所にバイクを止め、食事をとった。食堂のおかみさんは、あいつ、うちに飯を食いにこなくなった、と私の悪口を言っていたようだ。職場の人間に見つからないように煙草を吸うようになったのも、このころからだった。






文章練習法

2025-02-06 03:08:30 | 歴史・文章
どうすれば、文章が書けるようになるのか?そんなことを考えながらあれこれ乱読していたら、たまたま読んだ鈴木邦男「行動派のための読書術」(長崎出版 1980年)に文章練習法のようなことが書かれていたので、紹介する。

「うまい文章はまず何度も黙読する。又、時には声を出して読んで、そのリズムをつかむようにする。それだけでは足りない。その上に、その名文を自分も同じように原稿用紙にうつしてみることである。戦前の小説家志望者は原稿用紙に志賀直哉の『城の崎にて』などを一字一字、楷書で書き写して文章の呼吸を学んだといわれている。ただ、読むだけでは分からなかった文章の<生命>が分かるようになるのだろう。写経にも似ている行為である。読経だけではどうしても分からないものを写経によって感じとるのではないだろうか」(115頁)

「書き写す作業をしてみれば全く新しい世界が開ける。ウソだと思うのならばやってみることだ。意味がわかるだけでなく、自分の新しい考えが生まれ、さらに展開されるのである。その書き写してることとは全く別なことでヒントを与えられることもある。読むだけで済むのに、さらに手間ヒマかけて書き写す。時間もかかるし、無駄なことをしているような気がしてくる。しかし、その非合理的な作業の中で精神が統一され、インスピレーションも湧いてくる。これは実際にやってみれば驚くほどである」(116頁)

「ある意味ではこの単調な作業は原稿を書いている時の引用ならば一つの『息抜き』であり、書き写しだけをやっている時は一つのメディテーション(瞑想)である」(116~117頁)

「この原稿を書く参考にと思って、ものを書いて生活している十人ほどに、どうやって文章の練習をしているのか聞いてみた。そして驚いたことには、この『写す』ということが一番多かった。自分の好きな作家の短編を写すとか、あるいは小林秀雄の評論。変わったところでは平泉澄の『少年日本史』を毎日何ページかづつ写しているという人もいた」(117頁)





佐藤忠男 論文をどう書くか

2025-02-05 03:40:49 | 歴史・文章
谷崎潤一郎「文章読本」を読んでいる最中だが、少し寄り道をする。映画評論家、佐藤忠男の「論文をどう書くか」(講談社現代新書)を読む。佐藤忠男も独学者である。彼は、子供の頃に面白いと感じた通俗小説、通俗映画についてこう書く。

「・・・私は『面白さ』というものにはたんなるひまつぶし以上の知的な刺激が含まれているばあいがあるのではないか、そこに積極的にのめりこんでいったことによって、自分は学校の勉強以上の勉強ができたのではないか、ということをいいたかったわけだ。いわば私は『面白さ』という平凡な日常的な言葉にこだわることによって、自分の劣等感を自己肯定に逆転させようと試みていたのだった」(151頁)

佐藤忠男の書く「自分の劣等感」というのは、彼の学歴コンプレックスのことである。現在でも学校教育は、生徒たちに劣等感を植え付けるだけのものになっているのでは?面白い、と思うことにこそ、その人の人生を煌めかせるのもがある。佐藤忠男からのメッセージだ。この本には、福沢諭吉の文体についての考察も書かれていて、勉強になる。

谷崎潤一郎 「文章読本」を読む

2025-02-04 07:02:21 | 歴史・文章
今日は谷崎潤一郎の「文章読本」を読んでみることにする。内容が分かりやすく興味深い本だ。新潮文庫「陰翳礼讃・文章読本」から引用してみる。

「人間が心に思うことを他人に伝え、知らしめるのには、いろいろな方法があります。たとえば悲しみを訴えるのには、悲しい顔つきをしても伝えられる。物が食いたい時は手真似で食う様子をして見せても分かる。その外、泣くとか、呻るとか、叫ぶとか、睨むとか、嘆息するとか、殴るとか云う手段もありまして、急な、激しい感情を一と息に伝えるのには、そう云う原始的な方法の方が適する場合もありますが、しかしやや細かい思想を明瞭に伝えようとすれば、言語に依るより外はありません。言語がないとどんなに不自由かと云うことは、日本語の通じない外国へ旅行してみると分かります」(125頁)

「われわれはまた、孤独を紛らすために自分で自分に話しかける習慣があります。強いて物を考えようとしないでも、独りでぽつねんとしている時、自分の中にあるもう一人の自分が、ふと囁きかけてくることがあります。それから、他人に話すのでも、自分の云おうとすることを一遍心で云ってみて、然る後口にだすこともあります。普通われわれが英語を話す時は、まず日本語で思い浮かべ、それを頭の中で英語に訳してからしゃべりますが、母国語で話す時でも、むずかしい事柄を述べるのには、しばしばそう云う風にする必要を感じます。されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、と云う働きを持っております」(126頁)

谷崎流の言語論、といった文章だ。そのあとには、「・・・思想に纏まりをつけると云う働きがある一面に、思想を一定の型に入れてしまうという欠点があります」(126頁)とも書いてある。言葉の弱点を十分に分かっていたのだろう。それにしても、ここまで言葉について深い思索ができる人だとは思っていなかった。