10-11の夕空
マンション暮らし..やがて30年
ようするに
30年前..
マイホームを購入する際の選択として
マイホームを購入する際の選択として
当時は
働き盛り&先行きの子育ての環境を基に
まずは
交通の利便性重視で
両親(=夫婦)のストレスフリーを優先することで
結果
子どもにとって(=子育てをする上で)
平穏な家庭環境が得られる..
そう考えて
庭付き一戸建てではない
機能性重視の生活スタイルの中で
子育て期を過ごしました
その選択は
私たち家族にとっては大正解
幼い子どもを
庭=自然に触れる環境で..
と思えば
実家の広い庭があったし
近くの大きな公園もあった
親がフットワークを良くしていれば
どんな環境も手の届くところにある
加えて
子供自身も 早くから公共交通機関に乗り慣れて
そこでの社会性や社交性を学ぶことができる
そんな親の理念で
息子は
地域(=地元)で過ごすだけの子どもではなく
広範囲の地域の子どもたちと交流しつつ
独自の個性を培ってきた..と思う
子どもの目に見える狭い柵(=地元)の中だけではなく
目には見えない(=広範囲の活動地域)ようでいて
じつは
しっかり 親の目の行き届く広範囲で
子どもが自由闊達に 伸び伸びと過ごせる環境
そういうものは
駅近のマンション生活によって
かなり豊かに得られて成長したように思う
30年前当時は
首都圏でも 戸建てを求める子育て世代が多く
ニュータウンなる開発の歴史は
もう 半世紀も前にも始まっていた..
けれども
そのニュータウンは
自然を壊して宅地化したわけですが..
30年後の現在は
過疎化&老齢化の街になっているところも多い..
人生さまざま
私の知り得るこの30年を振り返っても
人の暮らし向きは大きく変化しています
ときどき (一人)旅に出て
ホテルに宿泊してみると
ミニマリストの意識が宿る(笑)
暮らし(=人生)の中で
最低限必要なもの 環境 とは何ぞや
と言った概念が見えてくる..
これだけでいいんだよね
基本
これだけ整っていれば
その他のことは 付加(=オプション)
それを どこまで求めるか
その概念がいわば価値観なのでしょうけれど
時代は変化変遷して現在(いま)に至る..
さすれば
現実というものは
その流動の中に
ある期間身を委ねているだけのこと
灯台下暗し
というのは 山の中に入って
道を見失っている状況に等しい
自分が目指したもの(=山)は
その中に入る(=手にする)と 同時に
見失ってしまうものも出てくる..
旅は
そういう自分を 再確認することができる
最良の機会だと思うのです
帰宅を待っていた夫が用意していたもの(笑)
旅先で少しの贅沢をしたので
これと言って何が食べたい
という気分ではなかったです が..
これ(プラス少々)と
レトルトのカレーライス
と~っても美味しかったです
待ち詫びる人の存在に感謝
偶然にも同じ頃、層雲峡に行ってました。
紅葉は今週末あたりが綺麗かな?って感じでしたが、寒かったですね。
なるほど~と思いました。
今はまだ子育て中だから、そんな気持ちにお互いならないと思うけれど…
子供が巣立ったら変わりそうですね(*^-^*)
実家の母が、子供の帰りを待ちわびる感じと似ているのかな~って思いました。
わたしも夫が定年して、車で全国ドライブをするようになったら…待ちわびるのかしら(^-^;
応援ポチ★
諸々 ご心労なことがありましたね..
しばらく更新が無いので..
その後どうされているかなぁ と思っていました
>偶然にも同じ頃、層雲峡に行ってました
↑ ↑
えっ 大変驚きました(^^;
北海道に伺う都度
[pipichann]さんのことを想うんですよ
blogを通してだけのご縁とは言うものの
子どもたちが中学生の頃から
同じ水泳競技に打ち込む子供を持つ母親として
共通の話題も多くあって
ずっと親近感を抱き続けています(^^)/
なんだか 不思議なご縁を感じます
私が こんなにも北海道に魅了されているのも
何かのご縁?
また 幾度となく北海道には訪れると思います
いつも応援ありがとうございます!
北海道から帰ってから
写真の整理やら..
なんとなく元の日常に戻るのにダラダラしちゃって
コメ返もせず..失礼しました
>帰宅を待ちわびてくれる人がいる…
>子供が巣立ったら変わりそうですね(*^-^*)
↑ ↑
そういう心持ちは
互いに自然と湧いてくるものだと思いますよ
ある意味 子離れをしてからこそが
[夫婦]=[人生のパートナー]として実感するものが多くなると思います
でも..
それは
>実家の母が、子供の帰りを待ちわびる感じと似ているのかな~
↑ ↑
全く異なる質の愛情だと思います(^^;
必ず..その違いを感じるときは訪れるでしょう