☆富士山ライブカメラ(三ッ峠山頂カメラ) 今朝7:32
☆富士山ライブカメラ(山中湖平野カメラ) 今朝7:34
☆今朝は少し雲が有るが、陽が射して来ています。早朝の気温は、10℃で外は寒く感じた。10月も今日でお終いで、明日からは11月である。この所朝晩は冷えて来たが、日中は気温が20℃前後有り日向は温い。昨日も畑仕事は、半袖姿で作業が出来た。
プロ野球は今日本シリーズの熱戦が続いているが、昨夜のニュースでは川上哲治さんの訃報が報じられていた。子供時代から川上選手は知っていた様に思う。選手時代より監督や解説者時代の方が印象に残っている。
今日の朝刊コラムでも、数紙が取上げていた。
・高校に進学する女子は3人に1人。男子も2人に1人は中学を出ると働き始めた――。日本が経済発展に向かう前の1950年の様子を、経済学者の吉川洋氏が著書「高度成長」で紹介している。戦後の復興半ばのなかを、汗を流して働く若者たちの姿が浮かんでくる。
▼そのころ多摩川河川敷のグラウンドで、2軍の投手を相手に打撃練習に励むプロ野球選手がいた。あるとき投手の動きに合わせ足を踏み込むと、球が目の前でぴたりと止まった。「ボールが止まって見えた」最初の瞬間だった。「打撃の神様」として球史に名を残したこの選手はもちろん、巨人の背番号16、川上哲治氏だ。(春秋)
・川上哲治(てつはる)さんがプロ野球巨人の監督に就いたのは東西冷戦のさなかだった。キャンプ中に取材規制を敷き、その徹底ぶりは「哲のカーテン」と記者を泣かせた。英首相チャーチルが共産圏の閉鎖性を例えた「鉄のカーテン」のもじりだった▼選手時代には「打撃の神様」と呼ばれ、右中間を切り裂く弾丸ライナーに観衆はどよめいた。日本で初の2千安打も達成した。いまでは40人を超すが、一番は永遠に一番である。野球の歴史に極太の字で刻まれるその人が、93歳で旅立っていった(天声人語)
・「それ」は1950年の夏だった。2軍の投手相手に打撃練習をしていた時である。手元に来たカーブを打とうと踏み込むと、右足の前で球が止まった。バットを振り抜くとライナーはフェンスに達した▲これが世に名高い川上哲治(かわかみてつはる)さんの「球が止まって見える」という打撃開眼の瞬間だった。次の球も、その次の球も、「止まれ」と念じれば「止まった」。うれしくて、その感じを体にしみこませようと繰り返すうちに我に返ると、若い投手はくたくたにへばっていた(余禄)
・神様がいなくなった。「職業野球」が一年で最も熱く燃える季節に「打撃の神様」の川上哲治さんが亡くなった▼「打撃の神様」「赤バット」「弾丸ライナー」「哲のカーテン」。これほど名文句に恵まれた野球人はいない。王貞治さんが「記録」、長嶋茂雄さんが「記憶」に残る選手なら川上さんは「言葉」に残る野球人だ▼内外野の間に落ちるテキサスリーガーズ・ヒット(ポテンヒット)でさえ、川上さんが量産すれば粋な文句が生まれる。「テキサスの哲」。戦後復興期。焼け跡の野球少年をどんなに勇気付けたか(筆洗)
朝刊コラムの中から一部をコピペして見ました。今日ほど同じテーマでのコラムも珍しいのでは?と思います。各紙のコラムを読み比べて見るのも面白いと思います。
長嶋茂雄氏「とてつもなく大きな存在」王貞治氏「勝負に対する執念教わった」
原辰徳監督「さん然と輝く大先輩」星野仙一監督「勝負に厳しい人だった」
落合博満氏「野球界で一番大事な人亡くした」金田正一氏「すばらしい野球人生」
桑田真澄氏「大エースになれと言われた」堀内恒夫参議院議員「巨星落つ」高田繁氏「競争意識作るのが上手だった」野村克也氏「真の野球学話し合いたかった」元阪神の小山氏「ボールの見極めすばらしかった」等しのぶ声が相次いだそうである。(NHK)
日本にリーズの方は昨夜巨人が6-5で逆転勝ちし、対戦成績を2勝2敗の五分になった。今夜の試合がとても楽しみだが、今夜も楽天を応援します。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】
・人が成長するのは、思いやりに溢れた人になるため
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ー「今日は何の日」ー
・世界勤倹デー(国際貯蓄銀行協会1925)、ガス記念日(日本瓦斯協会1972)、
ハロウィン、そばの日(毎月)
▲横浜でガス灯が点灯され、日本のガス事業の幕開け(1872)
▲自由民権運動を弾圧する政府に対し、旧自由党員が中心になり、秩父で
大規模な反乱(秩父事件)(1884)
▲初の外国野球チーム招待試合(1907)
▲東京のダンスホール閉鎖(1940)
▲日本記者クラブ結成(1969)
▲昭和天皇在位50年で初の公式記者会見。「原爆投下は戦時中でやむを得ぬと思う」
と発言(1975)
誕生:ジョン・キーツ(詩人1795) マリー・ローランサン(画家1885)
蒋介石(政治家1886) シアヌーク(カンボジアの国王1922
渡辺文雄(俳優1929) 灰谷健次郎(作家1934) 浜木綿子(女優1935)
つげ義春(漫画家1937) 岡部幸雄(1948) 加藤健一(俳優1949)
ジョン・ローン(俳優1952) 藤田美保子(女優1952) 山本耕史(俳優1976)
今日の「誕生日の花と花ことば」 (NHKのラジオ深夜便4時台放送分)
・オケラ(キク科)
・親しみやすい
[きょうの短歌」
愛らしく小さく白い花をつけ
オケラは高く茎伸ばしたり
☆~心に響く366の寸言~
【【冷静に決然と】】
余は満天下の志士仁人に
革命家たらんよりは
まず求道者たれ。
人に説かんよりは
まず士に下れ。
そして冷眼事を看、
剛腸事に当れ。
☆2013年 10月 31日(木):松下幸之助[一日一話]
【まず与えよう】
持ちつ持たれつという言葉もあるが、この世の中は、お互いに与え合い、与えられ合うことによって成り立っている。それはお金とか品物といった物質的な面もあれば、思いやりといったような心の面もある。
聖書の中にも、「与うるは受くるより幸いなり」という言葉があるというが、人間とは他からもらうことも嬉しいが、他に与え、他を喜ばすことにより大きな喜びを感じるというところがあると思う。そういう喜びをみずから味わいつつ、しかも自分を含めた社会全体をより豊かにしていくことができるのである。
「まず与えよう」これをお互いの合言葉にしたいと思ったのだが、どうであろうか。タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログ開設から 1559日
・http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
・10月30日のアクセス数:閲覧数466.訪問者数193.順位:9,320位 / 1,946,580ブログ中(前日比➘)
・先週(10月20日~10月26日)のアクセス数:ページビュー数2754 PV(先週比27.1%増➚) 訪問者数1011人(先週比3.9%増➚) 。ランキング:10823 位 / 1945037 中(先週13253 位 / 1942159ブログ 中)➚
☆富士山ライブカメラ(山中湖平野カメラ) 今朝7:34
☆今朝は少し雲が有るが、陽が射して来ています。早朝の気温は、10℃で外は寒く感じた。10月も今日でお終いで、明日からは11月である。この所朝晩は冷えて来たが、日中は気温が20℃前後有り日向は温い。昨日も畑仕事は、半袖姿で作業が出来た。
プロ野球は今日本シリーズの熱戦が続いているが、昨夜のニュースでは川上哲治さんの訃報が報じられていた。子供時代から川上選手は知っていた様に思う。選手時代より監督や解説者時代の方が印象に残っている。
今日の朝刊コラムでも、数紙が取上げていた。
・高校に進学する女子は3人に1人。男子も2人に1人は中学を出ると働き始めた――。日本が経済発展に向かう前の1950年の様子を、経済学者の吉川洋氏が著書「高度成長」で紹介している。戦後の復興半ばのなかを、汗を流して働く若者たちの姿が浮かんでくる。
▼そのころ多摩川河川敷のグラウンドで、2軍の投手を相手に打撃練習に励むプロ野球選手がいた。あるとき投手の動きに合わせ足を踏み込むと、球が目の前でぴたりと止まった。「ボールが止まって見えた」最初の瞬間だった。「打撃の神様」として球史に名を残したこの選手はもちろん、巨人の背番号16、川上哲治氏だ。(春秋)
・川上哲治(てつはる)さんがプロ野球巨人の監督に就いたのは東西冷戦のさなかだった。キャンプ中に取材規制を敷き、その徹底ぶりは「哲のカーテン」と記者を泣かせた。英首相チャーチルが共産圏の閉鎖性を例えた「鉄のカーテン」のもじりだった▼選手時代には「打撃の神様」と呼ばれ、右中間を切り裂く弾丸ライナーに観衆はどよめいた。日本で初の2千安打も達成した。いまでは40人を超すが、一番は永遠に一番である。野球の歴史に極太の字で刻まれるその人が、93歳で旅立っていった(天声人語)
・「それ」は1950年の夏だった。2軍の投手相手に打撃練習をしていた時である。手元に来たカーブを打とうと踏み込むと、右足の前で球が止まった。バットを振り抜くとライナーはフェンスに達した▲これが世に名高い川上哲治(かわかみてつはる)さんの「球が止まって見える」という打撃開眼の瞬間だった。次の球も、その次の球も、「止まれ」と念じれば「止まった」。うれしくて、その感じを体にしみこませようと繰り返すうちに我に返ると、若い投手はくたくたにへばっていた(余禄)
・神様がいなくなった。「職業野球」が一年で最も熱く燃える季節に「打撃の神様」の川上哲治さんが亡くなった▼「打撃の神様」「赤バット」「弾丸ライナー」「哲のカーテン」。これほど名文句に恵まれた野球人はいない。王貞治さんが「記録」、長嶋茂雄さんが「記憶」に残る選手なら川上さんは「言葉」に残る野球人だ▼内外野の間に落ちるテキサスリーガーズ・ヒット(ポテンヒット)でさえ、川上さんが量産すれば粋な文句が生まれる。「テキサスの哲」。戦後復興期。焼け跡の野球少年をどんなに勇気付けたか(筆洗)
朝刊コラムの中から一部をコピペして見ました。今日ほど同じテーマでのコラムも珍しいのでは?と思います。各紙のコラムを読み比べて見るのも面白いと思います。
長嶋茂雄氏「とてつもなく大きな存在」王貞治氏「勝負に対する執念教わった」
原辰徳監督「さん然と輝く大先輩」星野仙一監督「勝負に厳しい人だった」
落合博満氏「野球界で一番大事な人亡くした」金田正一氏「すばらしい野球人生」
桑田真澄氏「大エースになれと言われた」堀内恒夫参議院議員「巨星落つ」高田繁氏「競争意識作るのが上手だった」野村克也氏「真の野球学話し合いたかった」元阪神の小山氏「ボールの見極めすばらしかった」等しのぶ声が相次いだそうである。(NHK)
日本にリーズの方は昨夜巨人が6-5で逆転勝ちし、対戦成績を2勝2敗の五分になった。今夜の試合がとても楽しみだが、今夜も楽天を応援します。
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【夢を実現する今日の一言】
・人が成長するのは、思いやりに溢れた人になるため
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ー「今日は何の日」ー
・世界勤倹デー(国際貯蓄銀行協会1925)、ガス記念日(日本瓦斯協会1972)、
ハロウィン、そばの日(毎月)
▲横浜でガス灯が点灯され、日本のガス事業の幕開け(1872)
▲自由民権運動を弾圧する政府に対し、旧自由党員が中心になり、秩父で
大規模な反乱(秩父事件)(1884)
▲初の外国野球チーム招待試合(1907)
▲東京のダンスホール閉鎖(1940)
▲日本記者クラブ結成(1969)
▲昭和天皇在位50年で初の公式記者会見。「原爆投下は戦時中でやむを得ぬと思う」
と発言(1975)
誕生:ジョン・キーツ(詩人1795) マリー・ローランサン(画家1885)
蒋介石(政治家1886) シアヌーク(カンボジアの国王1922
渡辺文雄(俳優1929) 灰谷健次郎(作家1934) 浜木綿子(女優1935)
つげ義春(漫画家1937) 岡部幸雄(1948) 加藤健一(俳優1949)
ジョン・ローン(俳優1952) 藤田美保子(女優1952) 山本耕史(俳優1976)
今日の「誕生日の花と花ことば」 (NHKのラジオ深夜便4時台放送分)
・オケラ(キク科)
・親しみやすい
[きょうの短歌」
愛らしく小さく白い花をつけ
オケラは高く茎伸ばしたり
☆~心に響く366の寸言~
【【冷静に決然と】】
余は満天下の志士仁人に
革命家たらんよりは
まず求道者たれ。
人に説かんよりは
まず士に下れ。
そして冷眼事を看、
剛腸事に当れ。
☆2013年 10月 31日(木):松下幸之助[一日一話]
【まず与えよう】
持ちつ持たれつという言葉もあるが、この世の中は、お互いに与え合い、与えられ合うことによって成り立っている。それはお金とか品物といった物質的な面もあれば、思いやりといったような心の面もある。
聖書の中にも、「与うるは受くるより幸いなり」という言葉があるというが、人間とは他からもらうことも嬉しいが、他に与え、他を喜ばすことにより大きな喜びを感じるというところがあると思う。そういう喜びをみずから味わいつつ、しかも自分を含めた社会全体をより豊かにしていくことができるのである。
「まず与えよう」これをお互いの合言葉にしたいと思ったのだが、どうであろうか。タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログ開設から 1559日
・http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
・10月30日のアクセス数:閲覧数466.訪問者数193.順位:9,320位 / 1,946,580ブログ中(前日比➘)
・先週(10月20日~10月26日)のアクセス数:ページビュー数2754 PV(先週比27.1%増➚) 訪問者数1011人(先週比3.9%増➚) 。ランキング:10823 位 / 1945037 中(先週13253 位 / 1942159ブログ 中)➚
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