私が「自分史」を書こうとおもったのは、立花隆「自分史の書き方」を読んだのがきっかけである。立花は、辛い過去でも書くことによって相対化できる、と言う。精神医学でも、似たようなアプローチがあるらしい。それを知り、拙い「自分史」を書くことにした。だが断片的にしか、今のところ書けない。技術的な面もあるし、記憶が結構、あやふやだからだ。
2019年、4月。私は42歳で郵便局を辞めた。鬱病が原因である。長い間、緊張感を持って仕事をやり過ぎたせいかもしれない。同居していた両親は、鬱病に対して全く理解がなかった。「そんなもん、病気とはいわん」と父は言い、母もそう言った。母は、何時でも父の意見に賛成する。そうしないと、殴られるからである。父は私が就職してから退職するまで、私の預金通帳を握っていた。私の給料で、週末飲み歩いた。家でも、ロング缶3本のビールを毎日飲んだ。通帳を返してほしい、と言うと必ず「甘ったれるな」と怒鳴り返してくる。話し合うことなど全く、できなかった。
読書することだけが、私の生きがいだった気がする。ドストエフスキー、吉本隆明、夏目漱石。またはフーコー、ラカンなどフランス現代思想も分からないなりに読んだりした。だが、退職した私には、家のなかでゆっくりと本を読むことすら許されなかった。「早く再就職しろ」と両親が毎日、私に詰め寄ってきたからだ。私は、疲れ果てていた。