八朔です。
朝なし、昼コンビニのおにぎり、夜焼き鳥とかで一杯。
こんな食生活なのに、人生史上、最大重量なのはなぜ?
教えて、アルムの森の木よーーーっ
なぜーーっ
さて。
そろそろ終末期の話をします。
人工透析のシャント(透析の点滴をするための入口)も寿命があって、2年持たずに新しいのを作ることになります。
父の老健は一階が透析室になっているし、隣接の病院があるのでそこで作ってもらえます。
一応、退去して入院して退院して入居するという一連の儀式はあるけれど、ノンストレス。
この老健でも割と色々な行事があって、クリスマス会や縁日的なこともしてくれるところで、
「なんだ、くだらん」(by父)
とか言いつつ、サンタの帽子で笑ってる写真なんかも見せてもらいました。
スタッフにカメラが趣味の人がいて、敬老の日に帽子をかぶっておしゃれした写真を気に入って、何度も見てるというから
「遺影はこれにしようよ」
「バカヤロー。親不孝もんっ」
と笑ったのを覚えています。
この頃はコロナがまだあって
面会は一階の受付で刑務所みたいなアクリル板越しで一回30分とかでした。
次の人が来てるから。と言うと、
「じゃ、喫茶店でもいこう」
「コロナだから出られないんだよ」
「なんだ、そりゃ」
全く「透析」も「コロナ」もなんだかよく理解しないままの男。
そんな頃に「転んで大腿骨を折った」と老人あるあるの事故で緊急手術して入院。
これは隣接病院じゃなかったし、なんだかトゲトゲしい看護士が多くて、一言多い父が波乱を起こすのではないかとヒヤヒヤ。コロナであえないし。
ここでの入院が、父を急速に弱らせたように思います。
骨折して入院して心身共に落ちるルート。
退院して老健に戻ってきてからケアマネージャーに呼ばれて、またクレームかとおずおず姉妹で行くと
「お父様はもしかしたらもう長くないかと。」
という話。
延命治療をどうしますか?という再確認でした。
わかってるけど、しょんぼり。
しょんぼりしてるのがわかったのか、「ついでに会っていきますか」
コロナながらもサービスしてくれました。
長くなったので続く。
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