昔は浅草寺境内全体で行われていたが・・・・規模も縮小され観光客も少なく寂しい市になってしまった。
羽子板市の起源は、古くは「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長からを願う風習からきています。
現在のような浅草の羽子板位置は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されていたのが始めといわれ。
今はecoでLEDが主流になってきたが、祭りの市や縁日は裸電球ではなくては気分も盛り上がらない。さすがに浅草!情緒があるね・・・。
戦後の昭和25年頃には「羽子板市」の名で呼ばれ、歳末の風物詩として定着しました。
私は昭和27年生まれで若い頃は大勢の人で賑わっていた、変わり羽子板は以前からあったが芸術大学とのコラボとが子供達に絵を描かせる縁日はなかった。
この様な企画は観光客や子供も喜び大変良いのではと感心させられた。
12月18日の富士山